古池 -02-
彼と初めて話したのは、高校1年の秋だった。
一大行事である文化祭が終わり、3年生が生徒会や委員会を引退すると同時に、僕は再編された生徒会に書記として選出された。
彼は2年生で、1年次から情報処理委員として活動しており、引き続き情報処理委員として、さらには委員長として任命されていた。
その日は、新しい生徒会と新しく任命された各委員会の長及び副長との顔合わせを兼ねた集まりがあり、生徒会の中で一番下っ端である僕は、放課後すぐ準備のためにミーティングルームへと向かった。
一番乗りだろうと油断して、ノックもせずに会議室の扉を開ければ、既に準備が済んだ会議室で、彼が自前のだろうラップトップ型PCを開いて何かしら作業をしていた。
「さーせん……準備していただけたんすか?」
「ああ、期が変わってパスワードの設定を変更したから確認ついでに」
驚いて謝罪とともに声をかければ、彼は顔を上げる。
通りすがりざまに、プロジェクタと接続されたスリープ状態であるPCの画面を起動すると、一番初めに使うであろう資料が開かれていて、既に僕ができることはなさそうだった。
「ありがとうございます。藤谷先輩」
彼と対面するその前からテストのたびに成績優秀者の欄に必ず張り出されている彼の名前を知っていた。文武両道というほど運動能力が秀でているわけではなかったけれど、模試がある主要教科では全国模試の結果が上から数えて両の指に入るほどだ。
僕が彼の名前を口にすれば、彼はすこしだけ意外そうに目を細めた。
「君は1年だよね? 書記のひと?」
「はい。書記の古池っス」
「ふーん、そう」
彼はさして興味なさそうに頷くと手元に置いていたクリアファイルを差し出してきた。
「議事録システムのマニュアルはこれね。新会長が準備は持ち回りにしたいって言ってたし、マニュアルも作っておいたから実際使ってみて不備や意見があったら言って」
クリアファイルを受け取れば、彼は再びラップトップPCのディスプレイに視線を戻した。そして、僕に視線を向けることなく補足した。
「とりあえず君が使った後に修正入れたら、それを完成稿にするつもり。だから忌憚ない意見をよろしく」
その頃の僕の名前は藤谷先輩と違って、不名誉に有名だった。
国会議員である父に、ようやく軌道に乗り始めた東海沖地熱発電機構に関する不正疑惑がかけられていたからだ。
基本的に良家の子息が通う私立男子校であるこの学校は、多様な入学基準を設けており、難関大対策された特進コースなど教科試験が必須である学科もある一方で、さまざまな一芸入試枠がある。
スポーツ枠はともかく、判断基準が曖昧な芸術枠などを使って入学する議員や有名人のご子息は珍しくはない(ちなみに、種目にもよるがスポーツに関してはそれなりの強豪校だが、芸術部門はさっぱりである。また、芸術環境を整えるには費用が掛かるということで、芸術枠で入学するときには特別に寄付金が募られる。一応、僕は一般入試で入学し、特進ではないけれど進学コースに在籍していた)。
一方で、成績優秀であれば授業料免除の枠があり、特進コースには、いわゆる一般家庭の優秀な成績のご子息も在籍している。
例えば、目の前にいる藤谷先輩がそうだ。
基本的に育ちがよい、また、成績優秀であるがゆえに穏やかな性質の生徒が多いこともあって、いじめが問題になるようなこともなければ、基本的に素行が良いことでも評判な学校でもある(ただし、件の芸術コースではたまに問題児が紛れ込むらしく、年に数人の退学者が出ている。逆に言えば、卒業生の力が強く、問題を起こせば、寄付額や親の権威にかかわらず退学にできるのだろう)。
しかし、連日のように父の名前を糾弾するニュースに伴い、面と向かって揶揄を受けるようなことはなかったけれども、やはり居心地が悪いと感じる場面は多くなった。
だからこそ、僕の顔も名前も知らない(おそらく興味もない)藤谷先輩のそっけない態度は少しだけ僕を安堵させた。
「先輩、何してんすか?」
逆に彼に興味をひかれ、何を熱心に作業しているのか尋ねてみれば、彼はいったん顔を上げ、僕を一瞥した後、ふたたびディスプレイに視線を戻した。
