第3話「毒の気配」
王宮の晩餐室に漂うのは、焼き立ての仔羊肉と芳醇な赤ワインの香り。
長テーブルの上座にジークハルト殿下が座り、そのすぐ隣に私が控えていた。いつものように給仕が銀のドームカバーを外し、湯気の立つ肉料理とソースが運ばれてくる。
「……本日のメインディッシュ、仔羊のロースト・香草ソース添えにございます」
給仕が恭しく一礼し、銀の取り分け用ナイフを差し出そうとした瞬間。
私の鼻腔を、微かに焦げたような苦みと、甘いアーモンドに似た香りが掠めた。
(……シアン化合物、それに夜光草の搾り汁?)
香草ソースの濃厚なハーブの香りに紛れ込ませてあるが、間違いない。
耐性のない人間が口にすれば、数分と経たずに呼吸麻痺を起こして命を落とす猛毒だ。
「お待ちください」
私は声を荒らげることなく、極めて自然な所作で給仕の前に銀のナイフを割り込ませた。
給仕が目を丸くし、周囲の侍従たちが息を呑む中、私は平然とした顔で香草ソースを指先にわずかに取り、躊躇なく自らの舌先へと運んだ。
じわりと舌が痺れ、喉の奥に焼けるような熱さが広がる。
体内の抗体が即座に反応し、分解熱が首筋を駆け抜けていく。――やはり、致死量だ。
「ロゼリア様……!?」
「給仕長、本日のハーブの仕入れ先を今すぐ確認なさい。香草に野生の毒草が混入していたようです。……この皿はすべて下げて」
冷静に指示を出し、ナプキンで口元を拭う。
騒ぎになりかけた晩餐室を、ジークハルト殿下の低く鋭い声が一喝した。
「全員、下がれ。今すぐだ」
王太子のただならぬ気迫に押され、給仕や侍従たちは青ざめた顔で一礼し、嵐のように部屋から退室していった。
重い扉が閉ざされ、広い部屋に二人きりになった瞬間――ガタッと椅子を蹴るような音が響いた。
見上げれば、ジークハルト殿下が恐ろしい形相で私を見下ろしていた。その瞳には、かつて見たことのないほどの激しい怒りが渦巻いている。
「……何の真似だ、ロゼリア」
「私の役目を果たしたまでです。あの料理には、致死性の毒が――」
「言ったはずだ!」
怒号が静寂を切り裂いた。
ジークハルト殿下は私の肩を掴む勢いで歩み寄ると、寸前で手を止め、鋭く言い放った。
「お前はもう二度と毒見などするな! 危険なことに首を突っ込むな!!」
冷たく、容赦なく突き放す言葉。
私の心臓が、氷水を浴びせられたように冷え切っていく。
「殿下……私はお役に立とうと……」
「お前の役目など、最初から望んでいない!……もういい。下がれ」
彼は私から乱暴に顔を背けた。
けれど、背を向けた彼の右手が――拳を固く握りしめたまま、かすかに、けれど激しく震えているのを私は見逃さなかった。その瞳は、私を睨みつけることすらできず、足元の絨毯をただ睨み据えている。
「……失礼いたします、ジークハルト殿下」
私は深く頭を下げ、部屋を退出した。
重い扉が背後で閉まった瞬間、冷たい廊下で壁に背を預け、震える息を吐き出す。
(守られているの……? それとも、疎まれているの……?)
冷徹な拒絶の言葉と、あの震えていた彼の手。
矛盾する彼の態度に心を引き裂かれながら、私は胃の奥に残る微かな毒の熱を抱え、薄暗い廊下を一人歩き出した。




