第5話 受け継がれる血
ヴィットリオ・ロマーノの孫は。
命を狙われていた。
本人はまだ、それを知らない。
「ねえ、もしよかったらこのあと――」
そして今。
女を口説いていた。
場所は、街でも有名な待ち合わせ広場。
待ち合わせだけならまだいい。
いつからか若者が集まり、声をかけ、声をかけられ。
週末ともなれば、恋人探しなのか暇つぶしなのか分からない人間で溢れ返る。
要するに…
ナンパスポットだった。
「俺、この辺詳しいからさ。いい店知ってるよ」
「ごめんなさい、待ち合わせしてるので」
「あ、そっか。じゃあ――」
「ごめんなさい」
「はい」
去っていく女を見送る。
少し離れたところで。
ジュゼッペ・ベッリーニは、その一部始終を眺めていた。
「…………」
なるほど。
ヴィットリオの孫である。
顔はいい。
背も高い。
服も悪くない。
祖父譲りの、少し垂れた目。
目元のほくろ。
若い頃のヴィットリオを知っている人間なら。
血縁だと気づいても、おかしくない。
むしろ…
ジュゼッペには、一目で分かった。
顔だけなら。
四十二年前。
道端に血まみれで転がっていた、二十六歳のヴィットリオを思い出す。
なのに…
「なんであんなに下手なんじゃ……」
ジュゼッペには理解できなかった。
ヴィットリオは若い頃、もっと自然だった。
目が合えば笑う。
話しかける。
相手が嫌がれば引く。
興味を持たれれば、もう一歩だけ近づく。
それだけだった。
孫は違う。
力んでいる。
喋りすぎる。
そして何より―
自分を大きく見せようとする。
「ちなみに俺のじいちゃん――」
ジュゼッペの眉がぴくりと動いた。
「……エリザが言っとったの、本当じゃったんか」
女はその先を聞く前に、やんわりと断って去っていった。
孫は少し残念そうに見送る。
ジュゼッペは呆れたように鼻を鳴らした。
「で、お前自身の名前はいつ名乗るんじゃ」
もちろん、聞こえる距離ではない。
「なんで自分の名前を名乗るより先に、ヴィットリオの名前を出すんじゃ……」
顔は似ている。
血縁だと分かるくらいには。
なのに―
女の口説き方だけは、まるで似ていない。
「そこは遺伝せんかったんか……」
ジュゼッペは小さくぼやいた。
そして―
視線だけを動かした。
一人。
二人。
三人。
四人。
少し離れた場所にいる男たち。
別々の場所に立っている。
互いに話もしない。
だが―
見ている場所が同じだった。
女ではない。
広場でもない。
ヴィットリオの孫。
「…………」
ジュゼッペの目が細くなった。
財布を見る仕事ではない。
人を見る仕事だった。
昔から…
誰が周囲を見ているか。
誰が見ていないふりをしているか。
誰が何を気にしているか。
そして―
何を、一番触られたくないと思っているか。
そういうものを見てきた。
四人の男は。
何度も同じ場所へ手をやっていた。
ジュゼッペは歩き出した。
*
数分後。
「ねえ、君一人?」
孫は懲りずに次の女へ声をかけていた。
「友達待ってます」
「そっか。じゃあ友達来るまで――」
肩を叩かれた。
振り返る。
知らない老人がいた。
「お前さん」
「はい?」
「ヴィットリオの孫じゃろ」
孫の顔が明るくなった。
「じいちゃん知ってんの!?」
「四十二年ほどな」
「マジで!?」
ジュゼッペは顔をしかめた。
「声がでかい」
「あ、ごめん」
遅い。
ジュゼッペはため息をついた。
「お前、あちこちで爺さんの名前使っとるらしいな」
「え?」
「女口説くのに」
孫の顔が引きつる。
「……なんで知ってんの?」
「うちの孫にもやったじゃろ」
「…………」
「エリザじゃ」
「…………あ」
思い出したらしい。
「あの子のおじいちゃん!?」
「そうじゃ」
孫はジュゼッペを上から下まで見た。
「え、じゃあ本当にじいちゃんの知り合い?」
「さっきからそう言っとるじゃろ」
「いや、でも四十二年って――」
「お前の爺さんが道端に落ちとった頃からじゃ」