「ゲームだよ」
「ゲームとかするんすか!?」
意外な答えに思わず声をあげれば、彼はびっくりしたように僕を見上げてきた。
見開かれた眼は少し三白眼気味で、ひょろ長く頼りない体躯に反して、気が強そうな印象を与える。神経質そうな細い鼻梁と薄い唇も相まって、どこか酷薄とした雰囲気だ。
「……いや、先輩、いつも成績優秀で張り出されてるからゲームとかちょっと意外で。何のゲームっすか?」
「知らないと思うけど」
「教えてくださいよ」
彼の突き放すような物言いに、僕はめげることなく、野良猫に近づくように、ゆっくりと大回りで彼に近づく。
「……シムプラネットだよ」
「知らないっすね」
教えてくれたゲームは彼の言う通り、知らないものだった。
ディスプレイを覗き込めば、藤谷先輩は少しだけ警戒するように身を反らせる。彼の拒絶しきれない態度が本当に他所の家猫みたいで、なぜか楽しくなってきた僕は彼の気を反らすように話しかける。
「エイリアンと戦ってるんすか?」
「違うよ。惑星系を育ててるんだ」
「?」
プラネットと言うからには、と適当に問いかければ、藤谷先輩は意外にもきちんと答えてくれた。
調子に乗って彼の横から覗き込んだディスプレイは黒を基調とした画面構成で、いくつかの球体がくるくると回っている。最小では原子、最大では宇宙で見られる構成だ。右端のウィンドウではいろんなパラメータが絶えず変化している。
「恒星の周りに惑星を配置してその変化を楽しむシミュレーションゲームだよ」
「……楽しいんすか、それ」
ふと沸いた素朴な疑問を口にすれば、藤谷先輩は口の端を歪めた。多分、笑ったんだろうけど、元の顔の造りもあって、なんだか冷たく見える表情だ。
「まぁ、それなりに……」
じっと画面を見つめていると、少しずつではあるが、惑星と思しきグラフィック自体にも変化が表れている。
「恒星のサイズから熱量、系に配置する惑星の数や重量、恒星との距離や他の惑星との距離によって、できる惑星環境が変わるんだ。隕石をぶつけると、土星みたいな輪がある星ができたり。うまくいけば生命が誕生する。生命体が文明を作るとオンラインを経由して他の人が育てた惑星系と星間戦争も起こせるよ」
案外、物騒なゲームだな……?
画面を眺める僕に、藤谷先輩は右端のウィンドウに表示されたパラメータを説明してくれる。少し警戒が解けてきた彼の態度に嬉しくなって、問いを重ねる。
「へえ、先輩の星、なんか生まれました?」
「まあいくつかは。最近、わりと面白い条件でプランクトンまではできる条件を見つけたけど、進化しないですぐ死滅する。太陽系を模倣すれば簡単だしそれが正攻法なんだけど、それじゃつまらないし」
「オレもやってみたいっす」
「携帯端末版もあるよ。フリーコードの追加制限あるし、振れる条件の枠は小さくなるけど」
僕が携帯ガジェットにそのゲームをダウンロードしはじめたところで、他の委員たちが集まり始めたため、藤谷先輩との会話は打ち切りになった。
その日の夜、僕は初めてシミュレーションする恒星を中心とする惑星系に自分の名前を付けた。
藤谷先輩が休み時間を、情報科管理室(情報科の教材などを管理する部屋だ)で過ごしていることを知ったのは偶然だった。
僕が昼休み直前の授業で使った教材を返却しに情管室の鍵を借りに行ったところ、教科担当の先生から、藤谷がいるから開いているはずだ、と言われたのだ。
情報科で用いる電子機器はそれなりに高価なため、情管室には鍵をかけることになっている。しかし、どうやら、情報処理委員長の藤谷先輩は自由に鍵を使える立場らしい。
情管室に向かえば、鍵は開いていて、藤谷先輩がそこにいた。
窓際に置かれた余り物のパソコンデスクに自前のラップトップPCを設置し、キャスター付き事務椅子の背を抱き込むように座って、ディスプレイに向かっている。
パソコンデスクの上には袋に突っ込まれたお昼ごはんの残骸と飲みかけのお茶のペットボトル。
「ここ、飲食禁止じゃないんすね」
「……君か、」
