ヤミの4月【Ⅱ】
ホムラ。
下の名前は分からない。もしかしたらこれが下の名前なのかもしれない。
初めてあった時にあの人はホムラとしか名乗らなかったし、それ以降聞く機会も無かったので知らないままだ。あまり重要な問題でないと思う。
とにかくこれはホムラの話である。私がホムラと出会ってからこれまでの回想である。
ホムラは……初めから変な人だった。
†
始めの月。
出会った日から数日後、正確な日は忘れた。一週間以内ではあったと思う。
その日もふらふらと旧訓練所裏に立ち寄るとホムラは先に来ていた。
石段に腰掛けて何をするでもなくボケーっとサクラを見つめている。
「ん?なんだヤミか」
「わっ!」
花に夢中で気づかれてないと思ったから思わず声を上げてしまった。
いつの間にか、前を向いてたはずのホムラは背後の私に視線を向けている。
「えと……あの……いつもいるんですか?」
いつもと言えるほど長く観察してるわけではないし、誰から噂を聞いたわけでもない。ただ私が立ち寄ると彼女は必ずいるから気になるというものだ。
「んー、いつもはいないかな、気が向いたときだけだよ」
そう答えるホムラはもうサクラを見ている。私の方を見たのは私がテリトリーに足を踏み入れた一瞬だけだった。その瞬間だけホムラは野生動物のように神経をピリ付かせ、私だと分かるとすぐに肩と瞼の力を抜いてだらける。
オンオフの切り替えが上手いのか、単純に臆病で人の気配に過敏なのか、出会って日の浅い私には分からない。
「……ん」
その場で立っているのも気不味いのでホムラの隣に……人が二、三人分入るスペースを開けて腰を下ろす。
「もっと近くに座ればいいのに」
「へ? あ……いえっ……!」
自発的に近くに腰を下ろすという行為でも数日を要したのだ。さすがにそれはハードルががががががが。勘弁して欲しい、ぷすん。
「やっぱ私がいると気不味い?他に行ったほうがいいかな」
「いえっ! そんなことは……ない……です」
「良かった」
私の答えを聞いたホムラのは声だけ笑いながら呟く。私が本音を繕ってるとでも思ってるのだろうか。
緊張して上手く言葉にできないが決してそんなことはない、断じてない。
むしろ私はホムラの横が一番居心地が良いとさえ思う。
それは――
「ヤミ、角伸びた?」
「え?」
こういう所だ。
「う、うん、入団してから二センチくらいは伸びた……と思います」
「へ~、新共通規格で二センチ?」
「……うん」
「だよねぇ、ナイトルだともっと長くなるし」
ホムラはずいっと体を近づけて、私の髪の隙間から顔を覗かせる羊のような角をまじましと見つめる。完全に好奇心の目だ。キラキラしてる。
「今は大したことない、でも放っておくと伸び放題になるから切ったり削ったりする」
「痛くないの?」
「うーん……例えると爪に近いのかな。根本は血管も神経も通ってる、先の方になるにつれてただの硬い骨みたいな感じ……です。角の長さも形も人それぞれで、オシャレな悪魔は削り方や装飾で個性を出したりする……って母に聞いたことあります」
普段人間に話すこともない話を聞かれ、つい長く喋ってしまう。しどろもどろ感が否めない。
「ほ~、悪魔の世界も色々あるんだねぇ」
「は、はい……それで他には――」
そんな私の話をホムラは興味深そうに聞いてくれる。その行動には何の他意もない、自分の興味から来る行動。私はホムラのそういう素直な所が好ましい。
故郷で向けられた忌むような目線でも、この国に来てから向けられる生温い目線でもない。母以外でこんな目を私に向ける人は今まで出会ったことが無かった。
「で……角は触っていいのかな?」
「え? それはひゃぁあああっ!!」
ちょっと失礼な所もあるけど、これもこれで楽しいと思えた。
「や、やめ……くすぐったい……くくっ! ホムラさん、やめひっ!」
「良いではないか良いではないか~!」
「もうっ! ひゃうぅぅうぅ! ホムラさん……もう……」
「そのホムラさんって呼び方やめたら許したげる」
あ、悪い顔だ。
「分かりました! やめます、やめますからぁ!」
「よし」
ホムラはやっと私の角……というか頭全体をワシャワシャしていた手を話してくれる。
角の根元は弱いから困る、撫でられると背筋がゾクッとしてしまう。
「はぁ……はぁ……、ホムラさ――」
「ホムラ」
「うっ、ホムラ……は、怖くないの?」
私が無意識にこぼした質問にホムラは不思議な顔をして私を覗き込む。
「怖い?なにが?」
「ほら……私は悪魔だし……諸々の問題とか」
「……あー」
ホムラは石段の上であぐらをかき、腕を組んでうんうんとうなり始める
しまった。余計なこと聞いちゃったかな。
「うーん……」
やめとこう、別の話に切り替えて……。
「私は難しいことこと言えないけどさ、別にヤミは怖くないよ。むしろ可愛い顔してるなぁと思ってる」
「へ?あ、いや……その……」
「分かってる、そういう意味じゃないんでしょ? ヤミが聞いてるのは人間と悪魔っていう種族間でのお話」
「……うん」
「今の世の中は難しい時代だからね……。今まで出会うこともなかった種族同士が出会って、新しい法律もできて、異種族って扱い自体がデリケートになってる」
「でもまぁ……」
そう区切ると、ホムラは私が予想してなかった切り口で話し出す。
「私に言わせれば、ちょっと規則の方が急ぎ過ぎてるよ」
「え?」
