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幕間 灰潮情報収集の裏側



机の上には、何枚もの写真と資料が広げられていた。


中心にあるのは、一人の男。


艶やかに整えられた髪は、オールバック風に流されている。


ある写真では、爽やかなシチリアの空を思わせるナポリブルーのスリーピース。別の写真では一転して、夜の危うさを纏わせるようなブラックスーツ。


ネクタイも靴も、写真ごとに違う。


ただ高い物を身につけているだけではない。


その場に合った色、その場に合った装い、その場に合った見せ方。


服だけではなく、立ち姿まで含めて整っている。


写真を囲む男たちの手首には、波と四本の牙を模した刺青。


《灰潮》の構成員たちだった。


「ルカ・モレッティ。三十八歳。情報、マーケティング、セキュリティ関連の会社を経営」


資料係が淡々と読み上げる。


その横で、一人だけ異様なほど険しい顔をしている男がいた。


頭の一部には、見事な十円サイズの脱毛跡。


婚約者に逃げられたストレスが原因らしい。


適当な呼び名がなかったので、以下、十円ハゲ。


「……てか、なんで俺が十円ハゲなんだよ」


本人から早速苦情が入った。


古参が肩をすくめる。


「適当なコードネームなかったからだな」


「もっとあるだろ!」


「ハンカチ」


「人ですらなくなった!」


新人が少し考えた。


「先輩でいいんじゃないですか?」


十円ハゲが勢いよく新人を指差した。


「ほら! 新人が一番まともじゃねぇか!」


「じゃあ先輩」


「おう」


古参が鼻で笑った。


「十円ハゲ先輩」


「足すな!!」


資料係が机を指で叩いた。


「話進まねぇぞ」


「そもそもお前らが変な呼び方するからだろ!」


「分かった分かった。で、モレッティな」


十円ハゲは不満げに座り直した。


そしてルカの写真を改めて睨みつける。


「……俺、こいつ直接殺りたいです」


古参が即座に顔を向けた。


「なんでだよ」


「旅行先にこいつがいたせいで、婚約者がこいつに惚れて逃げました」


「……は?」


新人まで首を傾げる。


「いつ恨むほどのことされたんです?」


「だから婚約者を」


「モレッティに何された?」


「何も」


「は?」


十円ハゲは忌々しそうに写真を指差した。


「同じ店にいただけです」


「……それだけですか?」


「こいつ、カウンターで一杯やりながら仕事の電話してただけだよ!」


「じゃあ、本当に何もしてないじゃないですか」


「分かってるよ!」


十円ハゲが机を叩く。


「一言も喋ってねぇんですよ!? なのにあいつ、途中からずっとこいつ見てたんですよ!」


古参が腕を組んだ。


「それ、お前の婚約者の問題だろ」


「正論で殴るな!」


古参がにやりとする。


「じゃあコードネーム、“ロメオ被害者”でいいじゃん」


「やめろ! しかもあいつ何もしてねぇんだよ! それだと俺の惨めさが増すだろ!」


新人がうっかり頷いた。


「確かに」


「新人、お前は味方じゃなかったのか!?」


「事実確認です」


「もう染まり始めてんじゃねぇか!」


資料係がため息をつき、次の紙を手に取った。


「私怨は後にしろ。今日は裏取りだ」


「人物関係なんか、おやっさんがほとんど洗い終わってるじゃないですか」


「だから俺らは裏取りしてんだよ」


新人が机に積まれた資料を見回す。


「……これ、ほとんどおやっさんが?」


「ああ」


「いつ調べたんです?」


「それが分かんねぇんだよな」


古参がぼそりと言った。


「おやっさん、いつ寝てんだろ」


「その話は後だ」


資料係が強引に戻す。


「ルカ・モレッティ。三十八。独身。成人後の犯罪歴なし。現在経営している会社も、確認できた範囲では問題なし」


十円ハゲが即座に食いついた。


「脱税は?」


「今んところ出てねぇ」


「なんでだよ!」


新人が思わず振り向いた。


「なんでしてる前提なんですか?」


「元悪だぞ!?」


「元悪でも税金は払うだろ」


「夢がねぇな!」


「お前は何を期待して調べてんだ」


資料係が別の写真を机へ置いた。


全身写真だった。


背が高い。


肩幅が広い。


手足も長い。


スーツ越しでも、しっかり身体を鍛えているのが分かる。


十円ハゲの眉間に、また皺が寄った。


「……なんで手足まで長ぇんだよ」


「知らねぇよ」


「顔がいいだけにしろよ!」


「顔については、“甘い”“若く見える”って証言が多いな」


三十八歳。


だが写真だけなら、もう少し若く見える。


十円ハゲは写真を持ち上げた。


「俺と十近く違うように見えねぇんだけど」


「出生記録も一致してる」


「カ〜ッ! ベビーフェイスがよぉ!」


新人が肩を跳ねさせた。


「そこにキレるんですか?」


「こいつの隣に若い女が並んでも違和感ねぇの、本当にクソなんだよ!」


「三十八でその顔面してんじゃねぇ!」


「本人に言えよ」


「言えるか!」


資料係が次の項目へ移った。


「身体能力も高い。ベンチプレス百五十キロ前後って話」


十円ハゲが止まった。


「……百五十?」


古参が腕を組む。


「俺ら二人まとめて、胸筋で上げられるくらいだな」


「……」


十円ハゲがゆっくりルカの写真を見る。


「実はターミネーターだったりしないよな」


古参が即座に返した。


「シュワちゃん出すな、ボケ」


「だって数字が怖ぇんだよ!」


新人が写真を見る。


「でも、そんなゴリラっぽくは見えないですね」


「そこなんだよ!」


十円ハゲが勢いよく指差した。


「ゴリラに見えないゴリラなんだよ!」


「言い方」


「そのゴリラが情報収集だのマーケティングだの警備だの、あれこれそれやってんの?」


「やってる」


「知性あるゴリラじゃねぇか」


「ゴリラに失礼だろ」


「どっちに!?」


十円ハゲが資料をめくった。


「スポーツ歴は?」


資料係が記録を確認する。


「特に記載はないな」


「じゃあ運動神経は普通――」


「ただ、ロマーノに拾われる前に成人を半殺しにしてる」


「……」


十円ハゲがルカの写真を見る。


「あ、幼少期からゴリラなのね」


古参が即座に訂正した。


「狂犬な」


「どっちも嫌だわ!」


資料係がさらに続きを読む。


「十五の時にはロマーノの高級車を勝手に運転したって話もある」


「おっ」


「ドリフトしたらしい」


十円ハゲの顔が明るくなる。


「ほら! そこはちゃんとクソガキじゃねぇか!」


「車は無事だった」


「安心返せ!」


「ロマーノは激怒したらしいぞ」


「そこだけは安心した」


次に並べられたのは、ルカの服装がよく分かる写真だった。


ナポリブルーのスリーピース。


ブラックスーツ。


淡い色のネクタイ。


重みのあるダークタイ。


靴も、その日の服装と場所に合わせて変わっている。


十円ハゲが眉を寄せる。


「……服ダサいとかない?」


「ない」


「即答すんな」


「ほぼ身体に合わせた上等なオーダー。靴も一級品」


「既製品ですらねぇのかよ」


古参が写真を眺めながら鼻を鳴らした。


「まあ、こいつもちゃんと南部のイタリア人なんだろ」


「どこがだよ」


「Bella Figuraだよ」


※Bella Figura(ベッラ・フィグーラ)

