第7話 守る場所、狙う場所
「なら、うち来りゃええ」
ジュゼッペは、まるで夕飯にでも誘うような調子で言った。
サーシャ夫妻を自宅へ戻すわけにはいかない。最初の襲撃は警察と警備で防いだものの、その直後に車を爆破されている。
病院に置き続けるのも現実的ではなく、マルコたちは退院後の避難先を検討していた。
「ベッリーニさんのご自宅ですか?」
「ああ。なんかあったら来いとは前から言っとったしの」
ヴィットリオが眉を上げた。
「お前、そんなこと言ってたのか?」
『言ったぞ』
「俺は聞いてねぇ」
『お前に言ったんじゃないからの』
「なんでちょっと仲間外れにされた気分にならなきゃなんねぇんだよ」
電話越しに、ジュゼッペの笑い声が響いた。
少しして、その声がふいに続ける。
『……ヴィットリオ』
「なんだ」
『また家くれや』
ヴィットリオの顔が固まった。
「は?」
『前にもくれたじゃろ』
「一回やったら二軒目も貰える制度じゃねぇんだよ!」
『なんじゃ。みんな匿うのにそんなこと言うんか』
ジュゼッペは、いかにも傷ついたと言わんばかりに深いため息をついた。
『わしは寂しいぞ』
「その寂しさ、家一軒で埋めようとすんな!」
『ケチじゃのぉ』
「人ん家一軒もらっといて言う台詞か!」
『じゃあ食費払え』
「切り替え早ぇな!」
ルカは二人のやり取りを聞き流しながら、手元の端末へ視線を落とした。画面には、ベッリーニ家周辺の情報が並んでいる。
「候補としては悪くありません。ベッリーニさんはファミリーの構成員ではありませんし、表向きは引退した元仕立屋です。ロマーノ家との関係をかなり深く調べない限り、避難先としては目立ちにくい」
『そういうことじゃ』
ヴィットリオが目を細める。
「お前、今絶対そこまで考えてなかっただろ」
『考えとったわ』
「嘘つけ」
『酒も頼むぞ』
「やっぱ考えてねぇじゃねぇか!」
こうして、サーシャ一家の一時的な避難先はジュゼッペ・ベッリーニの家に決まった。
*
移動する時は、全員が少しだけ普段と違う格好をした。
帽子に眼鏡、上着。髪型も少し変える。
映画のような変装ではない。遠目に見た時、いつもの印象から外れる程度で十分だった。
サーシャの夫は、まだ身体のあちこちを固定されている。それでも歩けると言い張った。
「無理しないでよ」
「してない」
「さっき階段で三回止まったじゃない」
「景色見てた」
サーシャが辺りを見回した。
「病院の廊下で?」
夫の目が一瞬泳ぐ。
「……壁が綺麗だった」
横を歩いていた青年が吹き出した。
「父さん、言い訳下手すぎ」
「お前にだけは言われたくない」
「なんで?」
夫は痛む身体をかばいながら、息子を睨んだ。
「病院の四階まで窓から来た奴が何言ってんだ」
「ちゃんと着いたじゃん」
「そういう問題じゃないのよ!」
サーシャの突っ込みが即座に飛ぶ。
先頭を歩いていたジュゼッペは、そのやり取りを聞きながら肩を揺らしていた。
住宅街へ入ったところで、青年が周囲を見回す。
「この辺って店多いの?」
「なんでじゃ?」
「なんか配達の車多くない? トラックも結構見るし」
「ああ。近くに店もあるからの」
「へえ」
青年は一台のトラックを目で追ったが、それも数秒だけだった。
ジュゼッペは少し先を歩いてから、ふと思い出したように言う。
「そういや、この近くの花屋はええぞ」
「花屋?」
「評判もええし、センスもええ。花なんぞ何も分からんでも、誰に何渡したいって言えば相談乗ってくれる」
青年が怪訝な顔をした。
「なんで俺に花屋の話してんの?」
「今後のためじゃ」
「何の?」
ジュゼッペは振り返りもせず答えた。
「女口説く時に困らんように」
「急にナンパ講座始めんなよ!」
「準備は大事じゃぞ」
「今それ必要!?」
「お前さんの場合は特にの」
「なんで会って数日でそこまで言われなきゃいけないんだよ!」
ジュゼッペは答えず、楽しそうに歩き続けた。
*
家へ着くと、ソフィアが玄関で待っていた。
「遅い」
「怪我人がおるんじゃぞ」
「あんたが一番遅かったでしょ」
「景色見とった」
その言葉に、サーシャの夫が思わずジュゼッペを見る。
ジュゼッペも見る。
ほんの一瞬、妙な連帯感が生まれた。
「そこで分かり合わないで」
ソフィアが一刀両断する。
その後ろから、エリザが顔を出した。
青年と目が合う。
「あ」
「あ」
以前に一度だけ会っている。
その時、青年は祖父ヴィットリオの話を散々した。
そしてエリザから、
――ロマーノさんがすごいのは分かった。で、あんたは?