「じいちゃん道端に落ちてたの!?」
「血まみれでな」
「初耳なんだけど!?」
「そりゃ本人に聞け」
ジュゼッペは、ちらりと背後を見る。
四人。
まだいる。
ただ…
先ほどまでとは様子が違った。
一人が上着の内側を探り。
もう一人が、青ざめた顔で腰元を確かめている。
残る二人も似たようなものだった。
その様子を横目に。
ジュゼッペは、ふっと鼻で笑った。
何食わぬ顔で、孫へ向き直る。
「とにかくじゃ。爺さんの名前をあちこちで言いふらすのはやめとけ」
「なんで?」
「今は特にな」
「今?」
「説明はあとじゃ」
「いや、気になるんだけど」
「あとじゃと言っとる」
その時。
「ジュゼッペ!」
聞き慣れた声が、広場に響いた。
ジュゼッペの肩が跳ねる。
「……げ」
孫が首を傾げた。
「誰?」
「嫁じゃ」
「なんでそんな顔してんの?」
「五十年一緒におれば分かる」
「何が?」
「色々じゃ」
人混みの向こうから。
ソフィア・ベッリーニが歩いてきた。
*
――ない。
男はもう一度、上着の内側へ手を入れた。
ない。
指先が触れるはずのものが、そこにない。
そんなはずがなかった。
さっきまで確かにあった。
男は顔を上げた。
少し離れた場所にいる仲間と目が合う。
そいつも青ざめていた。
腰元を確かめている。
その向こうでは、もう一人が何度もポケットへ手を入れていた。
最後の一人も同じだった。
四人全員。
得物が消えている。
「…………」
あり得ない。
誰かが盗った。
なら…
誰が。
男は周囲を見回した。
人は多い。
若者。
観光客。
待ち合わせ中らしい男女。
誰もこちらを見ていない。
少なくとも
見ているようには見えない。
視線を標的へ戻す。
ヴィットリオ・ロマーノの孫を名乗っている若造。
その隣には…
いつの間にか老人が一人いた。
知らない顔だ。
本物かどうか。
そんなことは、もうどうでもよかった。
本物なら殺す。
偽物でも殺す。
ヴィットリオ・ロマーノの孫を名乗っている。
人前で、あの男の名前を吹聴している。
それだけで十分だった。
間違っていたなら。
後で分かる。
その時にはもう、本人はいない。
男は奥歯を噛んだ。
得物がない。
誰に抜かれたのかも分からない。
四人まとめて。
気づかれもせずに。
気味が悪い。
だが―
相手はただの若造一人。
その隣にいるのも、ただの老人。
こちらは四人。
得物がなくても。
やれない相手には見えない。
それに…
帰れない。
何もせず戻れば。
今度は自分たちがボスに殺される。
やるしかない。
その時だった。
「ジュゼッペ!」
女の声が飛んだ。
老人の肩が跳ねる。
「……げ」
人混みの向こうから、一人の老婆が近づいてきた。
「こんなところで何しとるの!」
「散歩じゃ」
「嘘おっしゃい!」
「なんで分かるんじゃ」
「五十年あんた見てるのよ!」
……夫婦か。
男は目を細めた。
ただの老夫婦。
それも…
人目も憚らず夫婦喧嘩を始めるような。
気にする必要はない。
得物が消えた理由は分からない。
だが、
今やることは変わらない。
標的を始末する。
男は仲間へ視線を送った。
一人。
二人。
三人。
返事はない。
必要もなかった。
三人とも、こちらを見た。
それだけで十分だった。
一人が、わずかに左へ動く。
もう一人は人混みに紛れながら右へ。
残る一人は、標的の背後へ回り込むように距離を詰めた。
男自身も。
何食わぬ顔で歩き出す。
一歩。
また一歩。
若造は気づいていない。
老人は老婆と言い争っている。
老婆の方も。
こちらなど見ていない。
四人で囲む。
距離を詰める。
一気にやる。
それだけだった。
あと少し。
四人が一斉に届く距離まで。
男が、最後の一歩を踏み出した。
その時。
足元へ何かが転がってきた。
老婆が、それを避けるように半歩だけ横へずれた。
本当に
それだけだった。
前を歩いていた通行人が、それを避ける。
その肩が別の人間へ当たった。
手にしていた飲み物が傾く。
