第51話 「カーネーション」
(うげ。吐き気のループだわ)
洗面所で口をゆすぎながら、鏡に映る顔を見る。
(こんなカワイイ顔して、凛音ったらヤることヤってたんだ。あ、いや。カワイイからか)
前世の自分のすっぴんは地味だった。
カワイイ、って言われたくてメイクを覚えファッションに力を入れた。
ただあの頃のカワイイは、おブスちゃん頑張ってんね、という意味だった。
天童星児のようなSSR級のイケメンは、洟もひっかけてはくれなかった。
(あーしは何をやってんだろ?せっかく絶世の美少女に生まれ変わったのに)
仲間たちとメイドカフェを始めて、どS女刑事とバディを組んで…。
周りは癖の強い女ばっか。
(挙句の果てが、バージンなのに妊娠?そう言えば、ナントカって宗教のナントカって人の母親も、バージンなのにナントカさんを産んだとかつってたな)
イエス・キリストを産んだマリアのことだ。
ハンカチで手を拭いて、よしこが待つ庭園に戻る。
(じゃあもしかして、産まれる子は教祖様にでもなんのか?いや、待てよ。誰が産むんだ?あーし?ガチ?や。出産ってなんか、お股からスイカを捻り出すくらいおっとろしい痛みだ、ってママちんが言ってたな。こわ!…ん?)
庭園のカフェテラスに、ドレスを着た女の姿が見えた。
本能的に、花壇の陰に隠れる。
(誰?よっちゃんのママとか?)
後ろ姿。
見覚えのある盛ったシニヨン。
「清流院凛音さんの、御母堂…麗華さんですね?婦人画報でお顔は存じ上げてますわ。なぜ、このようなことをなさるのですか?」
よしこの口調が震えている。
当時の婦人画報は、定期的にグラビアに華族夫人を載せていた。
麗華もまた、数年前までは「あこがれの伯爵令嬢」などと特集されていたのだ。
「このようなこと、とは何ですの?」
「…わたくしに拳銃を向ける行為、のことです。冗談が過ぎましてよ。奥様」
(け、拳銃?)
背後からは見えないが、どうやら大変なことになっているようだ。
「よしこさん。わたくしはね、15年前に清流院伯爵家に嫁ぎました。出自は子爵でしたから、順当な結婚と言えるでしょうね。でも、嫁いだ先の旦那さまは亡くなった前の妻が忘れられなかった。だからその方はわたくしに指一本触れることなく、かりそめの夫婦生活を送ったのよ。このことが女にとって、どれほどの屈辱であるか、あなたはおわかりになるかしら?」
「…いえ。あいにくわたくしは若輩の身で、夫婦の何たるかも存じておりません」
「でしょうね。ですからわたくしは、他の殿方に行き場のない愛を注ぎ込んだのです。その殿方の名は西恩寺勝正。今度あなたとお見合いをするお相手よ」
「!」
(え。そうなの?)
「そう。あの男もまた、わたくしの愛をないがしろにしようとしているの。清流院家もわたくしの実家も、江戸時代からの天子様の血縁。それにひきかえ権俵家は、維新の功績で成り上がった男爵家。明らかに格下の、あなたのような卑しい身分の女に乗り換えようとしているのよ。愚か……本当に、愚かだわ!」
(なに、あいつ。家柄で女の価値を決めてんのかよ。ダサ!愚かはてめえだろ)
「凛音もそう。カフェなどでおままごとをする、華族にあるまじき卑しい小娘。だからわたくしは、あなた方を排斥することにしたのよ。やんごとなき華族の秩序のためにね」
拳銃を構えている。
指が引き金にかかる。
「お言葉ですが、奥様」
この状況に怯むことなく、よしこが椅子から立ち上がる。
「わたくしは何を言われても構いません。でも凛音さんは、卑しい者、などではございませんわ」
「座りなさい。撃つわよ」
「彼女はあなたが作った借金のせいで没落なさったあとも、自らの才覚と努力で使用人たちとともに運命に切り開こうとしているのです。不平不満ひとつ言わずに」
「お黙りなさい」
「いいえ、黙りませんわ。凛音は、わたくしの親友は、たとえカフェの女給のなりをなさっていても、女性の社会進出とはかくあるべきと体現しているのです。尊敬に値する、ひとりの女性なのです!」
(‥よっちゃん)
前世でもそんなふうに言われたことはない。
凛音ではなく、撫子のことを認めてくれている。
しかも、命がけで。
「あなたのように家柄や出自の上にあぐらをかいて、ご自分が招いた災いを他人のせいにするような、そんな心の卑しい者に排斥されるいわれなどないんです」
「お黙り!」
「あなたのように殿方に運命を丸投げする、情けない女性などに‥」
「黙れ!泥棒猫!」
清流院麗華が引き金を引いた。
(よっちゃん。危ない!)
反射的に飛び出した。
凛音が自分の身体を麗華にぶつける。
銃口がそれる。
「きゃあ!」
銃弾はよしこの左肩を貫通した。
よしこがその場にうずくまる。
その肩から血が噴き出す。
(血、だ)
はじまった。
心臓がバクバクする。
震えが止まらない。
PTSDの症状。
幽体離脱。
(こ、ここで?)
だが今回は、幽体離脱だけではすまなかった。
撫子の魂も、小百合と同じように強大な力によって天空へと飛ばされていく。
「この、不埒者め!」
執事の橋本と屈強な護衛たちが、麗華を取り押さえる様子が見える。
「凛音さん!凛音さん!」
よしこが血まみれになりながら、気絶した凛音を抱きかかえている。
清流院凛音の透き通るような白い頬に、ひとひらのカーネーションの花びらが舞い降りた。
目が覚めるような赤い色。
それが最後に見た光景となり、撫子の意識は黒く塗りつぶされた。
つづく