「もちろん早めに早めに制度を作ったほうが良いに決まってる。戦争中には他国から不当な扱いを受けた異種族も少なくはなかったらしいし。ただね、人を受け入れるのは制度じゃない、人自身なんだ」
「人……」
「そう、前々から大陸全土を駆け回ってたお偉いさん方と違ってさ、私たち庶民にとっての異種族はまだまだ未知の存在なんだよ。そして未知の存在ってはそれだけで受け入れがたい」
ホムラの言ってることは分かる。実際の人となりなんて関係なく、見た目から拒絶反応が出てしまう。けれどそれは特別悪いことじゃない、生命として当然の生理的反応だ。
「お偉いさん方が急ピッチで法律を作ってるのは彼らなりの経験、種族が混合した戦場で見た哀しい経験が元になってるんだと思う。でも彼らの経験と私たちの経験は違う。大部分の国民は未知で無知で……お互いどう接していいのかすら分からない。そこに相手を丁重に扱えという旨の法律がポンポン作られていく」
どこか遠いを目をしたまま、ホムラは言葉を選んで続ける。
「未知の相手を傷付けないようにする。それってすごい難しいことだよ? だって相手が何を喜んで何を嫌うかさえ分からない、自分の何気ない言動が予期しない事態を生むかもしれない。どうしたって神経使うし、デリケートになるし、扱いは遠巻きなものにならざるを得ない」
そう、正にそれが私の感じていた遠巻きな生温い空気の原因。
ホムラは人間側だというのにそれに気づいているんだ……。
「分かる……よ。国を出て生きる異種族の人たちは、実際苦労してると思う。不当な扱いを受けてるわけじゃないけど……なんというか、窮屈な空気が抜けないらしい」
私が体験したわけではない、里を出る前に人伝に聞いた話。
「共同参画社会がスローガンだから、家探しも仕事探しも苦労することはない。むしろ大家さんも雇い主も初めはニコニコと親切にしてくれる。普通の人より良い条件の物件や仕事にもありつけるらしい。だけどいざ過ごしてみると……殆どいない者として扱われる」
「……いない者?」
「近所付き合いが無いどころか、挨拶しようとしてもそそくさと避けられる。仕事場でも任せられるのは誰でも出来るような意味のない仕事ばかり。1人に部屋で黙々と1日を過ごし、家に帰っても1人の孤独な生活」
「まぁ……典型的な当たり障りのない接し方だね。不自由はさせない代わりに、必要以上に関わらないし自分たちの生活にも関わらせない。仕事でも危ないことさせて怪我でもされたら大変だ」
「も、もちろん一部の例ですよ……。私みたいに特別な待遇を与えてもらってる人もいるし……」
それに――
「決して……悪い暮らしではないと思うんです」
私は率直な意見を述べる。
確かに窮屈な生活ではある。だけどそれ以下の差別を受けるよりは全然マシだ。
充分な恩恵は受けてるし、余計な干渉を受けたくない人にとってはむしろ好ましい生活だろう。
文句がないと言えば嘘になる。でも困惑してるのは人間の人たちも同じ。そう思えばグッと飲み込めないことはない。
少なくとも……人間のホムラがここまで嫌悪に染まった顔をする話ではないはずだ。
「そう……だね」
初めて見るホムラの顔、だがその顔はすぐに柔和な笑みの中に消えていく。
「でもさ、きっとそれが大人ってことなんだろうね」
「…………大人?」
「色々割り切って、建前と本音を使い分けて、なるべく円滑に物事を進めようとする。今の社会だってきっとそう。お互いの距離の図り方を、心の仮面を隔ててゆっくり探ろうとしている。衝突を避ける上手いやり方」
悲しい目をしたホムラは力なく呟く。
「私には――到底ムリな話だよ」
それはただの伝聞で世の中を批判する暇人の目ではない。ホムラがこの目をするようになった出来事が彼女の過去にあるのだろう。出会ったばかりの私には到底踏み入ることのできない場所に……。
「あ!ごめんね、なんか暗くなちゃった」
「う、ううん!私も変なこと聞いてごめん……」
「まぁ要するにだ。社会がどんなんだろうと、私とヤミの個人的な間には関係ないってこと。私は全然怖くないよ、そりゃっ!」
「ひゃぁぁぅ! もーあたまワシャワシャするのはやめてぇ!」
「くくくくっ」
「笑い事じゃないですって……」
ぷくっと頬を膨らませた私の頭にホムラはポンと手を起き、同じ目線で笑いかける。
「だからさ、私にくらいは本音を話してもいいんだよ?」
「…………うん」
思わず赤くなる顔を隠そうと私はゆっくりとうつむく。
やっぱりホムラの隣は居心地がいい、ホムラの手は気持ちがいい。
ホムラの言葉はスーッと私の心に入り込んでくる。
その時私の頭に、故郷を出る際に言われた母の言葉が浮かんできた。
『いいかいヤミ。外で一番信用しちゃいけないのは、あなたに甘い言葉をかける人よ』
『居心地の良い雰囲気、気持ちのいい態度、耳障りのいい言葉に気をつけなさい』
『特に数回会っただけで、あなたの全てを分かってるなんて人は――』
うん、分かってるよ……お母さん。
「ヤミ……?」
ホムラの優しさは私にとって都合が良すぎる。
私の作り出した幻覚か何かでも無い限りこんなのはあり得ない。
きっとホムラには私の知らない裏があって、何か目的があって私に笑顔を向けている。
でもね。それでも良いんだ。
「ううん、なんでもないっ」
ホムラの私に対する気持ちが……たとえ嘘だとしても。
私は――それだけで前を向けるから。