中身が地面へこぼれる。
仲間の一人が足を滑らせた。
「おい――」
咄嗟に伸ばした手が。
別の仲間の服を掴む。
引かれた男が体勢を崩す。
それを避けようとした三人目が、横からぶつかった。
男は反射的に一歩下がった。
その踵が
何かに引っかかった。
「――っ」
身体が大きく傾く。
咄嗟に手をつこうとした。
間に合わない。
肩から地面へ叩きつけられた。
一拍遅れて
後頭部に鈍い衝撃が走る。
「ぐっ……」
息が詰まった。
肩が痛い。
頭の奥がぐらつく。
耳鳴りがする。
霞んだ視界の端に
仲間が一人、地面に転がっている。
もう一人も
その向こうにも
四人いた。
相手は若造一人。
途中から老人一人。
老婆一人。
それだけだ。
そのはずだった。
なのに
得物は消えた。
仲間は全員倒れている。
自分まで地面に転がっている。
「すげぇ……」
若造の声が聞こえた。
妙に遠い。
「違うわよ」
老婆の声。
「私は何もしてないわよ!」
老人が感心したように言った。
「さすがじゃのぉ」
「あんたまで何言ってんの!!」
男は霞む視界の中で
老夫婦を見た。
何もしていない老婆。
いつ現れたのか分からない老人。
消えた四人分の得物。
地面に転がる仲間。
頭を動かすたび。
後頭部に鈍い痛みが響く。
――誰だ。
あの老夫婦は。
そう思ったところで。
男の視界は、ゆっくりと暗く沈んでいった。
*
「……さて」
ジュゼッペは地面に転がった四人を見た。
「警察に回収してもらうかの」
「いや待って!?」
孫が叫ぶ。
「何だったのこの人たち!?」
「知らん」
「知らないの!?」
ジュゼッペは携帯電話を取り出した。
番号を押す。
数回の呼び出し音。
『はい』
「マルコか」
数秒。
沈黙。
『……ベッリーニさん?』
「そうじゃ」
『……なんで私の電話番号知ってるんですか?』
「そんなことはどうでもええ」
『よくありません』
「人を四人回収してくれ」
『人を荷物みたいに言わないでください』
「勝手に倒れたんじゃ」
『…………』
マルコが黙った。
『今、奥様は一緒ですか?』
「おるぞ」
『代わってください』
ジュゼッペはソフィアへ携帯を渡した。
「マルコじゃ」
「なんであんたマルコさんの番号知ってるの?」
『私も今それを聞いています』
「ほれ」
「ほれ、じゃないわよ!」
ソフィアは携帯を耳に当てた。
「もしもし」
『ベッリーニさんは、人が四人勝手に倒れたと言っているんですが』
「そうよ」
『…………』
「本当に勝手に転んだの」
『四人とも?』
「四人とも」
『奥様は何も?』
「してません」
『……分かりました』
ジュゼッペが横から口を挟む。
「わしも見とった。こいつは何もしとらん」
『あなたの証言を補強材料にしていいのか、非常に悩みます』
「なんでじゃ!」
ソフィアが携帯をジュゼッペへ返した。
『それで、その四人は?』
「転がっとる」
『怪我は?』
「知らん。生きとるぞ」
『確認してください』
「警察来てからでええじゃろ」
『よくありません』
「ああ、それとな」
『まだあるんですか』
「危ないもん持っとったぞ」
一瞬。
電話の向こうの空気が変わった。
『……なぜ分かるんです?』
「わしが持っとるからじゃ」
『…………どこから?』
「ポケット」
『誰の?』
ジュゼッペは倒れている四人を見る。
「こいつら」
沈黙。
『それをどうやって――』
「拾った」
『どこで?』
「……人のポケット」
ソフィアの眉が跳ねた。
マルコは数秒黙ったあと。
『それは拾ったとは言いません』
ジュゼッペがソフィアを見る。
「五十年前にも同じこと言われたのぉ」
「直ってないわよ!!」
孫が一歩下がった。
「……何者なの、この爺さん」
ジュゼッペは電話へ戻る。
「ああ、それとな」
『まだあるんですか』
「ヴィットリオの孫もおるぞ」
電話の向こうが静かになった。
『……今、なんと?』
「孫じゃ。見つけた」
『本人に怪我は?』
ジュゼッペが孫を見る。