イタリア語で「美しい姿」。服装や身だしなみだけでなく、立ち居振る舞い、相手からどう見えるかまで含めた美意識を指し、生き方の哲学のひとつとも言われている。


十円ハゲが一瞬黙る。


「……ああ」


「服だけじゃねぇ。髪も靴もネクタイも。立ち方も喋り方も。場に合わせて見せ方を変えてる」


「ナポリブルーで爽やかに出てきたと思ったら、夜は黒で危ねぇ空気出してくるしな」


「見せ方まで仕事みてぇに整えてやがる」


十円ハゲはハンカチを取り出し、その端を噛み締めた。


「きぃいいいっ! そこまでちゃんと南部男やるなよ!」


新人が目を丸くする。


「そのハンカチ、本当に噛むんですね」


「そこ見るな!」


古参が笑いながら言う。


「お前もナポリ生まれだろうが」


「……」


「逃げたフィアンセに“素敵ね”って言われた時、どうしてたんだよ」


十円ハゲは黙った。


「……目に見えて喜んださ!」


「じゃあモレッティだけ責めんな」


「でもあいつは喜び方までスマートそうなのが腹立つんだよ!」


「お前は感情出しすぎなんだよ」


「うるせぇ!」


資料係が別の写真を出した。


「たまにクラシックフィジークにも出てるぞ」


「なんで社長やりながら大会まで出てんだよ!」


新人が資料を覗き込む。


「全体のバランスを見せる競技みたいですね」


十円ハゲも写真を見る。


肩だけが異様に大きいわけではない。


胸、背中、腰、脚まで、全体のバランスが整っている。


十円ハゲが思わず呟いた。


「……あらヤダ。バランス綺麗」


古参が即座に突っ込んだ。


「感想がマダムなんだよ」


「いやでも綺麗だろ!」


「で、ベンチ百五十」


十円ハゲが写真を叩いた。


「ゴリラじゃねぇか!!」


古参が鼻を鳴らす。


「服着ててもBella Figura、脱いでもBella Figuraってことだな」


十円ハゲはハンカチを噛み締めた。


「きぃいいいっ! 逃げ道ねぇじゃねぇか!」


新人が真顔で聞く。


「何から逃げてるんですか?」


資料係がさらに続ける。


「しかも年中鍛えてる。健康、体力維持、仕事、趣味、見栄え」


「理由が健全すぎるんだよ!」


古参が首を傾げた。


「でもよ。狙われる可能性あるのに大会なんか出て大丈夫なのか?」


資料係が別のメモを出す。


「半分は警備部門の実地確認も兼ねてるらしい」


「は?」


「護衛対象が目立つ場所から動けない時に、ちゃんと守れるか」


全員が少し真面目な顔になる。


「ステージ上なら本人は目立つ。客の視線も集まる。知らねぇ人間も大量にいる。それでも護衛対象本人は好き勝手には動けない」


「なるほど」


「護衛側は異常を探す。ただし、いかにも“俺は護衛です”って動きは減点」


十円ハゲが眉を寄せた。


「なんで?」


資料係が顔を上げる。


「護衛だって丸分かりだったら、襲う側もそこ避けるだろ」


「ああ……」


「守る側が目立ちすぎりゃ、相手にまで“ここ警戒してます”って教えることになる」


新人も納得したように頷く。


「それに、護衛対象本人も落ち着かないですよね」


「そういうこと。ずっと隣で周囲睨まれてたら、普段通り生活できねぇ」


古参が腕を組む。


「“普通にそこにいる人”に見えろってことか」


「そういうことだな」


十円ハゲが心底悔しそうに呟いた。


「ちゃんとしてんなぁ……」


新人が笑う。


「なんで褒める時まで悔しそうなんです?」


十円ハゲは写真を眺め、それから自分の腹をつまんだ。


「……俺、あの時もこんな体型だったな」


「急にどうした」


「出会った頃はちゃんと身体も服も気にしてたのに、いつの間にか惰性になってた」


机の上には、隙のないルカの写真。


「そこに年中鍛えて、髪も服も整えて、余裕まであるロメオが現れた」


十円ハゲはしばらく黙った。


「……そりゃ、見るよな」


新人が少し困った顔をする。


「モレッティ本人は何もしてないですけどね」


「それ言うな!!」


古参が笑った。


「じゃあモレッティ恨む前に、お前も鍛えりゃいいじゃん」


「……やっぱりこいつは俺が殺す」


「結論戻ったな」


「でもその前にジム行くぞ!」


新人が目を瞬かせる。


「なんで決意だけ健全なんです?」


その拍子に、別の写真が資料の中から滑り出た。


仕事帰りらしいルカ。


片手に携帯を持ち、少し緩んだネクタイと開いた第一ボタン。


その姿は、普段きっちり整えられた男が、ほんの少しだけ気を抜いた瞬間を切り取ったようだった。


少しだけ覗いた骨張った鎖骨。


その下には、写真越しなのに今にも揺れそうなペンダント。


さらにその先はシャツの奥へ隠れ、鍛えられた胸元の輪郭だけが残っている。


見えている部分より、見えていない部分の方が妙に想像を掻き立てた。


十円ハゲが止まった。


「……これだ」


「何が?」


「これでやられたんだよ、俺の婚約者」


新人が写真を見る。


「……これだけで?」


「これだけでだよ!!」


古参も写真を覗き込む。


「あー……」


「“あー”じゃねぇ!」


「普段きっちりしてる奴が、仕事終わりにこれやるのは強いな」


「だろ!?」


十円ハゲが机を叩く。


「しかも本人、誰か口説いてるつもりゼロなんだぞ!」


「ただ電話してるだけ」


「ただネクタイ緩めてるだけ」


「ただボタン一個開いてるだけ」


十円ハゲが頭を抱えた。


「それだけで一目惚れ製造機になるな!!」


古参が鼻で笑う。


「本人側、ただの平日」


新人が続ける。


「こっちは人生の分岐点」


「理不尽すぎるだろ!!」


十円ハゲはもう一度写真を見た。


少し黙る。


「……これ、女だけじゃなくないか?」


「何が?」


「その……BのL的な方面からもラブコール来るだろ」


古参が呆れた。


「言い方」


「だって鎖骨見えて、ペンダントあって、その先シャツで隠して胸筋だけ想像させるんだぞ?」


「お前が一番詳しく鑑賞してるじゃねぇか」


