女帝バシ・リサ 2
「どちらへ?」
「つい、楽しくてな。少し飲み過ぎた」
「失礼しました。どうぞ」
宮廷使用人が静かに扉を開けた。
扇子をクルクルと回し
「こっちか」
バシ・リサは楽しそうに風の向くままに歩き出した。
一迅の風が荘厳な扉を開いた。王の寝室だ。
「さすがだな。勇者よ」
バシ・リサは手を叩いて褒めた。
「厳重な警備があったと思いますが」
「なに、我に身惚れて気を失ったぞ。あと、バシ・リサと呼べ。許す」
エリーナは寝具の前でバシ・リサと対峙した。寝具には国王が床についていた。
「サンテール国王陛下だな。お初にお目にかかる。フラン帝国が女帝バシ・リサでございます。ご挨拶に参りました」
エリーナは無言で警戒の目を光らせた。
「わざわざご足労かたじけない。この歳ゆえ、ここから挨拶をさせてもらうがよいか」
国王はか細い声で言った。
「もちろんでございます」
バシ・リサは不敵な笑みを絶やさなかった。
「して、もう一人の勇者の顔を見たいのだが」
エリーナがヨシローを呼んだ。天蓋を支える柱の影からヨシローは歩み出て、バシ・リサの前で膝をつき
「アレクセーヴ公爵家エリーナ様の従者、ヨシローでございます。先程の無礼を許していただきたくお詫び申し上げます」
「かまわぬ。おもてを上げ。そちの顔をよく見せてくれるかの」
ヨシローは立ち上がり、しっかりと視線を合わした。
バシ・リサが扇子を構えた。風がいたる所で不規則に渦巻いた。
ヨシローは国王の前に壁になるように立ち塞がり、エリーナは置き物の甲冑から剣を引き抜いて構えた。
「おぬしたちを見てるとゾクゾクするな」
「バシ・リサ殿。どうするおつもりで」
「推し量るつもりじゃ。エリーナ嬢。そのレイピアはレプリカぞ。どうするつもりかの」
「わたしは騎士ではない。だがこの国を守る義務は果たす」
「ヨシローとやらは」
「わたしは、エリーナ様が国母になるために仕えております。国民あっての王とおっしゃるならこの国ごと守るために責務を果たします」
バシ・リサが目の色を変えて二人を見た。
「僥倖だな。見事じゃ」
パチンと扇子を開いて閉じた。風が収まり、静かになった。
「適当に聞き流してくれてよいのじゃが、我が国が保有する植物の苗が流出してしまっての。貴重なもんでもないんじゃが、成長が恐ろしく早くての。この国にあるとは限らんのじゃが見つけたら燃やしてくれんかの」
どのような形状とか名前は言わなかった。
「機密事項のものですね。わかりました」
バシ・リサを馬車まで送り、エリーナとヨシローはその場に座り込んだ。
「器がでかい」
「手の上で遊ばれましたね。疲れた」
あの場では勝てなかっただろう。どう戦っても負け戦しかイメージできなかった。
バシ・リサは至極ご満悦だ。
「大変嬉しそうですね。首は獲れなかったのでは」
馬車に待機していた参謀官がバシ・リサのキセルに火をつけた。
「面白いものに出会うた。この国の未来は明るいぞ」
「では、戦争はお辞めになるおつもりで?」
「国の民が飢えとるのじゃ。先代皇帝の尻拭いのため、今更辞めるわけにもいかぬ」
参謀官が馬車の小窓を開け煙を逃した。
「しかし、この国の至宝も見つけた。我の心をかき乱すほどのものよ」
サンテール・ル・ロゼ。
国王祭の影で起きた事件は闇に葬られた。無理もない。宮殿にいた全員が国王の命に何が起こったのか気づかなかったのだ。誰も責任から逃れたい。
エリーナは憂いてやまない。
国王祭のあとから、構内を歩いても講義を受けていても妙に皆から意図的に距離を置かれている。なんなら教室に一人にされることもあった。
「ヨシロー」
「エリーナ様。ここに」
まったく、いまさらだが学業を修めることが本分なのに何を影響されているのやら。
「何か知っているか。他の生徒が仰々しい」
「エリーナ様。国王祭で王太子殿下の婚約発表はご存知でしょうか。この手の噂は風のように広まっております」
(それか。命掛けで国王様をお守りしてるときに、なんと呆けたことを)
エリーナは頭を抱えてうずくまった。
「そんなにショックでしたでしょうか?独学の淑女の教養が間に合いませんでしたか」
(こいつは朴念仁だし)
エリーナの視線にヨシローは困惑した。
「貴賤結婚という言葉を知らないのか」
「多分。それで周りの方々の認識が分かれていることだと思われます。知らないのは当のお二人だけかと思います」
お花畑状態のジョンとメッサリナが学内に言いふらし回ったのが想像できた。聞かされた者たちの困惑する顔も容易に想像できた。国王祭の出席者も無様な顔をしていたことだろう。
バシ・リサがその場にいたなら、戦争は避けることのできない状況になっていたことだろう。
国王様の耳にだけは入れたくないことだ。お身体がもたない。
「くだらん。ヨシロー。ラブラブスイートフレーズ、炎の章、三十八項」
「大きい声でやめてくださいませ」
「三十八項」
エリーナのヨシローを見る視線が許さない。
「…オレがついてる」
「ふん。三点だ。イメージトレーニングは大事だぞ」
エリーナは命懸けの交戦と他所で起きていた茶番に疲労困憊となった。




