古池 -04-
どうやら大学に所属する研究室が技術提供だか共同開発だかをしているらしく、大学の電子掲示板の一角では、テスト運用が開始されたばかりの宇宙太陽光発電機構は次世代を担う未来の技術であるとの政府広報が点滅していた。
視線を上に投げれば、高い建物で区切られた狭い空。春らしい水分を含んだ淡水色だ。
そこには、先日打ち上げたばかりの試作型起電用静止衛星が浮かんでいるはずだけど、真昼間の今は太陽光にのみこまれて姿を見つけることはできない。
再び視線を掲示板に戻そうとして、視線の端に引っ掛かった人物に僕は声を上げた。
「藤谷先輩!」
「え……古池?」
授業が終わったのか、一人で歩いている藤谷先輩に駆けよれば、彼はびっくりしたように目を見開いた。高校の時から変わらない細身の体格と手をかけていない髪。しかし、学生服ではなく、どこにでもあるような灰色のパーカーと黒のパンツ姿だ。
「本当にここ受けてたんだ? ……あれ、」
口ではそう言いながら、ふっと三白眼ぎみの目を撓ませる。しかし、それはすぐに怪訝そうに眇められた。
見上げられることが心地よい。
藤谷先輩は、右手を自分の頭に手を当ててそれを水平移動して、僕の鼻面にずびっと当ててきた。
「お前、こんなだったよね?」
そして、広げた左手で自分の胸元をトン、と叩いてみせる。
さすがにそんなに小さくはなかったはずだけど。
「最後に会ったのは先輩の卒業式の時ですよね? そん時はもうこんくらいはあったと思うんすけど、」
先輩の細く骨ばった手首を取って、彼の顎の下まで持ち上げる。
彼は困惑を隠せないままぼやいた。
「ええ~……すごいな」
「去年、受験勉強よりも成長痛で死にかけてました」
「……牛乳って効果あるんだ」
藤谷先輩の言う牛乳とは、僕がランチタイムのお供にしていた飲み物のことだ。
そういえば、一度、スキキライの指摘を受けた後から、ジュースを牛乳に変えた僕に、先輩は釈然としない表情で「牛乳でご飯ってどうなの?」と呟いたことがあった。
だけど、僕がよくわからないまま「普通っす」と答えれば先輩は、そうか、と小さく頷いて会話が終了したのだった。
久しぶりに先輩に会えたこと、何より僕の成長(身体的な意味での)を見せつけることができて晴れがましく感じていると、ふと、先輩が体の向きを変えた。
どうしたのか、と彼が反らした視線の先を振り返れば、彼女がいた。
あの時代に取り残されたような田舎の片隅にある、唯一、星が付いたホテルで行われたパーティ会場を思い出す。
婦人会の人たちに混じり、会場の準備をしていた少年のような少女は、成長を終え、丸みを帯びた身体の女性になっていて、綺麗に髪を伸ばし、うっすらとお化粧もしているようだった。
先輩と違って、僕は人の顔と名前を覚えるのが得意(あの後援会会長から有望ですね、と言われた点でもある)だから間違うことはないと思う。
身綺麗にしている彼女は魅力的な女性で、実際、横には恋人だろう男性が連れ添っている。
思わず彼女の名前が口をついて出れば、先輩がぎょっとしたように僕を見上げてきた。
「知り合いなの?」
「はぁ、まぁ。父が懇意にしている人の孫娘さんですね。中学の頃に会ったことあるな~って人ですけど、」
そもそも、彼女の実家である病院はいわゆる大学病院で、付属の高校と大学があり、血縁者はそこに通うのが通例になっていたはずだ。
確かに、この大学にも医学部がある(偏差値だけでいえば彼女の実家が経営する付属大学よりもずっと高い)。特に脳外科の権威も所属していることで有名だ。
近頃は工学科と共同でBMI(Brain-machine Interface)分野にも力を入れており、事故などにより身体を欠損した人に、その部位を補う義手や義足を機械化し、脳と人工神経を繋ぐことで補う技術が校内ニュースで報じられていたことを思いだす。
