彼 -01-
鎖国初期の話。2/3部作
移動型人工浮島<ウラシマ>にて
整然と並んだ複数のモノリスを見下ろす。
おそらく世界で最も高性能なスーパーコンピュータ群だ。
かつて地球シミュレータとして、地球温暖化や地殻変動といった、文字通り地球規模でのシミュレーションに利用されていたスーパーコンピュータは、今、ヒトの思考をシミュレーションしている。
陽圧下にあるスパコンが並ぶエリアを隔てる強化ガラスに面して、設置された三枚の大型ディスプレイには、現代美術のような抽象的で一見無意味な、だけど緻密に意図して描かれる何かが表示されている。
時々唐突にその雰囲気を変えながらも、一連の流れがあるような、やっぱり前後の繋がりはないかのような、絶えず表示される動画は、二度と同じ造形にならない万華鏡を覗いているようだ、と言っていたのは誰だったか。
僕はその一枚をじっと見つめた。
いつものように、現代美術よりも難解なそれから何も読み取れない。
諦めて目を閉じると、浸かる海水に排熱しながら稼働しているそれらの音に耳を澄ます。
ここは海を漂う巨大な移動型人工浮島<ウラシマ>の最下層。もっとも太陽から遠い場所だ。
だけど、ここでは太陽に仕える巫女たちの思考が絶えず複製され、記憶され、そして、画像処理を行った後の結果が、このディスプレイに表示されているのだ。
「マンモスの記憶は見つかりましたか?」
ふいに声をかけられ、僕は目を開いて振り向く。
そこには、若き政治家がいた。仕立ての良いスーツに身を包み、爽やかな風貌だが、政治家らしく、どことないうさん臭さはぬぐえない。
防衛大臣に任命されたという男は、僕の隣へと並ぶとディスプレイを見やる。
「相変わらず万華鏡のようだ……あの方のは右端でしたっけ、」
「古池、おまえ、まだ帰ってなかったの?」
「そう邪見にしないでくださいよ、先輩。ひどいな」
「僕はまだお前を許してないんだ」
「……赦されるなんて思ってませんよ」
古池は高校と大学の一学年後輩で、裏切り者だ。
僕と彼女が出会ったのは、大学一年生の一般教養の授業でのことだった。
化石燃料から排出される炭素を有するガスの総量は、技術の革新と、なにより人類の生活活動が停滞に向かっていることで押さえられ、小氷河期がとっくに訪れていたことをようやく実感する程度には、春先の年間平均気温は、徐々に下がってきていた。それに伴い、年々桜の開花が遅くなっており、花の期間が短い桜の開花予想に気を配るのは変わらずの伝統だ。
その年は例年通りに開花宣言が発令され、関東にある大学の桜並木がようやく満開になった頃のことだった。
僕はいつものように最前列に陣取り、講義が始まるのを待っていた。
その時間の講義の担当は、授業開始のチャイムとともに教室に入ってくる時間にとても正確な名物教授で、そろそろ彼が現れると言うときに声をかけられた。
「すみません、詰めてもらえませんか?」
顔をあげれば、一人の女性が困った顔で手を合わせている。女性にしては少し低い、耳当たりの良い声だ。
僕は後ろを振り返った。意外に人気のある授業らしく、小規模な階段教室の席はほとんど埋め尽くされていて、確かに前方の席が少し空いているだけだ。
隣の席に置いていた荷物を持つと、僕は席を立った。
「中に入るならどうぞ、」
固定式の講義机は横に長く、僕が奥に詰めても良いのだけど、早めに来て取ったこの位置を譲る気はなかった。それでも彼女は、ぱっと表情を明るくして「ありがとうございます」と言って頭を下げる。ふっと、鼻先に石鹸みたいな清潔な香りが掠めた。
彼女の髪が揺れると同時に、ひら、と一片の花弁が机の上に落ちる。
楕円の先に切り込みが入ったハート型。
桜の花びらだ。
彼女はそれに気が付かずに、中の席へと滑り込んだ。
その後すぐに時間通りに来た教授が授業を始めると、彼女は焦ったようにバッグの中をあさり始めた。教授の目の前なので、正直言って目立つ。
「どうしたの、」
「タブレットPCの充電が切れてて……携帯用充電池も忘れちゃったみたい」
見かねて声をかければ、彼女は困ったようにつぶやいた。
机上に出された彼女の電子ノートの画面は起動していない。この講義は事前に資料データを配布するので、大体の学生は専用の電子ノートにあらかじめ保存している。講義もその資料に沿って進むので、電子ノートが使用できないとなると、わりと致命的だ。
彼女は諦めたように、紙製のノートと筆記用具を取り出した。