電子機器があるのに、ずいぶんと杜撰な管理だなと思って言えば、彼は顔を顰めて見せた。
「……ご飯は食べてから使用していることになってる。黙っててくれると嬉しい」
先輩はバツが悪そうに懺悔する。僕は手にした教材を設置されたスチールラックへと戻すと、彼に向き直った。
「黙ってるんで、オレもここで食べていいっすか?」
「……好きにすれば?」
「って言ったのは僕だけど、毎日のようにくるかな?」
「だめすか、」
「だめじゃないけど」
藤谷先輩の言葉に頓着することなく弁当を広げる僕に、彼はため息を一つ。
あの日からここでお弁当を食べることが日課になった。
藤谷先輩とはたまに雑談で盛り上がることもあるけれど、大体はお互い無言でやりたいことをしている。基本的に藤谷先輩はパソコンに向かっていたし、僕は僕で惑星系を育てたり、ぼんやり音楽を聴いたり、たまに課題をやってると藤谷先輩がみてくれたりする。
彼の教え方は、さすが全国10位以内、と言いたいところだけど、実際はそうでもない。頭の回転が良すぎるのか、「どうしてわかんないのかわかんない」と言われたときは、さすがにへこんだけれど、案外面倒見がいいらしく、根気良く付き合ってくれる――時もある、くらいだ。
大体は、頭を抱える僕を無視して、自分のタスクに没頭していることがほとんどだった。
ディスプレイとにらめっこすることに飽きたのか、藤谷先輩は頬杖をつくと僕を眺める。
「ずっと気になってるんだけど、それ」
「なんすか?」
僕はいつもの通り移動式ワゴンをテーブル代わりに弁当を広げている。お手伝いさん謹製の彩りの良いお弁当である。
藤谷先輩はお手軽な総菜パンやサンドイッチの類で済ませることが多く、その日も既に食べ終わっていた。
「ジュースでご飯ってありなの?」
「え? なんかダメっすか?」
お弁当包みの横に置いたグレープ味の微炭酸飲料をみやる。最近、僕が気に入っているジュースだ。
「せめてパンならわかるんだけど、君のお弁当、米のことが多いから」
「?」
藤谷先輩の意図がわからず僕が首を傾げて見せれば、彼は説明する気はないらしく、「いや、別にいいんだ」と言って会話を切り上げてしまった。
だけど、珍しく彼から話しかけられたことが嬉しくて、今度は僕が質問する。
「藤谷先輩こそ、いつもパンですよね。弁当頼まないんですか?」
この高校は寄付金が集まりやすいこともあり、学食、購買ともに品ぞろえと味が保障されている。それこそ、ヘルシー嗜好のものからボリューム満点のものまで。さらには当日10時までに予約さえすれば、学食メニューをお弁当形式にしてくれるサービスもあるのだ。
「お弁当は食べるのがめんどくさいから」
食べるのが面倒くさいってどういうことだ?
予想外の答えに、僕が彼を見やれば、ばち、と目があった。一見、冷たそうに見える三白眼気味の瞳。しかし、親しくなってみれば、彼の邪険な態度は、敵意も悪意もないどころか、ただそう、人見知りゆえのものだと今は理解している。
「栄養偏りますよ」
「君だって、いつもトマト残してる」
僕の心配に、しかし藤谷先輩はにっと人の悪い笑みを浮かべて、指摘する。
まさか、彼に気が付かれていたとは思わなかった僕は、思わず目を見開く。
「……トマトが苦手ってわけじゃなくて、ミニトマトが苦手なんすよ」
「味変わんないじゃないの?」
「味よりも、口の中で中身が飛び出るのが嫌なんす」
子供じみた好き嫌いを指摘されて、言い訳がましく理由を述べる。
学生時代の先輩は、1学年の差以上に、成績に裏打ちされた頭の良さ、ぱっと見は冷酷そうな見た目なのに接してみれば予想外の穏やかさで、それなのに誰とつるむことなく、一人で行動していることが自立しているようで、誰よりも大人びていると思っていたから、なんだか恥ずかしくなったのだ。
「へぇ……? まあスキキライしてると身長伸びないよ」
そんな僕の気持ちを藤谷先輩が慮るわけもなく、彼は揶揄するように人の悪い笑みを浮かべてみせた。
何より、僕はまだ成長期らしい成長期がまだ来ていないことを指摘されたことが悔しかった。




