↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/14

第9話 灯台もと暗し



『わしじゃ』


ヴィットリオの目が見開かれた。


「ジュゼッペ!?」


名前を叫んだ直後、はっとする。


ヴィットリオは携帯を耳に当てたまま顔を上げ、周囲へ鋭く視線を走らせた。


港沿いの通り。街灯。停められた車。少し離れた場所に配置された警察官たち。


つい先ほどまで、こちらを遠巻きに監視していた男がいた。


今の一言だけで居場所が割れるわけではない。だが、ジュゼッペが生きていると知られれば話は別だ。


「……マルコ」


『確認しています』


通信の向こうで短いやり取りが交わされる。


ルカもすぐに端末を取り出し、警察から共有される情報へ目を走らせた。


数秒。


『先ほど確認していた監視役ですが、すでにその場を離れているようです。こちらで追跡しています』


「……逃げたか」


ヴィットリオは辺りをもう一度見回した。


人影はない。


ようやく携帯へ意識を戻す。


「……お前、生きてんのか」


『声聞きゃ分かるじゃろ』


「そういう問題じゃねぇ!」


怒鳴った声には、ほんの少し前までとは明らかに違う熱があった。


瓦礫の下にいるかもしれないと思った。


自分の判断が遅かった。


読みが浅かった。


その甘さを戒めるように何度も床へ拳を叩きつけ、その手の甲にはまだ赤い傷が残っている。


それが今。


電話の向こうから、いつもと変わらない声が聞こえていた。


『元気そうじゃの』


「誰のせいでこっちは……!」


そこまで言って、ヴィットリオは言葉を飲み込んだ。


今、確認すべきことはそこではない。


「……全員いるのか」


『おるぞ』


ヴィットリオの肩がわずかに強張る。


「サーシャも、テオも」


『ソフィアもエリザも、お前さんの娘婿も。みんな無事じゃ』


風が吹いた。


ヴィットリオのコートの裾が揺れる。


その場に立ったまま、彼はしばらく何も言わなかった。


隣ではルカが目を閉じ、長く息を吐いた。


「……よかった」


誰に聞かせるでもなく漏れた声を、ヴィットリオは聞かなかったことにした。


ただ、携帯を握る力だけが少し緩んだ。


「……で」


『なんじゃ』


「なんでそこにいんだ」


『昔の友人にな、自由に使ってええと言われとる家があるのを思い出しての』


「……家?」


ヴィットリオは眉を寄せた。


ルカも端末から顔を上げる。


『うむ』


「それがなんでそこなんだよ」


電話の向こうで、ジュゼッペが少し間を置いた。


『場所を確認してみたら、なんと二軒先じゃったんよ』


ヴィットリオの顔が固まった。


「……はあ!?」


思わず携帯を耳から離す。


画面には当然、知らない番号しか表示されていない。


一度それを見てから、もう一度耳へ戻した。


『わしもびっくりした』


「お前……っ」


『まあ、灯台もと暗しじゃ』


「暗すぎんだろ!」


ジュゼッペの楽しそうな笑い声が聞こえる。


『敵もまさか、吹っ飛ばした家の二軒先に全員おるとは思わんじゃろ』


「結果論で天才みてぇな顔すんな!」


『顔見えんじゃろ』


「そういう意味じゃねぇ!」


ルカが横で小さく息を吐いた。


ヴィットリオは額を押さえる。


電話の向こうで、今度はジュゼッペの声が少し落ち着いた。


『まあ、お隣さんには悪いことしたがの』


ヴィットリオは遠くに上がる黒煙へ目を向けた。


爆発の規模を考えれば、隣家がまったくの無傷とは思えない。


「……そりゃそうだろ」


『まあ、今お隣さんと一緒に酒盛りしとるぞ』


ヴィットリオの顔が上がった。


「は?」


『無事だった祝いじゃ』


「切り替え早すぎんだろ!」


『向こうから飲め言うてきたんじゃぞ』


「爆破された直後だぞ!」


『だから飲むんじゃろ』


「どういう理屈だよ!」


電話の向こうで、かすかにグラスの触れ合う音がした。


本当に飲んでいる。


ヴィットリオはこめかみを押さえた。


生きている。


間違いなく、いつものジュゼッペだった。


「……待て」


ふと、ヴィットリオの顔つきが変わる。


港の向こうへ向けていた視線を戻し、足元を見た。


「家は監視されてたはずだ。どうやって全員出した」