まだ、細かい動作は無理だけども、指先でコップを掴む程度は、意図したとおりに動かすことができるらしい。さらには指先に備えたセンサで、掴んだコップが温かいのか、冷たいのかを感じることができる、とも。
それから、人間が睡眠中に見る夢の研究において、<脳の情報の読み出し>や、<知覚や精神活動を脳活動へ変換>を実施する際の被験者を募集していたことも。
彼女の母親が脳死状態だった期間があることと、そういう研究室がある大学に彼女いるということが関係しているかはわからない。
ただ、あの病院の後を継ぐのは、彼女と半分だけ血のつながった弟なのだろう。
「中学……お前、よく覚えてるな。……向こうは覚えてないみたいだけど」
「オレ、すげー成長したんで」
「いや……確かにそうだけど」
「中学の頃、これくらいだったんすよ」
ふたたび先輩の左手を取って、彼の横隔膜くらいまで下げて見せれば、彼は「小さいな」と言って笑った。
「先輩こそ……もしかして元カノとかですか?」
「違うよ」
「の割には」
「二回、おでかけしただけ」
きっぱりと否定されるものの、どこか気まずげな視線に僕が食い下がれば、彼は意外と簡単に白状した。しかし、その言い回しはどうなのか、とさらに疑問を重ねてしまう。
「おでかけ? デートですよね?」
「おでかけ!」
「いやいや、どこ行ったんです?」
「……美術館と動物園」
「デートですよね」
「ちがう、お出かけ! 彼女がそう言ったんだ」
「そっすか、」
頷きながらも、僕は、なんだそれ。なんだかメンドクサイことになってるのかな、と先輩の頭を見下ろした。
小さな頭だ。
この中に優秀な脳みそが詰まってるんだよなぁ……その割に恋愛関係は不器用なのか。そもそも人づきあいが得意と言うわけでも、もともと好んで人との距離を詰める人ではない。
だからこそ、僕は彼に気を許されたことに気分が良くなって、選ばれた誇らしさを満喫できるのだけど。
そして、相変わらず、彼女の方もだいぶ拗らせているらしい。
しかし、僕が思うに彼女は。
「……好きなんすか? 今からでも遅くないっすよ」
「何言ってんの、お前」
僕の提案に先輩は顔をあげると、眉根を寄せた。邪険な言葉にめげずに畳みかける。
「結婚してるわけじゃないんでしょ」
「……古池ってそういうこと言うやつだっけ、」
「先輩には幸せになってほしいんで」
限りなく本心を告げれば、彼はようやくふっと眉根に寄せた皺を消した。
「……泥沼をけしかけられてる気がするんだけど」
「オレは先輩の味方っすよ」
しかし、信用してもらえていないのか、彼は胡乱な視線を投げてきた。
「いや、マジっす。彼女、愛情深そうな人なんで」
畳みかけるように煽るが、これも本心だ。
男子が求められているのを察して少年のように振舞ったり(現状を見るとそれなりに可愛い格好をしたかったのではないか、今の格好も彼氏の趣味かもしれないけれど)、弟ができて自分が邪魔だと思われれば、派閥を作らないように遠い地で進学したり(これが一番苛立たしさを覚える)、その癖、おそらくいつでも呼ばれたら帰れるように医学部を選択したり(彼女が本当になりたかったものは何なのだろう)。
まぁ、これらはすべて僕の想像の域を出ないけれども、それに、彼女のそういう、自己犠牲を選択することで他に尽くしているような感じが、僕は苦手だけれども。
でも、おそらくこれらは彼女なりの周囲に対する愛情表現なのだ。
「そうだね……でも愛情深いってことは誰かを愛してないと生きられないんだよ 」
先輩は僕の言葉に同意する。
しかし、それはまるで帰り道を忘れてしまい、途方に暮れた旅人の呟きにも似ていた。
「……僕は、誰でもいいなら自分でいいって思えるほど、強くはないんだ」
尊敬している先輩の初めて見る弱さに、僕はようやく制服を脱ぎ捨てて、彼の前にいることを実感したのだった。