と、真正面から刺されている。
忘れようにも忘れられない。
ジュゼッペが荷物を置きながら青年を見る。
「そういや、お前さん」
「何?」
「名前なんじゃった?」
「今さら!?」
青年の声が裏返る。
エリザも少し考えてから言った。
「……そういえば、私も知らない」
「お前も!?」
「だって、ずっと“ロマーノさんの孫”だったし」
「俺、一応ちゃんと人間なんだけど」
青年は少し肩を落としたあと、気を取り直すように姿勢を正した。
「テオドーロ・コスタ。テオでいい」
「テオ」
エリザが確かめるように、ゆっくりその二文字を口にする。
ただ名前を呼ばれただけなのに、テオは妙に落ち着かなくなって、帽子のつばへ指をやった。
エリザはそんな様子には気づかず、ふっと口元を緩める。
「……やっとロマーノさんの名前じゃなくて、あんたの名前聞けたわ」
テオの指が止まった。
軽く返すつもりだったのに、思っていたより深く刺さった。
前に彼女から言われた言葉を、ちゃんと覚えていたからだ。
「……それ、結構刺さるな」
「だって前は本当に、おじいちゃんの話ばっかりだったじゃない」
「否定できねぇ……」
テオは頭をかきながら、少しだけ照れくさそうに笑った。
「じゃあ、よろしく。エリザ」
今度はエリザの表情が止まる。
「……なんで私の名前知ってんのよ」
「聞いた」
「誰に?」
「お前の友達」
「なんで?」
テオは一度だけ視線を逸らした。
言ってから変に思われるかもしれない、くらいの考えは一応あった。
それでも、誤魔化す方が面倒だった。
「お前のこと、もっと知りたかったから」
今度はエリザが黙る番だった。
ほんのわずかに目を見開いたあと、視線だけが横へ逃げる。
「……何?」
「そういうこと、普通に言うのね」
「変か?」
「距離の詰め方が雑なのよ」
少し離れたところで、その一部始終を見ていたサーシャが夫の腕を軽くつついた。
夫もすでにこちらを見ていた。
目が合う。
どちらからともなく口元が緩む。
「見た?」
「見た」
夫が少し得意げに顎を上げた。
「俺に似たんじゃない?」
サーシャは一秒も考えなかった。
「ナンパ下手なところは、あなたにそっくりよね」
「そこだけ!?」
夫が思わず身を起こす。
「俺だって若い頃は――」
サーシャが笑いながら、その肩を軽くぺしっと叩いた。
「いっ……!」
一瞬で夫の顔から得意げな色が消えた。
肩を押さえ、その場で小さく身体を丸める。
「あ」
サーシャの笑顔も固まった。
「そこ……まだ痛い……」
「ご、ごめん。一番重症なの忘れてたわ」
「忘れないで……」
先ほどまで息子を見てにやついていた男は、今や玄関先で静かに痛みに打ちひしがれていた。
その気配にテオが振り返る。
「父さん、何してんの?」
「……母さんに殺されかけた」
「大げさよ」
「今の俺には大げさじゃない……」
「何ニヤニヤしてたんだよ」
「別に?」
「なんでもないわよ」
「絶対なんかあるだろ!」
横で聞いていたジュゼッペが首を傾げた。
「なんじゃ、お前ら自己紹介しとらんかったんかい」
「してないわよ」
「ああ、でも広場で拾った時には、テオはエリザの名前知っとったな」
テオがゆっくりジュゼッペを見る。
「……拾った?」
「拾ったじゃろ」
「俺、拾われたの?」
「広場におったからの」
「落とし物みたいに言うなよ!」
「ヴィットリオの孫が落ちとったから拾ったんじゃ」
「余計ひどい!」
ソフィアが玄関の奥から顔を出した。
「いつまでそこで騒いでるの。早く入りなさい」
「はい」
全員が素直に従った。
*
避難生活は、思った以上に暇だった。
外へ自由に出ることはできない。
必要な物は警察やルカの会社側が手配する。
怪我人は休む。
ソフィアとサーシャは家の中を整え、エリザもそれを手伝う。
そしてジュゼッペは、暇だった。
「テオ」
「何?」
「暇じゃし、お前さんのナンパスキルをエリザに判定してもらうぞ」
「なんで本人に!?」
台所からエリザが顔を出した。
「何の話?」
「こいつの口説き方が下手なんじゃ」
「まだ何も口説いてねぇだろ!」
「さっき十分やっとったぞ」
「どこが!?」
「もっと知りたかったから友達に名前聞いた、とか」