『裏からじゃよ』


「裏?」


『裏庭の塀にな、昔からお隣へ抜けられる通用口があるんじゃ』


ヴィットリオが顔をしかめる。


「そんなもんあったのか」


『あるぞ』


「初めて聞いたぞ!」


『聞かれとらんからの』


「お前そういうの先に言え!」


『必要になるとは思わんかったんじゃ』


「今めちゃくちゃ必要だっただろ!」


隣でルカが額へ手を当てる。


ジュゼッペはまったく気にしていない。


『それにな、あそこは見晴らしがええじゃろ』


「ああ」


ヴィットリオはすぐに思い当たった。


『よく言えば遠くまで見える。悪く言えば、近くにおったら監視する方が目立ちすぎる』


ヴィットリオの視線が細くなる。


『じゃから見張るなら、どうしても距離を取るしかない』


「……なるほどな」


『で、離れて見れば、出入り口に見えるのはほとんど表だけじゃ。そこから誰も出なけりゃ、まだ中におると思う』


ヴィットリオはゆっくり頷いた。


「裏庭は死角か」


『そういうことじゃ』


「そこから隣に抜けた」


『うむ。ついでにお隣さんにも一緒に逃げてもろた』


「ついでみたいに言うな」


『置いてく方がまずいじゃろ』


「それはそうだけどよ」


『そのまま配送に紛れて回収しておいたんじゃ』


ヴィットリオの足が止まった。


「……配送?」


『お前さん御用達の店とか、あそこら辺結構あったじゃろ』


「ああ……」


ヴィットリオの頭に、昔から馴染みのある一帯が浮かぶ。


菓子店や酒屋、花屋。


それに、今はジュゼッペの後継が営んでいる仕立て屋もある。


商売人の出入りが多く、材料や完成品を運ぶ車が頻繁に行き交う場所だ。


『材料やら完成品やらの配達と回収で、車がよう回っとるからの』


「……配送車が一台停まってても不自然じゃねぇってことか」


『そういうことじゃ』


ルカが端末を片手に一歩近づく。


「そのトラックは?」


『カーテンサイダーじゃよ』


ヴィットリオが少し考えてから答える。


「……側面が大きく開くやつか」


『そうじゃ。荷物の積み下ろしに見えとれば、それ以上わざわざ気にせんじゃろ』


ルカが顎へ指を当てた。


「路肩に停めても違和感が薄い。しかも側面から出入りできるなら、遠くからでは人が乗ったか荷物を積んだかまで分かりにくい」


『そういうことじゃ』


ヴィットリオが横を見る。


「お前、妙に納得すんな」


「合理的ですから」


「じじい二人で感心し合うな」


『誰がじじいじゃ』


「お前だよ!」


ジュゼッペは無視した。


ルカが続ける。


「運転手は誰です?」


『わしが金貸したあいつじゃ』


「本人ですか」


『本人じゃ』


今度はヴィットリオが頭を抱えた。


「家を自由に使わせてくれて、配送トラックまで出してくれんのかよ」


『家は貸してもろとるわけじゃないぞ。自由に使ってええって許可をもろとるだけじゃ』


「そこ律儀に訂正すんな!」


電話の向こうで、椅子を引くような音がした。


ジュゼッペが少し場所を移したらしい。


ルカはそのまま訊く。


「その方、配送の仕事を?」


『そうじゃ。あの辺も普段から回っとる』


「なら、見られてもまず疑われませんね」


ヴィットリオが眉を寄せる。


「そもそも、なんでその家を自由に使えるんだ」


『金貸したからじゃ』


「やっぱそこかよ」


『昔、レースでちょっと当てての』


「ちょっと?」


『まあまあじゃ』


「もう増えてんじゃねぇか」


『あいつがちょうど金に困っとったから貸したんじゃが、全部は返せんかったからの。その代わり、家は好きに使ってええって書面をもろた』


その瞬間、ルカの表情が変わった。


端末を操作する指が止まる。


「……その方、当時かなり資金繰りが悪化していませんでしたか」


電話の向こうが一瞬静かになった。


『よう知っとるの』


ルカは額へ手を当てた。


「ああ……」


ヴィットリオが横を見る。


「何だよ」


「点はありました」


「は?」


ルカは画面を見ながら記憶を辿る。


「その人物が一時期、かなり資金的に追い込まれていたこと。その人の経済力では、一度かなり大きな臨時収入でもなければ返済できない額だったことも把握しています」


「じゃあ何で分かんなかった」


