古池 -05-
結局、僕は研究者にはなれなかった。
大学で出会った天才たちを目の当たりにして、自分の才能の乏しさに打ちのめされたとか、そんな中でも一目置かれる藤谷先輩を慕うことが赦された誇らしさとか、あとは不安定な世界情勢とか、まぁ、いろいろあって、僕は、大学を卒業した後、結局、父と同じ道を歩むことにした。
その分野においては、僕は有望だったので。
才能あるものがその才を振舞うには、それなりの環境を必要とすることを痛感したこともある。そして、なにより、彼らにとって快適な環境を作るのは、到底、彼ら自身には無理だと思ったから。
だって、彼らは僕らが<わからないことがわからない>のだ。
そのくせ、いや、だから、自分の興味意外に脳の容量を割かない彼らは、僕らに環境整備を丸投げしてしまうのだ。
そういうことに、脳の容量を割けないんだと思う。
研究室に残らないと決めた僕に、藤谷先輩は「なんだよ、せっかく助手にしてやろうと思ってたのに」と言った。その言葉で僕は、少しだけ彼と一緒に研究できたことが報われたような気がしたし、なにより嬉しかった。
藤谷先輩たちが何も憂うことなく能力を発揮する環境を作るのだという新たな目標は、とても素晴らしいことに思えて、僕はいっそ誇らしい気分で現場を離れた。
それからしばらくは、父の秘書に納まって、上司となった名取さんについて廻る日々を過ごした。
先輩とはたまに会っては(二人で会うことはほぼなく、大体は研究室の仲間やなんかと一緒だった)、近況を報告し合ったり、もう僕にはついていけない技術論を聞いたり、僕の仕事を興味半分で聞かれたり。
お酒が飲めるようになったから、飲みすぎて羽目を外したりもしたけど、さすがにそういうことは卒業した後は、だいぶ少なくなった(なくなったとは言えない)。
ある時、藤谷先輩と同期の人に、彼女と藤谷先輩のことを聞いたことがある。
その人は、彼女と彼女の彼氏と同じサークルに所属していたそうだ。
なんでも、彼女と藤谷先輩が動物園に行ったと知ったサークルの人が、「俺が狙ってたのに」と言い出し、サークル内で彼女とうまくいくように根回したらしい。そして、半ば強引に口説いて、藤谷先輩(もしくは彼女)が3回目のデートに誘う前に付き合い始めたのだという。
彼女と同じ学部だった彼氏は、これで将来安泰とか、逆玉とか言っていたそうだ。
その人は、彼女の元カレ(僕がその話を聞いた時は、すでに破局していたらしい)があまり好きではないらしく、藤谷先輩に同情的だったけれど、実際はどうかはわからない。
僕は僕で、なんとなく先輩を異業種親睦会に誘ってみたりしたけど、意外にも彼は都合がつけば参加してくれて、カノジョができたり、できなかったりしていたようだった。
基本的に、対人関係において、彼は押しに弱く流されやすい傾向がある。
そして、名取さん曰く、<履歴書イケメン>である藤谷先輩は、ある種の女性からは魅力的ではあるのだ。
ただ、名取さん曰く、<所詮、履歴書イケメン>の藤谷先輩は、結局フラれることが多かったと聞いている。
「先輩のことそういう風に言わないでくださいよ」
流石に諫めるけど、それこそ僕が中学生の頃から知っている彼女に、敵うわけもない。
「先輩の心配ばかりしてますけど、豊成さんはどうなんです? いずれ先生の地盤を継ぐんですから、あまり羽目は外さないでくださいね」
「誠実に生きてるつもりですけど」
「どうだか。……上手に遊ぶ分には構いませんから」
必要でしたら、こちらでご用意いたします、との名取さんの言い方に、僕は混ぜっ返す。
「……父さんにも用意してたんですか?」
「そういえば、先生に関してはそういうご注進申し上げたことないですね」
不正疑惑が一度出た以外はクリーンな父も何かあるかもしれない、と尋ねてみれば、名取さんは緩く頭を振った。