テオが固まる。
エリザも少しだけ顔を逸らした。
「もう一回言うなよ!」
「教材は具体的な方がええ」
「誰が教材よ」
エリザが腕を組む。
「私は嫌よ」
ジュゼッペがテオを見る。
「ほれ。断られた」
「授業始まる前に終わった!」
ジュゼッペは楽しそうに笑いながら椅子へ腰を下ろした。
「ええか。決まり文句覚えても仕方ないんじゃ。相手を見ろ」
「見る?」
「誰にでも言えること言うても意味ないじゃろ。“綺麗ですね”“可愛いですね”なんぞ、相手が変わっても使える」
テオが黙る。
エリザが横目で見る。
「今それ言おうとしてた?」
「……少し」
「零点」
「まだ言ってない!」
ジュゼッペは肩をすくめた。
「財布を見る仕事じゃない。人を見る仕事じゃ」
「元スリが恋愛指南に使っていい言葉じゃねぇだろ」
「人を見るっちゅう意味では同じじゃ」
「説得力あるような、ないような……」
エリザが吹き出した。
テオはその顔を見たあと、ふと彼女の手元へ視線を落とす。
「あれ?」
「何?」
「お前、爪切った?」
エリザは反射的に自分の指先を見た。
「……よく気づいたわね」
「前はもうちょい長かっただろ」
「覚えてたの?」
テオは何でもないように頷いた。
「うん。あの時、肌にすげぇ馴染む色のマニキュアあるんだなって思ったから」
エリザの指先が止まる。
さっきまで呆れ半分だった目が、ほんの少しだけテオを見直すように上がった。
「……肌に馴染むマニキュアって何よ」
「え?」
「褒めてるの、それ」
「褒めてるけど」
テオは本気で分かっていない顔をしている。
エリザは数秒それを見つめてから、堪えきれずに笑った。
「なんか美容部員みたい」
「そんなつもりねぇよ!」
ジュゼッペは二人を見比べ、顎を撫でた。
「ほう。素材は悪くないのぉ」
テオがすぐに食いつく。
「じゃあ何がダメなんだよ」
「喋り方じゃ」
テオの肩が落ちる。
「致命傷じゃん……」
エリザがまだ少し笑いながら言う。
「まあ、今のは前よりいいんじゃない?」
テオがぱっと顔を上げた。
「マジで?」
「ちゃんと覚えてたのはね」
「じゃあ何点?」
「採点するの?」
「ここまで来たら気になるだろ!」
エリザは少し考えた。
「……四十点」
「低っ!」
「上がったぞ」
ジュゼッペが言う。
「元何点だよ!」
「三十五くらい」
「五点しか上がってねぇ!」
テオが頭を抱える。
ジュゼッペは満足そうだった。
「この件が終わったら、花でも買ってやれ」
「花?」
「あいつ、白い薔薇好きじゃぞ」
「ちょっと、おじいちゃん」
エリザが眉を寄せる。
「なんじゃ」
「勝手に言わないでよ」
「困ることでもないじゃろ」
テオは一度頷いた。
「白い薔薇ね」
「覚えなくていいから!」
「もう覚えた」
「なんでそこだけ記憶力いいのよ!」
ジュゼッペは楽しそうに笑った。
外では、また一台、運送トラックが住宅街を通り過ぎていった。
誰も、それを気に留めなかった。
*
同じ頃。
別の場所では、複数の画面に映像が並べられていた。
病院。
広場。
道路。
何度も巻き戻され、止められ、また再生される。
「止めろ」
映像が止まった。
病院の四階。
窓際に現れた青年。
「こいつだ」
男が資料へ目を落とす。
「テオドーロ・コスタ。二十二歳」
「コスタ?」
「母親がサーシャ・コスタ。旧姓ロマーノ」
さっきまで椅子に深くもたれていた男が、ゆっくり身体を起こした。
「……ロマーノの孫か」
「ああ」
次の映像へ切り替わる。
広場。
テオの近くに、一人の老人がいる。
「戻せ」
映像が巻き戻った。
老人が一人目の男の近くを通る。
少し後に二人目。
三人目。
四人目。
そしてその後、四人は揃って自分の服や懐へ手をやり、何かを探し始めていた。
男の視線が細くなる。
「この爺さんは?」
資料を持った男がページをめくる。
「ジュゼッペ・ベッリーニ。七十歳。元仕立屋。ファミリーへの所属歴はありません。成人後の犯罪歴も――」
「待て」
低い声が、それを遮った。
部屋の奥にいた男が顔を上げる。
先ほどまでほとんど口を開かなかった、《灰潮》のボスだった。
「今、何て言った?」
資料を持つ男が一瞬戸惑う。
