幕間 全部本当なのに胡散臭い
私はエリザベス。
みんなからは、エリザって呼ばれてる。
二十歳。大学生。
今は、おじいちゃんとおばあちゃんの家に住んでいる。
両親は日本にいる。
別に家庭が複雑なわけじゃない。
二人とも昔から日本が好きで、私が大学に入ったのをきっかけに、本当に移住してしまったのだ。
「エリザも来る?」
そう聞かれたけれど、私は残った。
日本には興味があるし、いつか遊びにも行ってみたい。
でも、住むならここがいい。
私は、この街が好きだから。
それに、おじいちゃんとおばあちゃんの家なら大学にも通える。
そんなわけで、今は三人暮らしだ。
おじいちゃん――ジュゼッペ・ベッリーニは、元仕立屋。
おばあちゃん――ソフィア・ベッリーニは、昔からおじいちゃんの面倒を見ている。
本人に言ったら怒るかもしれないけれど、私から見るとそうとしか思えない。
おじいちゃんには、昔から妙な知り合いが多い。
その中でも、名前だけはずっと前から知っていた人がいる。
ヴィットリオ・ロマーノ。
おじいちゃんとは、四十年以上の付き合いらしい。
この街で暮らしていれば、ロマーノという名前を一度も聞かずに育つ方が難しい。
金がある。
顔が広い。
街の有力者にも知り合いが多い。
そして――あまり深く関わらない方がいい。
子供の頃から、そんな噂を何度も耳にしてきた。
ヴィットリオ・ロマーノ本人についても同じだ。
街の裏側では相当な力を持っている。
警察にもずっと目をつけられている。
その一方で、麻薬を扱う連中をこの街には入れさせないとも聞いたことがある。
どこまで本当なのかは知らない。
大人たちだって、ロマーノさんについて話す時は少し声を小さくする。
だから私も、わざわざ詳しく調べようとは思わなかった。
ただ、一つだけ確かなことがある。
うちのおじいちゃんは、そのヴィットリオ・ロマーノと四十年以上の付き合いがある。
なぜなのかは知らない。
聞いたことはある。
でも、
「昔、道端で拾ったんじゃ」
と言われたので、それ以上聞くのをやめた。
たぶん、おじいちゃんに聞いた私が悪かった。
一度だけ、若い頃のロマーノさんの写真を見せてもらったこともある。
なぜおじいちゃんがそんな写真を持っているのかも知らない。
写真の中のロマーノさんは、たぶん二十代。
彫りの深い顔立ちに、少し垂れた目。
きっちりした服を着て、ただ立っているだけなのに妙に目を引いた。
正直に言う。
ものすごく格好よかった。
映画俳優みたいで、品があって、色気もある。
少し近寄りがたい雰囲気まで格好いい。
街の噂を何も知らずに写真だけ見せられたなら、たぶん褒め言葉しか出てこなかったと思う。
――そんなある日。
私は、一人の男に声をかけられた。
*
「ねえ、今一人?」
振り返る。
私より少し年上だろうか。
二十二歳くらい。
背は高い。
彫りの深い顔立ちに、少し垂れた目。
目元には、小さな泣きぼくろがある。
顔も悪くない。
というより、かなり整っている方だと思う。
第一印象だけなら、むしろ良かった。
「そうだけど」
「よかったら少し話さない?」
断ろうかと思った。
でも、少し話すくらいならいいか。
――そう思ったのが間違いだった。
「俺、この辺じゃ結構有名な家なんだ」
雲行きが怪しくなった。
「へえ」
「じいちゃんなんか、もっと有名だよ」
「そうなんだ」
「警察にも顔が利くし」
怪しくなってきた。
「政治家にも知り合いがいる」
かなり怪しくなってきた。
「……すごいね」
「だろ?」
なんであなたが得意そうなんだろう。
「家族に逆らう奴なんて、ほとんどいないし」
完全に怪しい。
私は半歩だけ距離を取った。
彼は気づいていない。
むしろ調子が出てきたらしい。
「ヴィットリオ・ロマーノって知ってる?」
知ってる。
この街で、その名前をそんな軽い調子で口にする人を初めて見た。
「……知ってるけど」
「俺、あの人の孫なんだ」
「…………」
私は彼の顔を見た。
それから、周りを見た。
もう一度、彼を見る。
そんなこと、こんな往来で女の子を口説くために言う?
