第2話「親切な異母兄」
午後の柔らかな光が差し込む王宮の温室庭園。
色とりどりの薔薇や珍しい南方系の花々が咲き誇る一角で、私は一人、窓越しに中庭を眺めていた。婚約発表から数日。王太子妃教育の合間に許されたわずかな休憩時間だが、張り詰めた神経は容易に緩んではくれない。
「――おや、美しい花園に、見目麗しい妖精が迷い込んだのかと思ったよ」
背後から掛けられた柔らかな声に、私はすっと背筋を伸ばして振り返った。
歩み寄ってきたのは、豪奢な金糸の刺繍が施された上衣を優雅に着こなした青年――王太子の異母兄、レオンハルト殿下だった。母親の身分が低いため王位継承権は持たないものの、温厚な人柄と洗練された物腰で、宮廷内でも多くの支持者を集めていると聞く。
「レオンハルト殿下。ご挨拶が遅れ、申し訳ございません」
私が完璧な淑女の礼をとると、レオンハルト殿下は困ったように眉を下げ、優しく微笑んだ。
「堅苦しい挨拶はよしてほしいな、ロゼリア嬢。弟の婚約者とはいえ、義理の兄になるのだから。……それにしても、噂通りの聡明で美しい方だ。ジークハルトには少々勿体ないくらいだよ」
「恐れ入ります。私などには過ぎたお言葉です」
「いいや、本心さ。君がこれまで背負ってきた過酷な境遇を聞けば、誰もがその気高さに胸を打たれるはずだ」
レオンハルト殿下は気遣わしげな眼差しで、そっと歩み寄ってくる。
「幼い頃から『毒喰らい』として、過酷な訓練を強いられてきたのだろう? 名誉などという都合のいい言葉で飾られてはいても、その身に受けた苦痛は計り知れない。……本当に、大変でしたね」
心に寄り添うような、温かく染み渡る言葉。
これまで誰もが私の体質を「便利な機能」としてしか語らなかった中で、初めて苦痛そのものに同情を示されたことに、私の胸はわずかに揺らいだ。聞き上手で、相手が一番欲しい言葉を的確に差し出してくれる人だ。
だが、彼がふと視線を落とした瞬間――その瞳が、私の手にほんの一瞬だけ、奇妙なほど冷徹に留まったのを私の感覚は見逃さなかった。
毒草を調合し、毒見のために指先を晒し続けてきた私の手。
それは憐れみというより、道具の強度を測るような、酷く乾いた視線に思えた。同時に、殿下の衣の合わせ目からふわりと、どこか甘く粉っぽい香りが微かに漂った気がした。……気のせいだろうか。すぐに殿下が再び顔を上げたときには、そこにはいつもの柔和な笑みしか残っていなかった。
「あ、失礼。見惚れてしまっていたようだ。……ジークハルトは感情を表に出すのが酷く不器用な男だからね。何か辛いことがあれば、いつでも私を頼ってほしい」
「お心遣い、心より感謝申し上げます」
礼を述べながら、私はふと視界の端に違和感を覚えた。
温室を見下ろす遠くの回廊――そこに、佇む人影があった。
ジークハルト殿下だ。
午後の陰影の中に立つ彼は、彫像のように微動だにせず、こちらをじっと見つめていた。その表情は遠くて窺い知れない。だが、黒革の手袋に包まれた彼の手が、欄干を軋ませるほど固く握りしめられているのが見えた。
目が合っても、彼は視線を逸らそうとしない。ただ、凍てつくような目で、私とレオンハルト殿下を射抜くように見つめ続けている。
(ジークハルト殿下……?)
彼の手袋の軋みから伝わってくる、張り詰めた気配。
やがて彼が背を向け、影の中へと消えていくのを見送りながら、私は小さく息を呑んだ。
「……どうかしたかい、ロゼリア嬢?」
「いえ……なんでもございません」
レオンハルト殿下はとても親切で、優しい方だ。凍りついた宮廷の中で、唯一差し伸べられた温かい救いのようにすら思える。
けれど――なぜだろう。
あの遠くから向けられていたジークハルト殿下の、痛いほど冷たく、けれどどこか切迫した横顔が、私の脳裏からどうしても離れなかった。




