第49話 「しのびよる影」
決戦前夜。
民同会構成員が桜田組事務所に集められ、決起集会が開かれた。
桜田たち組員は座敷で洋酒や豪勢な食事をしながら威勢のいい話をしていたが、下っ端の兵隊は土間で車座になって安っぽい酒だけがふるまわれた。
「ち。こんなまずい酒で士気が上がるか、ってんだよ」
柏木たちは、近年できた労働組合の組員だ。
労働者の権利を勝ち取ろう、という崇高な目的のために集まったはずだった。
(だがこの民同会ってのは、どうやらヤクザどもの下部組織でしかないようだ)
組合員たちも、陰気にまずい酒を酌み交わしている。
「やあ。労働組合の皆さん。ご苦労様です」
工場の作業着を着た男たちが、特級の日本酒をたくさん抱えて土間に入ってきた。
「これは陣中見舞いです。肴もたんと用意してきましたよ。皆さん、ご遠慮なくどうぞ」
角刈りの男がニコニコしながら酒を勧める。
美味い酒と料理のおかげで、場がぱっと明るくなる。
その男たちを囲んで、今回の喧嘩について話が広がった。
「皆さんはご立派です。われわれ労働者の代表として、火中の栗を拾いに行かれるんですからね」
「火中の栗、は大げさじゃないのか?」
「いえいえ。私が聞いた話じゃ、どうやら愛国会に天童組という極悪集団が加わったようなんですよ」
「天童組?」
「ええ。ついこの間のことですが、名古屋から進出してきた朔月会というヤクザ団体がこの天童組と抗争になりましてね。天童組がえげつない攻撃を仕掛けて、朔月会を壊滅状態に追い込んだみたいなんです」
「えげつない攻撃、って何だよ?」
「ええ。何でもダイナマイトをくくりつけた弓矢で、組事務所を跡形もなく吹き飛ばしたとか。見たやつの話だと、爆発に巻き込まれた連中は腕や足がちぎれ飛んだり全身大やけどで苦しみながら死んでったみてえですね。ああ、そういう死に方だけはしたかねえなって思いやすよ」
「……」
「どうぞ皆さんも、天童組のダイナマイトにだけはお気をつけて…」
このときから、恐怖の種は蒔いてあった。
「マイトだ。逃げろ!全員、吹き飛ばされるぞおお!」
パーン!
パン!パン!
あちこちで矢に括りつけたものが爆ぜる。
当然ダイナマイトではなく、花火だ。
だが、蜂の巣をつついたような大パニック状態。
労働組合員を中心とする本隊は四散五裂し、逃げ惑った。
「お、おい。待て!戻れ!戻って、親衛隊の壁になるんだ。会長を守れ!」
「ざけんな。てめえらで何とかしやがれ!」
「おめえら、ヤクザなんだろうが!」
数分で、桜田ら幹部と親衛隊30名だけが戦場に取り残された。
「よし。あとはこいつらだけだな」
民同会の陣の背後には小高い丘がある。
埋立て用の土砂を積み上げたものだ。
それまで待機していた角刈りの若頭・江田島率いる天童組が、その頂に姿を現した。
「鳴らせ」
天童組組員が陣鐘を鳴らす。
ジャン!
ジャンジャン!
桜田たちが振り返って見上げた。
「こ、今度は背後だあ!」
天童組の精鋭が丘を駆け下りてくる。
ひよどり越えだ。
「に、逃げろおお!」
桜田が車に乗り込む。
だが。
エンジンがかからない。
「何をしている。早く出せ!」
「だ、ダメです。たぶん、マフラーに砂が詰まってるんです」
「くそが!」
運転手を置き去りにして車を出る。
総大将が走って逃げ出した。
ここまでの戦況を、大川が車内から見守る。
(鶴翼の陣…からの方円の陣、か)
民同会というよりはもはや桜田組単独になった塊が、中央に追い込まれていく。
その塊を両翼が取り囲んでいく。
そこに背後の天童組が合流して、塊は完全に方円に閉じ込められた。
その一方で、労働組合員たち一般人はわざと戦場から逃がしている。
(シロウトさんは傷つけねえ、ってこだわりかい?二代目)
参謀という立場でありながら、自ら参戦もしている。
腰のサーベルは抜かず、素手でドスやダンビラ相手に格闘している。
前世での小百合は、逮捕術と柔剣道の警視庁代表だった。
嬉々として暴れているように見える。
「勝負あったな。おやっさん。じゃあ、愛国会の本陣に挨拶しておきましょうか。でくの棒の得意面見るのは癪に障りますがね。おい、出してくれ」
坂崎の指示で、運転手が発車する。
(喧嘩に強い。頭が切れて統率力もある。何より、仁義をわきまえている。天童星児に大吉一家の頭を張らせて、後藤や亮介を両腕に付ける…それが俺の、最後の仕事なのかもしれねえな)
大川は、窓外に広がる天を仰ぎ見た。
(なあ、天童)
完全に八方塞がりだった。
愛国会の軍勢に囲まれる中、桜田は愕然と両膝をついた。
(こんなはずはねえ。俺の圧勝のはずなんだ。俺はここで名を上げて、東京中のヤクザどもの頂点に立つ……はずなんだ!)
まだ、現実を受け入れられないでいる。
「さあて。この大袈裟な活劇の幕は、どう下ろしたもんかな?」
四つん這いでうな垂れる桜田の眼前に、白い靴が現れる。
「よほどの名場面で締めくくらねえと、収まりがつかねえよな?」
「…め、めい、ばめん?」
涙目で見上げた先には、天童星児の悪魔のような笑顔があった。
「敗軍の将の…公開処刑、とかな」
権俵家の執事・橋本の自慢は、華族の姓名と顔をすべて覚えていることだ。
「おや。これは、清流院麗華さまではございませんか?」
「…ごきげんよう。あなたは、執事の方かしら?」
「はい。五年ほど前に当家のパーティーでお会いし、麗華さまの美貌を記憶にとどめております」
「あらそう。権俵家のご令嬢・よしこさんはご在宅かしら?」
「ええ。いままさに、麗華さまのご息女・凛音さまとお茶会を催してらっしゃいますよ」
「…凛音と?」
「はい。麗華さまも、その件でいらっしゃったのでしょう?」
「…ええ。もちろんよ。凛音が…そう、忘れ物をしたようなので、わたくしが届けに来たのですわ」
「それでしたら、私めがお預かりいたしましょうか?」
「いいえ。これはわたくしが直接渡した方が良いものなの。そのう。婦人特有の品物ですから」
橋本は、それを生理用品的なもの、と推察した。
「これは大変ご無礼致しました。おふたりは、あちらの庭園の方にいらっしゃいます。ご案内を…」
「いえ。それも結構。忘れ物の罰に、驚かせてあげたいから。うふふ」
「かしこまりました」
こうして橋本は、この不審者を通してしまう。
ハンドバッグの中に拳銃をしのばせた不審者を。
(わたくしの大切なものを盗む泥棒猫二匹、権俵よしこと凛音が一緒にいるなんて。神様は、わたくしの背中を押してくださっているのですね?)
カチリ。
ハンドバッグに手を差し入れ、安全装置を外す。
(それでは心置きなく、わたくしがその二匹を神の御許に送ってさしあげましょう)
つづく