なるほど。
詐欺師だ。
そう考える方が、よっぽど自然だった。
「何、その顔」
「別に」
「本当だって」
詐欺師はだいたいそう言うと思う。
私はもう帰ろうとした。
その時。
彼の顔を見ていて、何かが引っかかった。
「……ちょっと待って」
「何?」
「あんた、前にもこの辺で女の子に声かけてなかった?」
男の表情が、ほんの少し固まった。
「……誰?」
「誰って聞く時点で何人にも声かけてるじゃん」
「いや、それは……」
「私の友達」
「…………」
思い出した。
少し前、友達が言っていた。
変な男にナンパされた、と。
顔はいいのに、話していることが妙に胡散臭かった、と。
その時は笑って聞いていたけれど。
「そういえば、その時もあんた、じじい自慢しかしてなかったわよね?」
「じじい自慢って言うな!」
当たりだった。
「『俺のじいちゃんはこの辺じゃ有名だ』」
「……」
「『顔が広い』」
「…………」
「『逆らう奴はいない』」
「………………」
「同じじゃん」
「いや、だから本当なんだって!」
「ナンパするたびにおじいちゃんの話してるの?」
「言い方!」
「だって、あんた自分の話してないじゃん」
「してる!」
「何を?」
「…………」
「ほら」
黙った。
私はため息をつく。
「私、あんたの名前すらまだ知らないんだけど」
「…………あ」
今気づいたらしい。
顔はいい。
本当に。
問題はそこじゃない。
「ロマーノさんがすごいのは分かった」
「だろ?」
「褒めてない」
「……」
「少なくとも、私が聞いてるロマーノさんには、自分なりの決まりがあった。麻薬をこの街で好き勝手に売らせなかったって噂もあるし」
「……まあ」
「本当かどうか、私は知らないけどね」
私は目の前の男を見る。
「でも、あんたからは同じ志みたいなもの、一ミリも感じない」
「会って数分でそこまで言う!?」
「だって、さっきから『家が有名』『じいちゃんが有名』『逆らう人がいない』しか言ってないじゃん」
「…………」
「ロマーノさんがすごいのは分かったよ」
「……うん」
「で、あんたは?」
「…………」
答えは返ってこなかった。
「ほら」
「いや、俺だって――」
「じゃあ聞くけど」
私は指を一本立てた。
「あんたの話が嘘なら、ロマーノさんの孫を騙る胡散臭い詐欺師」
「おい」
もう一本。
「本当なら、すごいおじいちゃんの名前を自慢してるだけの、志のないポンコツ」
「おい!」
「どっち?」
「なんで二択とも俺が終わってんだよ!」
「私に聞かないでよ」
「お前が作った二択だろ!」
ちょっとうるさい。
私はそのまま帰ることにした。
背中から、
「だから本当なんだって!」
と聞こえた。
振り返らなかった。
だって。
本当だったら、それはそれで困る。
*
それから、少し経ったある朝。
ヴィットリオ・ロマーノが逮捕された。
街中がその話でもちきりになった。
テレビに映るロマーノさんを見て、私は当然驚いた。
そして同時に、一人の男を思い出した。
彫りの深い顔。
少し垂れた目。
泣きぼくろ。
『俺、あの人の孫なんだ』
「…………まさかね」
そう思った。
でも、一度気になってしまうと頭から離れない。
数日後。
警察に呼ばれたり何だりで忙しそうにしていたおじいちゃんを、ようやく家で捕まえた。
*
「おじいちゃーん」
「なんじゃー」
「ちょっと聞きたいことあるんだけど」
「金ならないぞ」
「貸した覚えもないよ」
「ならよかった」
何がよかったんだろう。
「ロマーノさんのこと」