「敵情視察だ!!」


十円ハゲは少し考える。


そのうち、妙にそわそわし始めた。


「……この写真、友達のカマちゃんに見せてみよかな」


古参がじっと見る。


「あからさまにソワソワすんな」


「いや、ぶっちゃけカマちゃんの好み、ワンチャンあるんじゃねぇかなって!」


「……お前、それ純粋なおすすめじゃねぇだろ」


「ぶっちゃけ食われちまえって思ってる」


「悪質だなぁおい!」


新人がルカの写真を見る。


「でも……普通に刺さりそうではありますね」


「だろ!?」


「なんで嬉しそうなんですか」


「俺が無理なら別ルートから行くしかねぇだろ!」


「何の攻略ルートだよ!」


しばらくして。


十円ハゲが、とぼとぼと戻ってきた。


「……ダメだった」


古参が顔を上げる。


「何が」


「カマちゃん」


「本当に見せたのかよ」


「“熊系は好みだけど、ベビーフェイスゴリラはいらない”ってさ……」


「分類がひでぇな」


新人がルカの写真を見る。


「でも、言いたいことは分かる気がします」


「分かるな!」


十円ハゲは椅子に沈み込んだ。


「別ルートまで封鎖された……」


「最初から攻略ルートじゃねぇよ」


「くそっ……完璧ゴリラ、守備範囲まで選びやがって……」


「本人何もしてねぇだろ」


*


資料係が別の写真を机へ滑らせた。


「次。テオドーロ・コスタ。ロマーノの孫」


「こいつか」


古参が写真を覗き込む。


「名前自体は前から分かってたんだろ?」


「ああ。ただ、広場にいるあの男と同一人物だって確認できたのは、病院に来た時だ」


新人が首を傾げる。


「広場の?」


「ナンパしてる奴」


「ああ!」


何人かが同時に声を上げた。


「こいつなら見たことあるぞ」


「結構有名だったな」


「何で有名なんです?」


「ナンパ」


「成功してるんですか?」


「大半が連戦連敗」


十円ハゲの顔が、初めて安らいだ。


「……よし」


「何がだよ」


「ちゃんと欠点ある」


「安心するな」


資料係が広場の映像を開く。


「本人、自分の名前ほとんど名乗らねぇんだよな」


「ロマーノの孫だってのは言うのに?」


「それは言う」


新人が真顔になる。


「なんで自分の名前より祖父の名前を先に言うんです?」


「知らねぇよ」


「だから顔と名前が長いこと繋がらなかった」


映像を止める。


テオが横を向いた瞬間。


全員が少し黙った。


「写真映り良すぎねぇか?」


「顔はロマーノ譲りらしいからな」


「腹立つ」


十円ハゲがハンカチを取り出した。


「きぃいいいっ!」


「また始まった」


資料係が再生ボタンを押す。


テオが女性へ近づく。


笑う。


手が動く。


眉も動く。


肩まで動く。


何か喋る。


さらに動く。


新人がぽつりと言った。


「……表情うるさいですね」


古参も頷く。


「動きもうるせぇな」


「こいつ一人だけ倍速?」


「通常速度だ」


「マジかよ」


ほどなく女性が去っていく。


テオの肩が落ちる。


口元も落ちる。


全身から落胆が伝わってくる。


「……全身で振られてますね」


「犬みてぇだな」


「大型犬」


新人の一言に、古参が笑った。


「それだ」


十円ハゲがハンカチを口から離す。


「……よし」


「何がです?」


「動いてる分には勝てる」


「だから何の勝負なんですか?」


停止。


格好いい。


再生。


うるさい。


停止。


格好いい。


再生。


よく動く。


十円ハゲがとうとう画面を指差した。


「動くな!!」


「本人に言えよ」


笑いが起きたところで、資料係が別の映像を出した。


「でもこいつ、広場の若い女には連敗してんのに、年上には妙に人気あるんだよ」


「は?」


十円ハゲが即座に反応した。


「なんで?」


映像には、両手いっぱいに買い物袋を抱えた女性が映っている。


年齢はモレッティと同じくらいだろうか。


落ち着いた雰囲気の、大人の女性だった。


テオはその姿を見ると、さっきまで女性へ声をかけていた時の大げさな身振りをぴたりと止めた。


まっすぐ近づく。


『大丈夫? 持つよ』


何の前置きもない。


何かを期待している様子もない。


重そうな袋をいくつか受け取ると、そのまま女性と並んで歩いていった。


新人が画面を見る。


「今の、完全に素ですよね」


「だな」


「口説く気ゼロ」


十円ハゲが眉を寄せる。


「なんでこういう時だけ自然なんだよ」


別の映像。


今度は、少し余裕のある雰囲気の女性が足を痛めたらしい。


テオはそれを見るなり、すぐに駆け寄った。


『大丈夫? 座れる?』


さっきまでのナンパ時とは別人のように、落ち着いている。


女性が礼を言う。


テオは少し照れたように笑った。


『いや、これくらい普通だろ』


十円ハゲがハンカチを噛む。


「きぃいいいっ! なんでこういう時だけ純度百パーセントなんだよ!」


古参が笑う。


「余計なこと考えてねぇからだろ」


「じゃあナンパの時も余計なこと考えるなよ!」


新人が真顔で言う。


「それができたら連戦連敗してないんじゃないですか?」


「新人、お前今日ちょっと刺しすぎじゃねぇか?」


さらに別の映像。


年配の女性から菓子らしき包みを渡されたテオが目を見開いた。


次の瞬間、顔全体がぱっと明るくなる。


『え!? いいの!? やった! ありがとう!』


古参が顎に手を当てた。


「分かった」


「何が?」


「こいつ、年上には“ポンコツ可愛い”で刺さってんだ」


新人が納得した顔をする。


「ああ」


「荷物持ってくれる。困ってたらすぐ助ける。変な下心もねぇ。でも普段はナンパして振られてる」


「褒めるとすぐ喜ぶ」


「大型犬だな」


十円ハゲが勢いよく顔を上げた。


「“この子、私がいないとダメね”ってやつか!?」


「たぶんな」


「きぃいいいっ! 母性まで刺激してんのかよ!」