「……ジュゼッペ・ベッリーニです」
ボスの視線が、画面の中の老人へ移った。
何食わぬ顔で歩く、小柄な老人。
しばらく誰も口を開かなかった。
やがて、ボスが低く呟く。
「……まだ生きてやがったか」
周囲の男たちが顔を見合わせた。
「知ってるんですか?」
「四十二年前だ」
ボスは椅子から立ち上がり、ジュゼッペの写真を手に取った。
「ロマーノが撃たれた夜。あいつを拾った男だ」
空気が変わる。
「ロマーノを?」
「ああ」
写真を見るボスの目から、温度が消えた。
「本来なら、あそこで終わってた」
指先が、写真の端をゆっくり撫でる。
「こいつが余計なことをしなけりゃ、その後の四十二年はなかった」
誰も口を挟まなかった。
ボスは写真を机へ戻す。
「四人から得物を抜いたのもこいつか?」
「映像を見る限り、その可能性が高いです」
「昔からそういう男だった」
「ファミリーではないんですよね?」
「違う」
答えは即座だった。
「ロマーノの人間じゃない。昔からな」
「ならカタギですか」
ボスは鼻で笑った。
「カタギが撃たれたマフィアを拾って、四十二年も付き合うか?」
部屋が静まる。
「ファミリー関係者じゃない。だが、完全なカタギとも言えねぇ」
その時、別の写真が机へ置かれた。
黒いスーツ姿の男。
「それと、こいつです」
ボスが視線を移す。
「ルカ・モレッティ。三十八歳」
「ファミリーか?」
「扱いとしては、ロマーノの副官に近いです」
ボスの眉がわずかに動く。
「副官?」
「ただし、裏の仕事はほとんどやっていません」
「副官なのにか?」
「ガキの頃からロマーノのそばにいたそうです。経営学、会計、人の使い方――それに総合格闘技まで、ロマーノ本人から教えられていたらしい」
別の資料が開かれる。
「現在は会社経営。情報、マーケティング、セキュリティ関連が主な事業です。犯罪歴はありません」
数秒、誰も口を開かなかった。
ボスは写真の中のルカを見つめる。
「裏の仕事には入れず、経営を教えて、身体まで鍛えさせた」
指先で写真を軽く叩いた。
「……こいつが後継者か?」
「可能性はあります」
「そういや、ロマーノの娘を護衛してたところか?」
「あの警備も、モレッティの会社が入っています」
ボスはしばらく考え込んだ。
やがて、ルカの写真を机の端へ押しやる。
「こいつらは後だ」
「後継者かもしれませんよ」
「だからだ」
ボスは冷たく返した。
「警備会社ごと相手にすりゃ時間がかかる。今すぐ潰す相手じゃねぇ」
代わりに、別の写真へ手を伸ばす。
テオドーロ・コスタ。
「それより、確実にロマーノにダメージを与えられるところからやる」
その隣へ、サーシャ・コスタの写真が置かれる。
「孫」
指が移る。
「娘、サーシャ・コスタ」
そして最後に、ジュゼッペ・ベッリーニ。
ボスの指先が、その写真の上で止まった。
「……それと、四十二年来の友人」
「友人なんですか?」
ボスは一瞬だけ黙った。
「知らねぇよ」
低い声だった。
「だが、四十二年だ」
ジュゼッペの写真から目を離さない。
「どうでもいい相手と、そんなに長く付き合うか?」
誰も答えなかった。
別の男が口を開く。
「それに、この爺さんの家に三人入ったらしいです」
ボスが顔を上げる。
「三人?」
「男二人、女一人」
机の上へ写真が並べられる。
サーシャ。
その夫。
テオ。
「孫と娘夫婦が避難してるなら、それだな」
「人数も合います」
ボスはジュゼッペの家の写真を引き寄せた。
ロマーノの娘。
その夫。
孫。
そして、四十二年前にヴィットリオ・ロマーノを生かした老人。
一ヶ所に揃っている。
「……都合がいい」
「モレッティは?」
ボスは、机の端に追いやったルカの写真を一度だけ見た。
「後だ」
その視線が、再びジュゼッペの家へ戻る。
「まずはこっちだ」
指先が、ジュゼッペ・ベッリーニの写真の上で止まった。
「四十二年前の借りも、まとめて返してもらう」
部下が短く頷く。
「いつやります」
ボスはしばらく写真を見下ろしていた。
やがて、低い声が落ちた。
「今夜だ」
ようやく孫の名前が判明しました。
ここまでずっと「孫」呼びでしたが、皆さんはどんな名前を想像していましたか?