「ないな?」
「ないけど……」
「ないそうじゃ」
短い沈黙。
『場所は?』
ジュゼッペが広場の名前を告げた。
『……近いですね』
マルコの声が変わる。
『こちらから向かいます。そこから動かないでください』
「わかったわかった」
『絶対にです』
「はいはい」
『それと電話番号の件は、署で聞きます』
「じゃあの」
『待っ――』
切った。
孫がジュゼッペを見る。
「……今、警察の人の電話切った?」
「切った」
「大丈夫なの?」
「大丈夫じゃ」
ソフィアが即答する。
「大丈夫じゃないわよ」
「どっち!?」
*
マルコは携帯電話を見つめた。
切られている。
「…………」
まただ。
だが。
今はそれどころではない。
マルコは立ち上がると、そのまま取調室へ向かった。
扉を開ける。
ヴィットリオがすぐに顔を上げた。
「何か分かったか」
「お孫さん、見つかりました」
ヴィットリオが勢いよく身を起こした。
「無事か」
「はい。怪我はありません」
その一言で。
ヴィットリオの肩から、目に見えて力が抜けた。
「……そうか」
短く。
息を吐く。
ほんの一瞬。
それだけだった。
マルコは続けた。
「広場で、《灰潮》と思われる四名に襲われかけたようです」
ヴィットリオの顔が再び険しくなる。
「……灰潮が?」
「まだ確定ではありません。ただし四名とも、その場にいます」
「孫は本当に無傷なんだな」
「はい」
「四人もいて?」
「ベッリーニさん夫妻が一緒です」
「ジュゼッペが?」
「ええ」
ヴィットリオは一瞬だけ黙った。
そして。
何かに引っかかったように眉を寄せた。
「……待て」
「はい」
「今、どこって言った?」
マルコがもう一度、広場の名前を告げる。
ヴィットリオが固まった。
そこは。
この街でも有名なナンパスポットだった。
「…………」
こめかみに。
青筋が浮かぶ。
「あいつはなんでナンパスポットにいやがるんだ!?」
マルコは淡々と答えた。
「そこは本人に聞いてください」
「命狙われてる時まで女口説いてんのか、あの馬鹿!!」
「本人は命を狙われていることを知らないと思いますが」
「知らなくてもナンパはするな!!」
「それは家庭内でお願いします」
「サーシャに言ったらあいつ死ぬぞ!!」
「先ほどから命の危険について話しているので、少々紛らわしいですね」
「そういう意味じゃねぇ!!」
ヴィットリオは額を押さえた。
「……とにかく連れてこい」
「そのつもりです」
マルコは扉へ向かった。
「私も現場へ行きます」
「マルコ」
足が止まる。
「頼む」
マルコは振り返らなかった。
「仕事ですから」
そのまま扉を閉めた。
*
警察が到着したのは、それから間もなくだった。
倒れていた四人の状態が確認される。
全員、生きている。
一人は意識を失っていたが、呼吸はある。
ジュゼッペが持っていた物も、すべて警察へ渡された。
マルコは、それらを一度見た。
それからジュゼッペを見る。
「……全部、彼らから?」
「そうじゃ」
「四人分?」
「そうじゃ」
「一人で?」
「そうじゃ」
マルコは数秒黙った。
「どうやって?」
「言う必要あるか?」
「非常にあります」
「昔取った杵柄じゃ」
「説明になっていません」
「なら諦めろ」
「諦めません」
その横で。
別の警察官が、倒れている男の袖を確認した。
そして。
動きが止まった。
「マルコさん」
声の調子が変わる。
マルコが振り返った。
手首。
そこに。
荒れた潮が一周していた。
その波間に並ぶ。
四本の牙。
マルコの表情が硬くなる。
「……灰潮」
周囲にいた警察官たちの顔色が変わった。
その様子を。
ジュゼッペは横目で見た。
そして。
ふっと鼻で笑う。
「やっぱりか」
ただ一人。
孫だけが。
きょとんとしていた。
「……何それ?」
マルコが振り返る。
「署で説明します」
「え、俺にも関係ある?」
「あります」
「あるんだ」
ソフィアが孫を見た。