「本人無自覚だけどな」


「無自覚が一番腹立つんだよ!!」


新人が首を傾げる。


「ナンパやめて荷物持ってた方がモテるんじゃないですか?」


十円ハゲが勢いよく振り返った。


「本人に教えるなよ!」


「なんでです?」


「成功率上がるだろ!」


「敵とはいえ、そこ妨害するんですか?」


「俺よりモテる奴を増やすな!」


「もう負けてるだろ」


「言うな!」


資料係が笑いながら端末を閉じる。


「まあ、孫の方はちゃんとアホだな」


「安心する」


「モレッティの後に見ると特にな」


新人が呆れた。


「テオドーロを精神安定剤みたいに扱わないでくださいよ」


*


次に開かれたのは、広場の別の映像だった。


そこにはテオだけではなく、一人の老人が映っている。


古参が画面を指差す。


「……てか、あのじいさん何なんだ?」


資料係がファイルを開いた。


「ジュゼッペ・ベッリーニ。七十歳。元仕立屋。成人後の前科なし」


新人が資料を見る。


「一般人?」


「記録上はな」


「その言い方怖いです」


画面の中でジュゼッペは、灰潮の男たちの間を歩いている。


「おやっさんは、こいつが抜いたって見てたよな」


「ああ。持ってたナイフ」


資料係が映像を巻き戻した。


広場。


ジュゼッペが一人目へ近づく。


すれ違う。


二人目。


三人目。


四人目。


そのまま離れる。


「……何回見ても分からねぇんだけど」


古参も身を乗り出す。


「手、動いてるか?」


「分からん」


新人が画面を凝視した。


「普通に歩いてるようにしか見えません」


「だろ?」


「じゃあ、なんでこの人だって?」


資料係が一時停止した。


「四人全員の近くを通ったの、この爺さんしかいねぇんだよ」


「で、この直後には四人とも持ってたもんがなくなってる」


新人の顔が引きつる。


「犯人は分かるのに、やった瞬間だけ分からないんですか?」


「そういうこと」


「それ、普通に怖くないですか?」


「だから困ってんだよ!」


十円ハゲも画面へ顔を近づける。


「七十だぞ、こいつ」


「年齢言うほど怖くなるからやめろ」


資料係が別の古い資料を取り出した。


「で、こっちが若い頃」


一枚の写真。


若いジュゼッペ。


新人が少し拍子抜けしたような顔をする。


「……普通ですね」


「だな」


十円ハゲも覗き込む。


「なんか微妙に影薄いな」


古参が鼻を鳴らす。


「だからスリ向きだったんじゃねぇの」


「納得したくない納得感あるな」


その隣には、一人の若い女性。


気の強そうな目元。


凛とした顔立ちの美人だった。


「こっちがソフィアか」


「美人ですね」


「気ぃ強そうだけどな」


資料係が古い記録を指でなぞった。


「あ。ほら見てみろよ」


「何だ?」


「“当時の恋人に連れられて、盗品を返却”って書いてあんぞ」


新人が顔を上げる。


「……当時の恋人って、この人ですよね?」


「時期的にソフィアだろうな」


古参が若いソフィアの写真を見る。


「五十年以上前からやってること変わってねぇじゃねぇか」


十円ハゲが笑った。


「じじい、若い頃から婆さんに回収されてんのかよ」


「しかも自分から返しに行ったんじゃなくて、“連れられて”だぞ」


新人が真顔になる。


「完全に保護者じゃないですか」


「恋人だよ!」


「役割が保護者なんですよ!」


十円ハゲが、若い二人の写真を交互に見た。


「……てかさ」


「何だよ」


「なんでこんな美人が、こいつの恋人になった挙句、結婚までしてんの?」


一同、若いジュゼッペを見る。


普通。


どう見ても普通。


むしろ、少し影が薄い。


新人が恐る恐る言った。


「中身がよかった、とか?」


「人のポケットから物盗る奴だぞ」


「でも返してるじゃないですか」


「恋人に連れられてな」


「……じゃあ、伸びしろ?」


「五十年かけてまだスリ直ってねぇぞ」


「伸びなかった!!」


資料係がさらに記録を見る。


「スリ自体はこの時点ですでにやってる。かなり若い頃からだな」


「じゃあ今までで?」


「五十年以上」


新人が二度見する。


「五十年以上!?」


十円ハゲが現在のジュゼッペの映像を見る。


「もう趣味とか癖とかの域じゃねぇだろ」


「職人だな」


「しかも引退してねぇ」


「七十歳で現役なの怖すぎません?」


古参がソフィアの写真へ視線を移した。


「なのに、この婆さんには昔からバレるらしい」


「五十年以上磨いたスリが?」


「バレる」


「なんで?」


「知らん」


新人が若い二人の写真を見比べる。


「誰にも気づかれず盗る男を、恋人だけすぐ見つける?」


「そうらしい」


「能力相性どうなってんですか?」


十円ハゲが腕を組む。


「天敵なんじゃねぇの」


「五十年以上一緒にいる天敵……」


古参が現在のジュゼッペを見る。


「つまり若い頃から、じじいはスる」


「婆さんは見つける」


「五十年経っても構図変わってねぇじゃねぇか」


資料係が映像を先へ進めた。


そこへ現在のソフィアが現れる。


「あ、婆さん来た」


一人が足を滑らせる。


それを避けようとした男が物にぶつかる。


倒れた物を避けた三人目がバランスを崩す。


さらに四人目まで巻き込まれる。


気づけば四人が倒れていた。


ソフィアだけが立っている。


新人が瞬きをした。


「……今、何が起きたんです?」


「分からん」


巻き戻す。


もう一度見る。


結果は同じ。


古参がとうとう叫んだ。


「このピタゴラスイッチ何なんだよ!!」


新人がソフィアを指差す。


「この人、何かしました?」


「してねぇ!」


「じゃあ偶然?」


「四人連続で!?」


「だから俺に聞くな!」


古参は頭を抱えた。


「じじいは何してるか分かんねぇし、婆さんは何もしてねぇのに全員倒れるし!」


新人が真顔で言った。