僕は自分のデイバッグからモバイルバッテリーを取り出すと彼女に差し出した。
「どうぞ。……よかったらだけど」
「え、いいの?」
「うん、もう一個あるし」
「ありがとう、助かる!」
彼女はほっとしたように微笑んでみせた。
彼女の安堵した表情を見て、素直に、かわいいな、と思ったことを覚えている。
授業が終わると、彼女はモバイルバッテリーを差し出してきた。
「本当にありがとう。すっごい助かりました」
「持ってていいよ。この後も授業あるんでしょ」
「でも、」
「この時間取ってるんだよね? 返すの次回でいいから」
僕の提案に、彼女は一旦、目を見開いて、差し出していた手を引っ込めると、モバイルバッテリーを握りこんで、ふふ、と笑った。
なんだかくすぐったいその笑い方に、僕は困惑する。
「……なに、」
「ん~ん、理学の人ってとっつきにくい人が多いと思ってたから意外で」
「なに、その偏見、」
「うん、偏見だった。こんなかわいいバッテリー持ってるなんて」
「かわいい?」
彼女の言葉に眉をひそめる。
僕が貸したのはごくシンプルな箱型の携帯用充電池だ。大容量タイプでそれなりに大きいけれど、その分容量も大きい。というか、設計容量が売り場で一番大きいものを買っただけなのだ。特にキャラクターを模してたり、イラストが印刷されているものではない。
だけど彼女はそっと手のひらを開いて笑う。そして、デスクに落ちていた花弁を拾って、モバイルバッテリーの上に置いた。
「うすいピンク、桜色」
「え?」
僕はびっくりして彼女の手の上を見つめた。
採光のために大きく設計された窓から差し込む陽光を受けて、その輪郭を明確にする桜の花びらとモバイルバッテリーは、僕の目は、そして僕の脳は白色だと認識している。
「……そうだったんだ。僕、それ白だと思ってたから」
「え?」
僕は彼女の手の中――バッテリーの上に置かれた花弁を取り上げた。
指先に触れるそれは、思ったよりもやわらかく、くた、としなる。
明度が高いそれは、まぎれもなく桜の花びらだ。そして、彼女の手の中にあるモバイルバッテリーは、その花びらと同程度の明度だということはわかる。
僕の網膜は、人よりも特定の錐体(※1)が少なく、可視光域の長波長側が可視できないのだ。だから、緑系統から赤系統の色の区別が苦手だ。特に、青みがない白っぽいと言われる曖昧な色や黒っぽいと言われる微妙な色は、すべて同じような弱い色と強い色に見える。
先天性の色覚多様性(※2)と診断されたのは義務教育の頃。
特に視力が悪いわけではない。赤から緑の区別がつかなくても、信号だって位置と発光しているか否かで判断できる。日常生活で判別できないことは、電子機器の充電ボタンが充電済み(緑)なのか充電中(赤)なのかくらいで、特に支障はない。これだって、充電中は点滅しているから問題はないのだ。
桜だって、淡いピンクに視えなくても、空に溶け込むような満開の盛りや、桜並木を見上げた時に僕らを見下ろすような咲き方、ちょっと風が吹けば散る花弁は、とてもきれいだと思っている。
だけど、たまに、本当にたまに、皆が見ている桜の色や、それこそ、雨上がりの空にかかるおおよそ2色の虹をみて、7色だと盛り上がる人たちに見えるそれを、少しだけ見てみたいと思うことも事実だ。
「万華鏡ね……、」
「……揺らぐ水面に絵具をひっくり返したようで一概に美しいとは思えませんが、」
僕は古池の言葉を無意識のうちに繰り返していたらしい。
詩的過ぎたと思ったのか、古池が照れ隠しのように悪態をついた。感受性が高いことを恥じる、学生の頃から変わらない彼の悪い癖だ。情緒豊かなことは人が人であることに起因する、素晴らしいことなのに。
「次の子がどういう絵を描くか、データは解析してみるよ」
古池が持ってきたジェラルミンケースの中に入っていたのは、彼女の予備である巫女候補たちの思考パターンテストと脳波の結果だ。
「もしかしたら、祖先の記憶が見つかるかもしれない」
僕の言葉に、古池は学生の頃を思い出させるような表情を浮かべた。
※1 錐体:錐体細胞のこと。網膜にある視細胞の一種。明るさと色調を感知する。
※2 色覚多様性:色覚特性、色盲、色覚異常などとも呼ばれることがある。2017年9月から日本遺伝学会により「色覚多様性」という呼称が提唱されていますので、そちらに準じています。
ヒトの色覚が正常色覚ではない事を示す診断名。日本人男性の5%程度、女性は数百人に1人の割合でみられる。