「……名取さんは違うんです? よくある秘書兼ってやつ」
「私は結婚していますので」
そういえば、いつの頃からか名取さんの薬指には指輪がある。
だけど、家庭の話は聞いたことがない。勤務状態から子供はいないんだろうな、と思っていたくらいだ。
「結婚してたってそういうこともあるでしょ」
僕が意地悪に絡めば、名取さんは盛大に息を吐きだした。スーツの内ポケットから携帯端末を取り出すと、ちら、と僕へと視線を投げる。
「……みます?」
「え? いいんすか」
「どうぞ」
意外な申し出に僕が身を乗り出せば、彼女は携帯端末の待ち受けを見せてくれた。
そこには、同年代であろう二人の女性が、頬を寄せ合って映っている。背景には青空と満開の桜の花。
一人はもちろん名取さん、もう一人の笑顔が可愛らしい人が名取さんのパートナーなのだろう。ピースサインをしている指に名取さんがしているものと同じデザインの指輪が輝いている。
「ですから、豊成さんが」
「名取さん、こういう笑顔できるんだ。かわいいっすね」
「返せ、クソガキ」
彼女の言葉を遮って感想を述べれば、名取さんは眉を跳ね上げて手を差し出してきた。
そうこうしている間に、東海沖地熱発電機構が、海底地熱発電機構<ワダツミシステム>と改名したり、次世代の新エネルギーシステムが宇宙太陽光発電機構<アマテラスシステム>として本格的な運用が進められたりと、この国と、この国を取り巻く世界情勢はめまぐるしく変化していた。
当時の弱小野党から鎖国政策が提案されたとき、以前から経済制裁などの国際的嫌がらせを受けていたこと、先日、他国からの攻撃により宇宙太陽光発電機構の一部が破壊されたことで、諸外国に対する不満と不信感が高まっていたこともあり、国民からの反感は、驚くほど少なかった。
それどころか、真面目に悪ふざけをする人間が、投稿サイトに『鎖国をすることの10のメリット』となどと茶化した書き込みをした。
一見すれば、実現性がありそうだと思わせるそれは、きちんと精査すれば荒唐無稽なものだとわかるものだ。
しかし、さらには悪ノリする者たちが、それを基にさまざまな机上のゼロサムゲームを楽しんだ。その熱狂は留まるところを知らず、むしろ火山口から湧き出るマグマのように、国民感情は沸き上がり、一種お祭りのように盛り上がっていた。
提案された鎖国政策案は、おそらく一部の国民感情を宥めるため、もしくは高まる外国人嫌悪に対する冷や水として、と言う意図の方が強かったのかもしれない。
だけど、あの時のこの国は、国際社会に対する諦観と、小氷河期の底知れない寒さと、なによりも眩しすぎて見えない未来に瞑目していたのだ。
その結果、人類の危機でこそ生き残りをかけて争わなければならない国際社会に対する絶望と、なにより、海底地熱発電機構<ワダツミシステム>の運用に目途がついたこともあって、僕たちは、世界の片隅でひきこもることを選んだのだ。
実際はすぐに他国との国交を絶つ、と言うことはなく、徐々に交流を減らし、エネルギー供給源を確保しながら自給自足で回せるようにするということだったけれども、当時の社会は、あっという間に、鎖国に向けて動き出した。
せっかちなところがある日本人は、決めるまでは時間を要するくせに、決まってしまったら早いのだ。
「先生、お疲れ様でした。お帰りになるのであれば車を回しますが」
来客を送ってきた名取さんが戻ってくると僕も席を立った。先ほどまで医療用補助器具会社の重役たちと歓談していた執務室は静まり返っている。
「いや、もう少し片づけたいことがあるから。あ、でも名取さんはもう帰って大丈夫だよ。奥さん、待ってるんでしょ?」
「そう言っていただけると嬉しいですが、」
歯切れの悪い彼女の背を押すように、僕はにっこりと笑みを浮かべた。
「手伝ってもらうことないし、帰りの車ぐらい自分で頼める」
「そうですか? じゃあお言葉に甘えて」