「皆さん、もっと怖がった方がいいですよ」


「怖がってるよ!」


十円ハゲがぼそりと呟く。


「孫が一番普通に見えてきた」


「アホだけどな」


「安心する」


「だから精神安定剤扱いするのやめません?」


古参が映像を止めた。


「まあ、ぶっちゃけるとよ」


「何だ?」


「ロマーノもこの爺さんも、生まれてからずっとこの辺の人間だろ?」


「ああ」


「俺らより街知ってんじゃねぇの」


資料係が少し考える。


「……それはあるな」


「俺らは地図とか映像見て覚えるだろ」


「向こうは?」


「子供の頃から身体で覚えてる」


新人がジュゼッペを見る。


「しかも元スリ」


「そう」


「地元歴七十年に元スリ……」


十円ハゲがぼそりと呟く。


「熟成されすぎだろ」


「ワインみたいに言うな」


古参が眉を寄せた。


「俺らさ」


「ん?」


「バリバリ地元の奴らを相手に、土地勘ねぇ場所でやるんだよな」


新人が少し顔をしかめた。


「……それだけじゃなくないですか?」


「何がだ?」


「あの辺、ご近所の情報回るの早すぎません?」


資料係が黙る。


「誰がどこに住んでるとか、誰が最近見ないとか、店の出入りとか。警察より先に近所の人が知ってることあるじゃないですか」


古参が嫌そうに眉を寄せた。


「……あるな」


「しかもロマーノもベッリーニも、長年そこで暮らしてる」


十円ハゲがゆっくり顔を上げる。


「待て。俺ら、土地勘ないだけじゃなくて」


「向こう、ご近所ネットワークまである」


「……」


「地元民、顔見知り、店、配達、昔からの付き合い」


十円ハゲの顔が引きつる。


「何その非公式監視網」


新人が真顔で言った。


「ご近所怖いですね」


「怖ぇよ!!」


十円ハゲが急に不安そうな顔になる。


「……ジム行ってる場合じゃねぇか?」


古参は即答した。


「いや、お前は行け」


「そこは行かせるのかよ!」


*


ひとしきり騒いだあと、古参が机の奥から別の資料を取り出した。


「そういや、これどうした?」


紙に挟まれていたのは、一枚の写真だった。


いや。


一度、何枚にも破かれたものを復元した写真。


若い男が写っている。


彫りの深い顔。


少し垂れ気味の目。


目元には小さな泣きぼくろ。


現在ほどの重い威圧感はない。


だが若さの中に、危うい華があった。


新人が目を見開く。


「……これ、ロマーノ?」


「ああ」


「若い頃?」


「おやっさんがビリビリにしてたやつ、復元してみた」


「何でそんな危険なことしたんですか!?」


古参が真顔で答える。


「気になったから」


「理由が子供なんですよ!」


十円ハゲが写真を覗き込む。


「……普通にめちゃくちゃ顔いいな」


「孫と似てんな」


「目元そっくりですね」


資料係が古い記録を一枚追加した。


「顔だけじゃねぇぞ。二十代半ばで周辺の勢力まとめて、数年で街の流れ変えてる」


新人が顔を上げる。


「早くないですか?」


「早い」


「撃たれても生き残って、その後も勢力広げてる」


十円ハゲが眉を寄せる。


「普通みたいに言うなよ」


古参が写真を眺めた。


「当時は、あいつに目ぇ付けられたら街から消えるって話まであったらしい」


新人が少し引く。


「都市伝説みたいですね」


「都市伝説みたいな本人だよ」


資料係がふと思い出したように言う。


「そういや、これも記録じゃねぇんだけど」


「何だ?」


「俺が親父から聞いた話」


「親父?」


「シチリアからナポリに移った俺の親父」


全員が少し顔を寄せる。


「若い頃のロマーノ、SP120のヘアピンでドリフト決めたらしい」


「……は?」


「県道百二十号線。曲がりくねった山道のところ」


十円ハゲが嫌そうな顔をする。


「なんでそんなとこで?」


「そのあとプロポーズしたらしい」


少し間が空いた。


新人が首を傾げる。


「……それ、嬉しいんですか?」


「知らねぇよ」


古参が鼻を鳴らす。


「でも奥さん、車よりバイク派だったらしいぞ」


「へぇ」


「若い頃、峠攻めてたって」


十円ハゲが「あ」と声を漏らした。


「じゃあ趣味合ってた可能性あるな」


「一般人には理解できねぇロマンスだな」


「命懸けのデートですね」


十円ハゲが即答した。


「俺は無理」


「誰もお前にプロポーズしてねぇよ」


古参が少し笑った。


「そりゃ肝も座るわな」


「何が?」


「若い頃からバイクで峠攻めてた女だぞ。隣でロマーノが多少イカれた運転しても今さらだろ」


「多少?」


「SP120のヘアピン流して、その後プロポーズ」


「多少じゃねぇよ」


資料係が肩をすくめた。


「まあ、そして現在その奥さんにしばかれて病院送りにされたうちの奴らは、未だに帰ってこないからな」


新人が少し不安そうに顔を上げる。


「……大丈夫なんですか、それ」


古参が即答した。


「そりゃ帰ってこねぇだろ。捕まってんだから」


「あ」


「病院送りのあと、そのまま警察行きだ」


「じゃあ“未だに帰ってこない”って言い方やめてくださいよ!」


「ちょっと怖かった?」


「怖いですよ!」


十円ハゲが若いヴィットリオの写真を見る。


「……街の伝説作って、撃たれても生き残って、山道でドリフトしてプロポーズして」


新人が続ける。


「奥さんは峠をバイクで攻める人」


古参が肩をすくめた。


「夫婦揃って普通じゃねぇな」


「そりゃあんな孫になるわ」


「孫は運転関係ないだろ」


「雰囲気だよ!」


資料係がルカの写真を横へ置いた。


十円ハゲがふと眉を寄せる。


「……待て」


「今度は何だ」


「十五で高級車勝手に持ち出してドリフトしたの、こいつだよな」


「ああ」


「で、ロマーノもSP120のヘアピンでドリフト」


少し間が空いた。


「……ドリフトまで遺伝かよ」


古参が即座に返した。


「血縁ねぇけどな、そいつら」