「あなた、ほんっとうに何も知らないのね」
「何を!?」
ジュゼッペが肩を叩く。
「安心せぇ」
「何に!?」
「わしも大体、知らんまま巻き込まれとる」
「全然安心できない!!」
*
「念のため、署まで来ていただきます」
「俺も?」
「あなたが一番です」
「なんで!?」
「先ほど『関係ある』と申し上げたばかりですが」
「あ、そうだった」
マルコは一瞬だけ目を閉じた。
ジュゼッペが孫の肩を叩く。
「安心せぇ。わしも何もしてないのによく警察署に連れていかれる」
「だから安心できないって!!」
*
警察署へ戻ると。
受付にいたエレナが顔を上げた。
ジュゼッペを見る。
ソフィアを見る。
その後ろの若者を見る。
さらに。
マルコと警察官たちを見る。
「…………」
ジュゼッペが片手を上げた。
「ただいま」
「お帰りください」
「来たばっかりじゃぞ」
ソフィアがため息をついた。
「この人がまた人のポケットに手を入れたの」
エレナの表情が消えた。
「そこから説明してください」
「危ないもんが入っとったから取っただけじゃ」
「余計にそこから説明してください」
マルコが後ろから言う。
「それと、私の電話番号をどこで入手したのかも」
「まだ言っとる」
「言います」
「細かい男じゃのぉ」
「普通です」
*
「じいちゃん」
その声を聞いた瞬間。
ヴィットリオが振り返った。
孫がいる。
怪我はない。
立っている。
数秒。
ヴィットリオは何も言わなかった。
そして。
「……よかった」
小さな声だった。
孫が少しだけ笑う。
「心配した?」
「この馬鹿野郎!!」
「急に!?」
「なんで電話に出ねぇ!!」
「携帯見てなかった!」
「見ろ!!」
「ごめんって!」
「それとなんで建物登った!!」
孫が瞬きをした。
「近道」
「…………」
ヴィットリオの顔が引きつる。
「近道?」
「うん」
「屋根が?」
「うん」
「道じゃねぇよ!!」
ヴィットリオは額を押さえた。
数秒。
「……いや、待て」
「なに?」
ヴィットリオが改めて孫を見る。
「なんでお前、そんなことできるんだ」
「そんなこと?」
「建物登って屋根から屋根へ飛び移って、警護の人間振り切るようなことだよ!!」
孫は少し考えた。
「昔から?」
「答えになってねぇ!」
「登るの好きなんだよ」
「何をどうしたら、それで建物登れるようになるんだ!」
「登ってたら?」
「だから答えになってねぇ!!」
ジュゼッペが横から感心したように聞いた。
「どこまで登れるんじゃ?」
孫の顔が明るくなった。
ちょっとだけ胸を張る。
「最高五階」
ヴィットリオが固まった。
「…………」
孫はさらに胸を張った。
「五階まで行けたぜ」
「自慢すんな!!」
「すごくない?」
「すごいかどうかで言えばすごいけど今は褒めたくねぇんだよ!!」
ジュゼッペが頷く。
「元気じゃのぉ」
「お前は感心するな!!」
ソフィアが呆れたように孫を見る。
「怪我したことないの?」
「あるよ」
「あるんかい!!」
ヴィットリオが頭を抱えた。
「なんで誰も止めなかったんだ……」
「母さんには怒られた」
「サーシャは知ってんのか!?」
「うん」
「なんで俺に言わねぇんだ!!」
「じいちゃんに言う必要ある?」
「今できた!!」
ジュゼッペが笑う。
「まあええじゃないか。無事じゃったんじゃし」
ヴィットリオが睨む。
「お前は黙ってろ!」
「拾ってきてやったんじゃぞ」
「拾うな!!」
「四十二年前はお前。今日はこいつ」
ジュゼッペはヴィットリオと孫を交互に見た。
「ロマーノ家、よう落ちとるのぉ」
「俺の一族を道端で拾うな!!」
「今回は広場じゃ」
「場所の問題じゃねぇ!!」
ヴィットリオは孫を見る。
「それと」
「まだあるの?」
「あの広場で何してた」
孫の動きが止まった。
「…………」
「おい」
「……散歩?」
ジュゼッペが鼻で笑った。
「女口説いとったぞ」
「爺さん!!」
「やっぱりかお前ぇぇぇ!!」
「だって暇だったんだよ!!」