おじいちゃんの眉が少し上がった。
「ヴィットリオがどうした」
「お孫さんいるよね?」
「おるぞ」
「二十二歳くらい?」
「そのくらいじゃな」
「背、高い?」
「高かったと思うが」
「顔、ロマーノさんに似てる?」
「似とるらしいのぉ」
「…………」
嫌な予感が強くなった。
「なんじゃ?」
「実はね」
私は少し前の出来事を話した。
大学の帰りに声をかけられたこと。
自分の家が有名だと言っていたこと。
じいちゃんは顔が広い。
家族に逆らう奴はいない。
そして。
自分はヴィットリオ・ロマーノの孫だ、と。
おじいちゃんの顔が、だんだん微妙になっていった。
「あと、その人、前に私の友達にもナンパしてた」
「ほう」
「その時も、じじい自慢してた」
「…………」
「顔は結構いいんだけど」
「ほう」
「喋ると全部台無し」
「……なるほどのぉ」
なんだろう。
その納得した顔。
「ねえ」
「なんじゃ」
「前に見せてくれたロマーノさんの写真、まだある?」
「あるぞ」
「見せて」
おじいちゃんは奥から古い写真を持ってきた。
受け取る。
若い頃のヴィットリオ・ロマーノ。
やっぱり格好いい。
「…………」
「どうした?」
「……あれ?」
私は写真に顔を近づけた。
今まで気にしたこともなかった。
目元。
よく見ると、小さなほくろがある。
「……泣きぼくろ」
「なんじゃ?」
「ロマーノさん、泣きぼくろあったんだ」
「昔からあるぞ」
「…………」
あの男にも、あった。
同じ側。
よく似た位置。
それだけなら偶然かもしれない。
でも。
私はもう一度、写真を見る。
「……目元も似てる」
「誰にじゃ」
「例の詐欺師」
「ほう?」
彫りの深い顔。
少し垂れた目。
泣きぼくろ。
あの日会った男の顔が、頭の中で写真に重なった。
似ている。
思っていたより、ずっと。
「おじいちゃん」
「なんじゃ」
「本当にロマーノさんの孫だったりする?」
おじいちゃんは少し考えた。
「そいつ、名前は?」
「聞いてない」
「他には?」
「二十二歳くらい。背が高い。ロマーノさんに似てる。泣きぼくろがある」
「…………」
「女の子に声かけて、おじいちゃんの自慢ばっかりする」
「…………ああ」
最後ので確信したみたいな顔をするのはやめてほしい。
「たぶんそいつ、詐欺師じゃないぞ」
「…………え」
「ヴィットリオの孫じゃ」
「…………」
写真を見る。
あの日の男を思い出す。
写真を見る。
あの日の男。
彫りの深い顔。
タレ目。
泣きぼくろ。
じいちゃん自慢。
「…………本物?」
「たぶんな」
「…………」
嘘なら詐欺師。
本当なら。
私はあの日、自分で言った言葉を思い出した。
「……そんなすごい人の孫が」
「うん」
「どうしてあんなポンコツなの……?」
「知らん」
おじいちゃんはあっさり言った。
私はもう一度、若いロマーノさんの写真を見る。
「顔はちゃんと遺伝してるのに」
「そうか」
「女好きも遺伝してる」
「そうじゃな」
「なんで口説く才能だけ遺伝しなかったんだろう」
おじいちゃんは写真を覗き込み、それから少しだけ笑った。
「さあのぉ」
その時の私は知らなかった。
この話をおじいちゃんがヴィットリオ・ロマーノ本人に伝えることも。
その結果、私がもう一度あのポンコツと関わることになることも。
そんなことは、まだ少しも知らなかった。
ただ一つ分かったことがある。
あの男の話は。
どうやら、全部本当だったらしい。
それなのに。
――どうしてあんなに胡散臭かったんだろう。