「じゃあ何なんだよ。英才教育か?」


「知らねぇよ」


十円ハゲは二枚の写真を見比べ、ふと目を細めた。


「……てか、この口元」


若いヴィットリオのわずかな笑みと、ルカの写真に浮かぶ笑い方が妙に似ている。


資料係も身を乗り出す。


「人の話聞いてる時の顔も、ちょっと似てねぇ?」


「……」


十円ハゲがだんだん嫌そうな顔になった。


「顔が違うだけで、ほぼロマーノじゃねぇか!」


古参が肩をすくめる。


「十三から育てられてりゃ、癖くらい移るだろ」


「癖の移り方が多すぎんだよ!!」


十円ハゲが二枚を指差した。


「ルカ・モレッティの笑い方、コイツ直伝かよぉ!!」


「自然に染み込んだんだろ」


十円ハゲはハンカチを噛んだ。


「きぃいいいっ! ロマーノ製ロメオじゃねぇか!」


新人が写真を見比べる。


「本人は真似してるつもりないんでしょうね」


「それが一番腹立つんだよ!」


十円ハゲはルカを指差した。


「……いや、ほぼコイツが後継者だろ」


新人が首を傾げる。


「でも血は繋がってませんよ」


「血の繋がらない二世みたいなもんだぞ、こいつ」


古参が頷く。


「十三から育てられて、右腕になって、所作まで移ってるしな」


資料係がルカの経歴を見る。


「なのに裏の仕事はほとんどやってねぇ」


「そこが意味分かんねぇんだよ」


十円ハゲはテオの写真も見た。


「孫にも継がせる感じねぇし」


「じゃあ今まで築いたもん、どうする気なんだ?」


誰も答えなかった。


十円ハゲが眉を寄せる。


「意味分かんねぇ」


資料係がルカの会社資料を見る。


「強いて言やぁ、ロマーノが今やってることのうち、法律に引っかからねぇ部分はモレッティの会社に結構近いぞ」


「どのくらい?」


「半分くらい」


「半分も?」


「残りは消える」


新人が首を傾げる。


「じゃあ今までの組織、半分捨てるんですか?」


「そう見える」


十円ハゲがますます分からない顔をした。


「何で?」


「だから分からねぇんだよ」


十円ハゲはルカの会社資料を持ち上げる。


「ていうかさ。そもそもコイツ、どうやって稼いでんだよ」


資料係が顔も上げずに答えた。


「そのためのマーケティングだろ」


「……あ、そうなの?」


新人が思わず十円ハゲを見る。


「そこ知らずにずっと会社調べてたんですか?」


「マーケティングって広告だろ?」


「広告だけじゃねぇよ」


「じゃあ何だよ」


「誰に何が必要か見て、どう売るか考えて、人や情報を繋ぐ。そういうのも含む」


十円ハゲが少し考える。


「……俺らだって似たことしてねぇ?」


「してる」


古参が鼻を鳴らす。


「俺らだって、欲しがってるところに売り物を回すだろ」


新人が嫌そうな顔をした。


「急に例が犯罪者なんですよ」


「犯罪者だからな」


「まあ俺らの場合、どうやっても麻薬が資金源だけどな」


「しかも扱ってるうちに質落としてるやつ捌いたりするし」


「最悪じゃないですか!」


新人の声が響く。


「今、一瞬ビジネスの勉強みたいな雰囲気だったの返してください!」


十円ハゲが少し感心したように頷く。


「俺、マーケティングしてたのか」


「そこで誇らしそうになるのやめてもらえます?」


資料係が肩をすくめる。


「違いはモレッティは、全部合法の商品とサービスでやってるってことだ」


十円ハゲはルカの写真を見る。


「むしろ、麻薬売ってねぇのにあれだけ稼いでる方がイカれてねぇ?」


「普通の会社ってそういうものでは?」


新人が真顔で返す。


「正しい言い方すんな。腹立つから」


そこで古参がヴィットリオの資料へ視線を移した。


「でも、それ言ったらロマーノの組織の方が意味分かんねぇだろ」


新人が首を傾げる。


「ロマーノは麻薬嫌ってたんですよね?」


「自分の街ではな」


「……自分の街では?」


古参が苦笑する。


「入ってきたもん全部捨ててたわけじゃねぇ。外へ回してたんだよ」


「結局麻薬じゃないですか」


「だから善人じゃねぇんだよ」


資料係が続ける。


「ただ、自分の縄張りの中には流させなかった」


十円ハゲが鼻を鳴らした。


「都合いい線引きだな」


「マフィアに倫理の完璧さ求めんな」


「でも外からしたら、余計な手が入ってねぇ状態で来るわけだろ」


「欲しがるところはあったんだろうな」


新人がヴィットリオの写真を見る。


「つまり、自分の街では売らない。でも外には回す」


「そういうこと」


「……街を守ってたわけじゃない?」


古参が肩をすくめる。


「自分の街を荒らされたくなかっただけなんじゃねぇの」


一瞬だけ部屋が静かになった。


十円ハゲが復元された若いヴィットリオを見た。


「で、そのロマーノに昔うちがやられた、と」


古参の顔から笑いが少し消える。


「おやっさん曰くな」


「どんな話なんです?」


新人が聞く。


「当時の灰潮は、南部のマフィアをまとめていくつもりだったらしい」


「ここもその拠点の一つ?」


「ああ。別にここ一か所に全部賭けてたわけじゃねぇ。勢力広げる途中の一つだった」


「で?」


古参が短く答えた。


「おやっさん以外、全滅」


新人の表情が消える。


「え?」


「進出した連中、ほぼ全部」


十円ハゲがヴィットリオの写真を見る。


「まさか、こんなところで全部ひっくり返されるとは思わなかったんだろうな」


資料係が小さく頷く。


「しかも、おやっさん自身は当時まだガキだ」


「どのくらい?」


「ようやく組員として認められるかって頃だったらしい」


新人が写真と資料を見比べる。


「じゃあ南部進出を決めたのは、おやっさんじゃないんですね」


「上の連中だろうな」


「本人はやっと仲間として扱われ始めたところで」


「周り、全滅」


新人が言葉を失う。


「それ、だいぶ人生曲がりません?」


「曲がった結果が今なんだろ」


古参が若いヴィットリオの復元写真を見る。