「暇なら家帰れ!!」
「屋根走ってたから――」
「そこから戻るな!!」
「近道だって!」
「だから屋根は道じゃねぇ!!」
しばらく。
怒鳴り声が響いた。
だが。
マルコが部屋へ入ってくると。
空気が変わった。
ヴィットリオが振り返る。
「確認できたか」
「はい」
マルコは短く答えた。
「四名のうち一名に、《灰潮》の刺青を確認しました」
孫が首を傾げる。
「だから何なの、それ」
ヴィットリオは孫を見る。
さっきまでの怒りが消えた。
「よく聞け」
声が低い。
「しばらく一人で動くな」
「え?」
「俺の名前も使うな」
「…………」
「女口説く時もだ」
孫の顔が固まる。
「なんでみんなそれ知ってんの!?」
「今そこじゃねぇ!!」
ヴィットリオは机を叩きかけ。
やめた。
「お前が女にモテたかっただけなのは、俺たちは分かってる」
「……うん」
「だが、敵は知らねぇ」
孫は何も言わない。
「俺には息子がいない」
「うん」
「お前の母親は、この世界とは関係なく生きてきた」
「……うん」
「そこへ成人した男の孫が現れて、ヴィットリオ・ロマーノの孫だと自分から名乗って歩いてる」
孫は少し考えた。
「……それ、まずかった?」
ヴィットリオが額を押さえた。
「今説明してんだろうが……!」
マルコが代わる。
「あなたがロマーノさんの後継者だと、相手が判断する可能性があります」
「俺が?」
「はい」
「なんで?」
「今説明しました」
「俺、継ぐとか言ってないよ?」
ヴィットリオが顔を覆った。
「だから敵はそれを知らねぇんだよ!!」
「あー……」
孫はようやく頷いた。
「そういうこと?」
「そういうことだ!!」
「じゃあ最初からそう言ってよ」
「最初からそう言ってる!!」
ジュゼッペが横で笑った。
「ヴィットリオ」
「なんだ!!」
「お前、しばらく苦労しそうじゃのぉ」
「誰のせいでこんな疲れてると思ってんだ!!」
「孫じゃろ」
「お前もだよ!!」
孫が小さく手を上げた。
「じゃあ、今日のあの四人って」
ヴィットリオの顔から。
再び笑いが消えた。
「ああ」
短く答える。
「お前を見てた」
孫は少し黙った。
「……そっか」
それ以上。
深刻な顔は続かなかった。
「でも四人とも転んでたよ?」
「そこは俺も聞きてぇんだよ」
孫がソフィアを見る。
「おばあちゃん、めっちゃ強いの?」
「違うわよ!!」
ジュゼッペが頷く。
「強かったのぉ」
「あんたは黙ってなさい!!」
マルコがこめかみを押さえた。
「防犯映像を確認します」
「ほれ。わしの言った通りじゃと分かるぞ」
「あなたについては別件で確認事項があります」
「なんじゃ」
「四人分の危険物です」
ジュゼッペは視線を逸らした。
「…………」
「ベッリーニさん」
「今その話せんでもええじゃろ」
「します」
「細かい男じゃのぉ」
「普通です」
ヴィットリオは深く息を吐いた。
少なくとも。
孫は見つかった。
怪我もない。
今は警察署にいる。
しばらくは。
勝手に屋根を走らせなければいい。
ヴィットリオは孫を見る。
「……お前」
「なに?」
「今日はここから勝手に消えるなよ」
「分かった」
「窓からも出るな」
孫はきょとんとした。
「さすがに出ないよ」
「本当だろうな」
「うん」
少し考えてから。
孫は付け足した。
「ここ何階?」
「四階だ」
「じゃあ行けるけど」
「行けるかどうかを聞いてんじゃねぇ!!」
「出ないって!」
「絶対だぞ!!」
「分かったって!」
ヴィットリオは大きく息を吐いた。
その少し後ろで。
ジュゼッペは二人を見ていた。
ヴィットリオは何も頼まなかった。
ジュゼッペも。
何も約束しなかった。
ただ。
四十二年前。
道端で拾った男が。
今は孫を前にして怒鳴っている。
ジュゼッペは、ほんの少しだけ目を細めた。
そして。
誰にも聞こえない声で。
「……孫か」
少し考える。
それから。
口元をわずかに上げた。
「追加で請求しちゃろ」