そう言いながらもテーブルに広げていた書類をそろえる彼女の指には、シンプルながらも繊細な指輪が光っている。
「あ、ねえ」
一礼して部屋を辞そうとする彼女を呼び止めた。
「はい?」
「今って平和だよね、」
「……そうですね。少なくとも、全国民に対して<健康で文化的な最低限度の生活>を保障すると公言できるほどの国力はありますから」
「……お疲れ様、奥さんによろしく」
今度こそ一礼して部屋を出る彼女を僕は引き止めなかった。
過去の自分の選択が間違っていたとは思わない。
彼女を地上に引き留めようとした藤谷先輩を裏切り、彼女を天空へ見送ったことは。
たとえ一生、彼に赦されないだろうとしても。
それでも誰かに肯定してほしくなる時があるのだ。
特に機密事項を見た後は。
僕はテーブルの上に揃えられた書類をめくる。
そこには<機密事項>の印とともに、盲目の患者が脳に電極を埋め込み、カメラと接続することで外界を捉えるという医療技術が記載されていた。
名取さんが帰って、ことさら静まり返った室内に、呼び出し音が響く。
力なく座っていた僕は、緩慢な仕草で通信機器の表示を見て、慌てて通話を押した。
「先輩、どうしたんです? こんな時間に」
『……』
「先輩?」
『……どうして出るんだ?』
「ええ……かけてきてそんなこと言うんですか、」
『もう夜だぞ』
「帰ろうとしてたところです」
『ふうん、』
「先輩はどうしたんです?」
『会議室を使用したくて、でも通話履歴残さないと怪しまれるから』
監視下に置かれている彼は、一人になりたいとき、こうして僕をアリバイ工作に利用する。僕はそれを甘んじて受け入れる。
いや、彼に必要とされている気がして、喜んで対応させていただいている。
『……』
「今日はお散歩しましたか?」
特に話すことはないのだ。それでも、黙り込んだ彼の気を紛らわらわすように、僕は尋ねる。
『……今日は雨が降ってる』
彼の言葉に、僕は立ち上がり、窓辺によるとブラインドの隙間に指を入れた。
厚いガラス窓の向こうは、夜の宵闇に浮かび上がる美しい夜景。
それを創り出す灯り一つ一つには、それぞれ人々の生活があって、それは生命の輝きと同じだ。だからこそ、虹色に彩られたこの光景は、天国や極楽と呼ばれるとこよりも、きっとずっと美しい。
――天国なんて見たことないし、僕はそこには行けないだろうけど。
「こっちは晴れてますよ」
夜空には雲もなく、彼女たちが制御するタカマガハラの起電用静止衛星群が、この列島上空の広い空間を充填している。
彼女自身が身を隠す<アマノイワト>は、地球の陰に入っており、その輪郭を縁取る照明が瞬いているのを確認できるだけだ。
7000万にはまだ少し足りない人々の生活を、彼女はいつも僕らがともす夜景を空の上から見守っているのだ。
「……そういえばあなたに関する報告書に、ニンジンが残されてたって書いてありました」
『はぁ!? そういうことまで記載されるの?』
「報告書を書く人にもよりますね。スキキライなかったのにどうしたんです?」
『いや、もともとニンジンとかカボチャとか甘い野菜は苦手なんだ。あの日のはことさら大きくて』
「へえ、初耳です。いつも食べてたじゃないですか」
『食べれないわけじゃないからね。ただ、口に入れた時に甘いのがいやなんだ』
「……? 甘いものもお好きですよね」
『おかずは塩味であってほしいのに、甘いのが嫌なんだ』
相変わらず、藤谷先輩の言い分はよくわからないな。
「ああ、そういう?」
『古池、お前、いま、適当に頷いただろ?』
「だってオレ、ニンジンもカボチャも平気なんで」
鋭い指摘に悪びれることなく答えれば、藤谷先輩は向こうで不服そうに唸り声をあげた。
同性婚は制度として採択済み。
別姓婚は戸籍制度の運用整備の煩雑さが理由で未実現という世界設定です。