「しかも、その原因の一人が四十二年経っても生きてる」


「そりゃ執着もするわな」


「詳しく聞こうとするとキレるけどな」


新人が小さく呟く。


「組員になれると思った頃に、全部なくなったようなもんですもんね」


一瞬だけ空気が重くなる。


十円ハゲが、その空気に耐えきれずヴィットリオの顔を見る。


「……で、その全部なくした相手がこの顔かよ」


古参がため息をついた。


「お前は本当にそこから離れられねぇな」


「だってムカつくだろ。若い頃まで色男かよ」


*


資料係がふと時計を見る。


「そういや、人物関係ほとんどおやっさんが調べちゃってんだよな」


「俺ら、ほぼ裏取りじゃん」


新人が首を傾げる。


「おやっさん、いつ調べてるんです?」


古参が眉を寄せた。


「それなんだよ」


「俺、昨日休みだっただろ」


「ああ」


「休みに入る前もおやっさん起きてたんだよ」


「うん」


「で、寝て起きたらまだ動いてた」


「……」


「そのまま今日一日フル稼働」


全員が黙った。


新人が恐る恐る言う。


「寝てなくないですか?」


「……たぶんな」


「脳筋のくせに情報量だけ化け物なの何なんだよ」


「執念だろ」


「ロマーノ絡むと特にな」


その瞬間。


奥の扉が開いた。


部屋の空気が固まった。


おやっさんだった。


資料係の手が動く。


復元した若いヴィットリオの写真を資料の束の下へ滑り込ませる。


古参がその上から別の紙を被せた。


十円ハゲは手元に残っていたもう一枚を反射的に背中へ隠す。


新人だけが一拍遅れた。


「あ」


古参が新人の手元の写真をひったくる。


「何してんですか」


「黙れ!」


おやっさんが眉を寄せた。


「……お前ら、何隠した?」


「何も!」


「裏取りしてました!」


「普通の資料です!」


「仕事してました!」


四人の返事がほぼ同時に重なる。


おやっさんの目が細くなった。


「怪しいな」


十円ハゲの背中では、若いヴィットリオが余裕のある笑みを浮かべている。


「全然怪しくないです」


「お前、なんで壁みてぇな姿勢してんだ」


「姿勢を正してるだけです」


「急に?」


「健康のために」


古参がぼそっと言った。


「ジム行くらしいんで」


「今それ言う!?」


おやっさんが机へ近づく。


全員の肩がわずかに跳ねた。


古参が小声で言った。


「生贄」


新人が目を瞬かせる。


「え?」


「生贄出せ」


十円ハゲが迷いなくテオの写真を掴み、机の中央へ滑らせた。


「これです!」


新人が目を見開く。


「孫を!?」


「黙れ!」


おやっさんが写真へ視線を落とした。


「……ああ。コスタのガキか」


当然のように知っている。


何しろ、その資料を集めてきたのは本人だ。


広場で女性に声をかけているテオ。


おやっさんはしばらくその顔を睨んだ。


「……無駄に似ててムカつくな」


新人が思わず口を開く。


「誰に――」


古参が即座に新人の口を塞いだ。


「聞くな」


「んぐっ」


おやっさんはテオの顔から目を離さない。


「目元も、その妙に整った顔も……余計なところばっか似やがって」


十円ハゲが深く頷いた。


「分かります」


おやっさんの目だけが上がる。


「何が分かる?」


「何も分かりません」


「今すげぇ共感してただろ」


「気のせいです」


おやっさんは鼻を鳴らし、次の写真を見る。


女性へ声をかけるテオ。


次の写真。


女性が去っている。


さらに次。


明らかに肩を落としている。


おやっさんがぽつりと言った。


「ナンパ下手なのは似なかったんだな」


十円ハゲが吹き出した。


「ぶっ」


おやっさんの目が向く。


「何笑ってんだ。ぶっ殺すぞ」


新人がびくっとする。


古参が小声で囁く。


「今のは“調子乗んな”」


新人も小声で返した。


「翻訳辞書みたいになってません?」


おやっさんが眉を寄せる。


「何コソコソしてんだ」


「何も!」


「仕事しろ。ぶっ殺すぞ」


新人がとうとう耐えられず声を上げた。


「だから怖いんですよ!!」


「あ?」


「内ポケットにチャカ入ってる人がそれ言ったら、普通は本気だと思うんです!」


「だから?」


「だから怖ぇんですよ!」


古参が新人の肩を叩く。


「大丈夫だ。“ぶっ殺すぞ”は大体“ちゃんとしろ”って意味だから」


「翻訳必要なんですか!?」


「慣れろ」


「慣れたくないです!」


おやっさん本人だけが納得していない。


「最近の若い奴はよく分かんねぇな」


「そこですよ、おやっさん」


「何がだよ。ぶっ殺すぞ」


「また言った!!」


おやっさんは意味が分からないという顔のまま、別の部屋へ消えていった。


扉が閉まる。


数秒。


誰も動かなかった。


「……行った?」


「行った」


資料係が、そっと紙束の下から若いヴィットリオの写真を救出する。


新人が呆れたようにそれを見た。


「……怒られるって分かってるのに、何で復元したんですか?」


三人がほぼ同時に答えた。


「気になったから」


「子供ですか、皆さん」


*


騒ぎが落ち着いたあと、十円ハゲはもう一度ルカの写真を手に取った。


甘い顔。


整えられた髪。


鍛えられた身体。


自分の会社まで持つ男。


「神様がノリノリで作りやがった男だなぁ、本当に」


資料係が資料の端を指で弾く。


「まあでも、元は俺らと同じストリートチルドレンだぞ」


十円ハゲの表情が少し変わった。


「開始は、そんな変わんねぇんだよな」


「十三でロマーノに拾われて、読み書き教わって、数字教わって、仕事教わって……今これだ」


古参がふと思い出したように言う。


「そういや俺らもだけど、モレッティもマンマ知らねぇんだよな」


「……急に重くすんなよ」


新人が少し考えた。


「だから余計、褒められたら嬉しいのかもしれませんね」


十円ハゲが嫌そうに顔をしかめる。