「その時期に大きなレースの払戻しを受けていたのは、その人物ではなかったからです」


ヴィットリオが眉を寄せる。


数秒。


そして、ゆっくり携帯へ目を向けた。


「……ジュゼッペか」


「ええ」


ルカは小さく息を吐いた。


「そこまでは別々に把握していました。でも、その金が彼へ貸されていたとは繋げられなかった」


ジュゼッペが電話の向こうで笑う。


『ほっほっほ』


「笑ってんじゃねぇよ」


ルカは少し考えてから、さらに眉を寄せた。


「それに――あなたがた、友人だったんですね」


『そこからか?』


「そこからです」


ヴィットリオも少し驚いたように携帯を見る。


ジュゼッペは何でもないことのように答えた。


『わしがガキの頃からの付き合いじゃぞ』


「ガキの頃?」


『昔は、わしが拾ったもんを金に換えてもろとった』


ヴィットリオが即座に口を挟む。


「盗ったもんだろ」


『細かいのぉ』


「全然細かくねぇよ!」


ルカは目を閉じ、しばらく黙った。


「……それはさすがに私の調査範囲から外れますね」


『何十年前じゃと思っとる』


「だから繋がらなかったのか……」


ルカは端末の画面を一度消した。


そして、少しだけ呆れた顔で携帯を見る。


「でも、昔からの換金先というだけで、ここまで協力してくれるものですか?」


『まあ、お互い貸しがあるわけじゃ』


「貸し?」


『昔から、こっちが助けたり向こうが助けたりじゃ。今回だけ急に頼んだ仲でもない』


「なるほど……」


『困っとる時は助ける。それでええじゃろ』


ヴィットリオが鼻で笑う。


「お前の人脈、たまに俺より訳分かんねぇんだよ」


『近所付き合いじゃ』


沈黙。


『……なんでそんな目で見るんじゃ』


ルカが淡々と答える。


「見えてません」


『声で分かるわ!』


「近所付き合いで、家を自由に使わせてもらえて、爆破前の避難に配送トラックまで出してくれる人は普通いません」


『長い付き合いじゃからの』


「長さだけですか?」


『わし、仕事は真面目じゃったぞ』


ヴィットリオが眉を上げた。


「“仕事は”って自分で言うな」


『納期破ったことないしの』


「人のポケットには手ぇ入れるくせに?」


『それとこれとは別じゃ』


「別にすんな!」


電話の向こうで、ジュゼッペが何か飲む音がした。


少し考えてから付け足す。


『まあ、あとは金じゃ』


ヴィットリオとルカが揃って黙った。


「……結局そこかよ」


『金“も”じゃ』


「そこ強調します?」


『頼んだ仕事にはちゃんと払う。借りたもんは返す。金払い悪い奴は嫌われるぞ』


ヴィットリオは遠い目をした。


「お前に社会常識説かれると腹立つな……」


そこへ、通信越しにマルコの声が入る。


『……少しいいですか』


「何だ」


『モレッティさん』


ルカが顔を上げる。


「はい」


『今の話、警察より詳しくないですか』


ルカは一瞬黙った。


ヴィットリオが横目で見る。


「……一般企業です」


『一般企業ですよね?』


「一般企業です」


『本当に?』


ルカは咳払いした。


「合法に応用してます」


ヴィットリオがゆっくり顔を向ける。


「その言い方やめろ」


電話の向こうで、ジュゼッペが楽しそうに笑った。


その時だった。


遠くで扉が開くような音がした。


続いて、ばたばたと近づいてくる足音。


『てか、なんで俺知らないの!?』


突然、電話の向こうからテオの声が飛び込んできた。


ヴィットリオが反射的に携帯を少し耳から離す。


「……何だあいつ」


『今、自分だけ避難の方法知らされとらんかったことに気づいたんじゃ』


『母さん! なんで!?』


今度は少し離れたところから、サーシャの声。


『だって言ったら、あんた絶対残るって言うでしょ』


『だからって気絶させる!?』


ヴィットリオの眉が上がる。


「……気絶?」


ジュゼッペが面白そうに笑う。


『お前さん、サーシャに寝かされたんじゃよ』


『寝かされたって言い方やめろ!』


『よう寝とったぞ』


『寝てねぇよ! 気絶だよ!』


向こうで何かが動く音がする。


どうやらテオがジュゼッペの近くまで来たらしい。


ヴィットリオはこめかみを押さえた。


「サーシャ……」


娘の声が返ってくる。


