第1話「毒見役の婚約者」
豪奢なシャンデリアが眩い光を落とす大広間は、着飾った貴族たちの熱気と、隠しきれない好奇の視線で満ちていた。
「これより、王太子ジークハルト・ヴァン・ラルグレインと、ロゼリア・バルティエ侯爵令嬢の婚約を発表する!」
侍従の厳かな声が広間に響き渡る。
壇上へと続く絨毯を踏みしめながら、私は唇の端をわずかに引き上げ、完璧な淑女の笑みを保っていた。けれど、祝福の拍手だけではない。扇の陰から漏れ出る、毒を含んだ囁き声の数々が、冷たい風のように私の肌を撫でていく。
「……バルティエ侯爵家の令嬢が選ばれた理由、知っているか?」
「ええ、もちろん。『毒喰らいの血』でしょう? あの一族は代々、どんな猛毒にも耐性を持つ異能の血筋だとか」
「つまり、王太子殿下の新しい『毒見役』というわけね。妃の座を餌に、生きた盾を買い取ったというところかしら」
(もっとも――どんな毒にも効くわけではないのだけれど。それを知る者は、この国にほとんどいない)
扇越しに投げられる嘲笑と哀れみの眼差し。
幼い頃から幾度となく浴びせられてきた言葉。
背筋を伸ばし、一歩も揺らぐことなくジークハルト殿下の隣へと進み出る。
「毒喰らいの血」――バルティエ侯爵家にのみ受け継がれる特異体質。
危険な劇薬を口にしようと、私の体は瞬時に毒素を分解し、死に至ることはない。物心ついた時から、父には毎日のように毒草を噛まされ、耐性の強度を測られながら育った。「お前は我が家が王家に差し出す、最高の防壁なのだ」と刷り込まれながら。
(知っているわ。私がここに立っているのは、私という人間が望まれたからではないことくらい)
ふと隣を仰ぎ見る。
ジークハルト殿下は、彫刻のように均整の取れた横顔に一切の感情を浮かべず、前方の貴族たちを冷たく見据えていた。夜空を溶かしたような深い藍色の瞳は酷く凍てついていて、誰も寄せ付けない孤高の氷壁を思わせる。
婚約の儀が滞りなく終わり、控えの間へと案内された。
重厚な扉が閉ざされ、侍従たちが退出すると、部屋の中には針が落ちても聞こえるほどの静寂が落ちる。
「……ロゼリア」
低い、硬質な声が私を呼んだ。
ジークハルト殿下は私と視線を合わせることなく、外套の留め具を外しながら淡々と告げた。
「今後、私の食事および茶会の席には必ず同席してもらう。体調に問題があれば、事前に侍従へ申し出るように」
「……かしこまりました、殿下」
私は深々とカーテシーを返した。
それ以上の言葉はなかった。殿下は疲れたように一度だけ目を細めると、私の返答を待つまでもなく背を向け、私室へと続く奥の扉の向こうへ消えていった。
残された広い部屋の中、私は一人、ドレスの裾を握りしめる。
用件だけの、事務的な言葉。
私という存在に向けられた関心は、ただ「毒見役としての機能に問題がないか」の一点のみ。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛んだ。
最初から分かっていたはずだった。政略結婚であり、私の価値はその血にしかないのだと。
それでも――ほんの少しだけ、馬鹿な期待を抱いてしまっていた。
冷徹と噂される彼が、もしも私の仮面の奥にある痛みに気づいてくれたなら。
道具としてではなく、ただの一人の令嬢として、私自身を見てくれたなら、と。
「……これでいいわ」
誰もいない部屋に、私の呟きが落ちて消える。
「私はただ、役目を果たすだけ。……それだけでいいの」
自分に言い聞かせるように唇を噛みしめながら、私は鏡に映る自分を見つめた。
そこに映る私の瞳は、どんな劇薬を煽ったときよりも酷く、濁って見えた。