「今その分析いる?」


「前に褒められて目に見えて喜んでたって話してたじゃないですか」


「掘り返すな!」


十円ハゲは写真を見る。


「神様じゃなくて、育てた奴がノリノリだったのか?」


古参が首を振った。


「本人も相当やったんだろ」


「そこまで真面目に褒めさせんなよ」


小さく笑いが漏れた。


だが資料係は、ルカの経歴を見たままだった。


「……俺らも金は結構もらってたよな」


「ああ」


「だったらさ」


少しだけ言葉を選ぶ。


「俺らも、もっと勉強すりゃよかったな」


誰もすぐには返さなかった。


「会計でも商売でも何でもいい。そうすりゃ今頃、もうちょいおやっさん達の役に立てたかもしれねぇだろ」


「資金繰りのために、あくどいことばっかやらなくても済んだかもしれねぇし」


部屋が、ほんの少しだけ静かになる。


古参が机のルカを見た。


「向こうは拾ったガキに勉強教えた」


「こっちは?」


十円ハゲが答える。


「……金はもらった」


「使い方は教わってねぇな」


「まあ、俺らも自分で勉強しなかったけどな」


「そこなんだよな」


誰もおやっさんを責めなかった。


食わせてもらった。


金ももらった。


困った時には助けてもらった。


だからこそ、自分たちの方にも、もう少し違う選択肢があったんじゃないかと思えた。


新人が少し遠慮がちに言う。


「……今からでも勉強すればいいんじゃないですか?」


「会計?」


「商売とか」


古参が十円ハゲを見る。


「まず足し算からだな」


「舐めんな!」


「お前この前釣り銭間違えただろ」


「あれは酔ってたんだよ!」


新人が真顔で言う。


「もっとダメじゃないですか」


「新人!」


笑いが戻った。


十円ハゲは自分の腹をつまんだ。


「……俺も鍛え直すか」


古参が眉を上げる。


「まだそれ気にしてんの?」


「死にたくねぇし、死んだ時だらしねぇのも嫌だ」


新人が呆れる。


「まず生き残ること考えましょうよ」


「だから鍛えるんだよ!」


「そこだけは健全ですね」


「そこだけって言うな!」


新人が笑った。


少し間を置いてから、


「十円ハゲさん」


「おい」


「はい?」


「なんでお前までその呼び方になってんだよ!」


新人が自分でも今気づいたように瞬きをする。


「……いつの間にか」


「一番嫌な染まり方すんな!!」


*


十円ハゲは、机の上を見渡した。


ヴィットリオ。


ルカ。


テオ。


ジュゼッペ。


ソフィア。


並べられた写真をしばらく眺める。


「……なあ」


古参が嫌そうな顔をした。


「今度は何だよ」


「今回、相手にすんのはベッリーニ夫妻の方だよな」


「ああ」


十円ハゲはルカの写真を見る。


「……その後、あのゴリラ倒さないといけないんだよなぁ?」


古参が呆れた。


「お前、さっきまで殺意マシマシだったじゃねぇか」


「ゴリラは無理だろうが!!」


「急に弱気になるなよ」


「ベンチ百五十だぞ!? 俺ら二人まとめて胸筋で上げる奴だぞ!?」


新人がルカのクラシックフィジーク写真を見る。


「でも見た目、そんなゴリラじゃないですよね」


十円ハゲも覗き込む。


「……あらヤダ。やっぱりバランス綺麗」


「またマダム出てんぞ」


「なのにゴリラなんだよ!!」


資料係が淡々と言う。


「情報収集、マーケティング、会社経営、警備」


新人が指折り数え始める。


「元狂犬で、秀才で、完璧ゴリラなんですよね?」


「言い方ひどいな」


「しかもゲームで言うなら、その人がラスボスになるんですよね?」


少し間が空いた。


新人が恐る恐る顔を上げた。


「……俺ら、死にません?」


古参が即座に返した。


「だから今はベッリーニ夫妻だっつってんだろ!」


「その後の話です!」


十円ハゲが机を叩く。


「そうだぞ! その後あのゴリラ出てくんだぞ!」


「お前が一番殺したがってただろ!」


「ゴリラは無理だろうが!!」


資料係がぼそっと付け足す。


「しかも元狂犬」


「追い討ちやめろ!!」


十円ハゲは頭を抱えた。


「なんで欠点探してんのに、調べるたびスペック増えてんだよ!」


古参が机の上を見回す。


「そもそも相手側、ろくなのいねぇな」


「七十歳の現役スリ」


「何もしてねぇのに四人倒す婆さん」


「静止画だけやたら完成度高い大型犬」


「伝説製造機のじじい」


「完璧ゴリラ」


新人が真顔になる。


「……本当に俺ら、人数で勝ってるだけでは?」


沈黙。


資料係が、そっとルカの写真を裏返した。


「今それ言うな」


「いやでも」


「言うな」


「おやっさん脳筋だし……」


「黙れ」


「俺らもバカだし……」


「士気下げんな!」


新人が小さく手を挙げた。


「……事実確認では?」


「新人まで乗るな!」


わっと騒ぎ出す男たちの中で、十円ハゲだけが裏返されたルカの写真をもう一度表へ戻した。


艶のある髪。


柔らかなベビーフェイス。


隙のないスーツ姿。


十円ハゲの眉間に、また深い皺が寄る。


「……やっぱ俺、このイカレポンチのロメオみてぇな優男の顔面、ギタギタにしてやりたいです」


古参が呆れた。


「お前最後までそれかよ」


新人が写真を見ながら言う。


「優男って言いますけど、その人十三歳で成人半殺しにしてる元狂犬ですよね?」


十円ハゲが止まった。


写真を見る。


少し考える。


「……やっぱ無理かも」


「さっきまで殺す気満々だっただろ」


「だって元狂犬なんだろ!? しかも今は完璧ゴリラなんだぞ!」


「今さら怖くなったのかよ!」


部屋に、またくだらない怒鳴り声が響いた。


少なくとも、この時の彼らはまだ知らなかった。


この机の上に並べた人間たちに、これからどれだけ振り回されることになるのかを。

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