『だって、お父さんも分かるでしょ。あの子、知ったら絶対“俺が見張る”とか言い出すもの』


ヴィットリオは数秒黙った。


「……まあ、言うな」


『じいちゃんまで!?』


ジュゼッペがすかさず続ける。


『運んだのはお前さんのお父さんじゃ』


『は?』


向こうが一瞬静かになる。


ヴィットリオも何となく答えを待った。


数秒後。


『いや一番重症じゃん!!』


さらに奥から、疲れ果てた男の声がした。


『……お前、重いんだよ』


『父さん!?』


『階段で傷開くかと思った……』


『なんで父さんに運ばせたの!?』


サーシャがあっさり答える。


『他のみんな忙しかったから』


『母さん!!』


ヴィットリオの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


ルカも視線を逸らしながら笑いを堪えている。


だが。


ヴィットリオは遠くの黒煙を見た瞬間、その表情を戻した。


まだ煙は上がっている。


何も終わっていない。


「……ジュゼッペ」


『なんじゃ』


「酒はそこまでにしろ」


電話の向こうで、グラスの動く音が止まった。


『まだ残っとるんじゃが』


「知らねぇよ」


『あと一杯くらい――』


「まだ終わってねぇ」


低い声だった。


それだけで、向こうの空気が変わる。


足音も、テオの声も止まった。


しばらくして、ジュゼッペが短く答える。


『……そうじゃな』


ヴィットリオは傷の残る拳をゆっくり開いた。


港の風が赤くなった手の甲を冷やしていく。


「そこから絶対動くな」


『分かっとる』


「外に出るな。誰にも連絡すんな。生きてるって分かるようなことは何もするな」


『そのくらい分かっとるわい』


「テオにも言っとけ」


すぐ近くから声が飛ぶ。


『聞こえてるよ!』


「なら黙ってろ」


『理不尽!』


ヴィットリオは無視した。


ルカは端末へ視線を落としながら言う。


「こちらからも接触は避けた方がいいでしょう。向こうが成功したと思っているなら、訂正してやる理由はありません」


「ああ」


ヴィットリオは頷いた。


今すぐサーシャの顔を見たい。


テオが本当に無事なのか、自分の目で確かめたい。


ジュゼッペの頭を一発殴りたい。


だが、今こちらから会いに行けば、せっかく作った優位を自分たちで捨てることになる。


通信の向こうからマルコの声が入った。


『こちらも同意見です。現場の情報は絞ります。生存者についても、現時点では公表しません』


「頼む」


『ただし、長くは隠せません』


「分かってる」


ヴィットリオは携帯を持ち直した。


家族は生きている。


それだけで十分だった。


安心するのは、全部終わってからでいい。


電話の向こうで、ジュゼッペが小さく息を吐いた。


『……しかし、お前も相変わらずじゃの』


「何がだ」


少し間があった。


『じじいのくせに、むちゃしやがって』


ヴィットリオの眉間に深い皺が寄る。


「お前もじじいだろ。認知症か?」


『誰が認知症じゃ!』


「七十だろうが」


『お前より二つ上なだけじゃ!』


「だからじじいだっつってんだよ」


『人のこと言えんじゃろ!』


ヴィットリオは鼻で笑った。


ほんの一瞬だけ。


四十二年前から変わらないような、くだらないやり取りだった。


そして。


ヴィットリオの声が静かになる。


「……頼んだぞ」


電話の向こうも、すぐには返さなかった。


さっきまでの騒がしさが消える。


やがて。


『任せとけ』


今度のジュゼッペの声には、笑いがなかった。


ヴィットリオは通話を切った。


ルカが端末から顔を上げる。


「ボス」


「ああ」


ヴィットリオは遠くに上がる黒煙から視線を外した。


敵は、家族を殺したと思っている。


家族は、生きている。


初めてこちらだけが持っている情報だった。


ヴィットリオは傷ついた拳を握り直した。


「マルコ」


『はい』


「次だ」


今度は。


こっちが動く番だった。

カーテンサイダートラックとはヨーロッパで普及している横側がカーテンになっているトラックです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。