第七話 栗東トレセン古川調教師
緊張した面持ちで、華音は調教師のの前に立っていた。
「三嶋華音です。宜しくお願い致します」
「うむ。古川だ」
栗東トレセンでの実地研修の初日、華音は調教師である古川良彦に深々と頭を下げた。元騎手である古川は短い髪に厳つい顔付きで低い声で話し始めた。
「三嶋、成績は?」
「二位と三位を行ったり来たりです」
「そうか。うちは女だからって特別扱いはしねぇぞ? 分かってるよな?」
「はい。他の方々と同じでお願いします」
そう答えた華音を古川はマジマジと見る。身長が低いのは良しとしても筋力不足ではないかと思えた。
競馬学校騎手課程の体重管理は厳しい。だが、華音の手足はほっそりとしていて、ただの痩せっぽちにしか見えなかった。
(体質的に筋肉が付き難いのか? 学校で筋トレをしてるにしては細過ぎな気がせんでもねぇんだが……。女の子と言うのは、こんなものなのか?)
全体的に『線が細い』と言う印象だったが、実際に作業が始まると男性厩務員と同じように重い飼料をしっかりと持ち運び、五百キログラム超えの馬も振り回される事なく上手く扱っていた。
寝藁交換など、汚れ作業も嫌な顔一つする事なく淡々とこなしている華音を物陰から見ていた。
「ふむ……。細っこく見えるだけで筋力も根性もあるな……。作業も丁寧だし、馬の扱い方も良い。この面は合格だな。さて、肝心なのは技術が身に付いてるか、調教をさせてみてどうか……だな」
いくら厩舎作業が完璧であっても、実際に馬に乗せてみなければレースに使える人間なのかどうか判断が出来ない。騎手デビュー後に騎乗依頼を出せるかどうかが大事だと言うのが古川の考えである。
古川は六十歳近いが、男女で判断する程女性騎手を多く見てきた訳ではない。だが、やはり女性では筋力や精神面で男性騎手、特に先輩騎手に遅れを取るのではないか、競り合った時やコース取りをする時に遠慮したりするのではないかと考えていた。
「レースで遠慮してしまうようじゃ騎手として使いモンになんねぇからな。生意気と言われるぐらいじゃねえと。それにしても、自分の子供より歳が下の女の子を預かるってのもなぁ……」
騎手はほぼほぼ男性であるが故、古川が騎手課程の女生徒を預かった事がない。
騎手に怪我は付き物ではあるが、年頃の女の子となると今までと違う緊張感があった。
「まぁ、良い。あの難関の入学試験を突破し、二位三位争いをするだけの実力があるんなら男も女も関係ねぇ」
そう思い調教をさせてみる事にした。騎手課程の生徒を示す赤白の染め分け帽を被って馬場を走る華音を古川はスタンドから見詰めていた。
(ほぅ……。中々良い走りをするじゃねぇか……。騎乗姿勢が良いのは体幹がしっかりしてるからだな……。周りは野郎の先輩騎手ばっかだってのに気後れしてる感じもしねぇ……。後は……だ)
「三嶋っ!」
走り終えた華音に古川は声を掛けた。華音は調教助手に馬を引き渡すと古川の傍に走って行く。
「はい。調教師」
「お前、今乗った馬をどう感じた?」
「え……」
古川に問われて華音は表情を固くした。乗り方が悪かったかとか、何か問題があったのかと思ったからだ。
(私……何かミスった……? ううん。ちゃんと乗ったよ……? 調教師は『どう感じた』って訊いたから叱責じゃない……よね? 何かのテスト……?)
「遠慮せんで良い。思った事、感じた事を率直に言ってみろ」
「はい」
華音は緊張しながらも自分の感じた事をそのまま伝えた。
「多少うるさい面はありますが、走る力はあるなと思いました」
「距離はどれぐらいが良いと感じた
?」
「千六(千六百メートル)か千八(千八百メートル)ぐらいかと」
「芝か? ダートか?」
「体型的にも、走らせてみた感じもダートだと思います」
そこまで訊いて古川はジッと華音を見る。厳つい顔で真剣に見詰められると心臓がバクバクと音を立てる。
教官も確かに怖いが、調教師は現場の人間と言う意識が華音の中にあり、教官以上に緊張をしてしまうのだ。
「あの……調教師。私、何か判断を間違えたでしょうか?」
「否、俺の判断と違ってはねぇぞ。お疲れ」
「はい」
古川の答えにホッとした華音は礼をして、次の作業に移った。その背中を見ながら古川はニンマリと笑った。
(三嶋華音……か……。こいつはひょっとしてひょっとするぞ。確かに、まだまだな処はあるが……使える)
古川は、次の日も次の日も華音に調教をさせてみた。調教初日はやはり多少の固さがあるように思えたが、次第に固さも取れて来たのを満足気に見ていた。
調教を終えると古川が毎回同じような質問をして華音が答える。そうやって、古川は華音の騎手としての才を確認して行った。
華音は毎日調教させてもらえるのは嬉しかったが、響太と詠一の姿を調教コースで見る事が少ないなと気にしていた。だが、馬に跨ると雑念はシャットアウトし、本番のレースに乗っている気持ちで馬と向き合っていた。
気持ちを切り替えないと落馬の危険が増すのだ。それは、父との乗馬教室に通わせてもらう時の条件でもあり、華音がいつも心掛けている事でもある。
「調教師、おはようございます」
「おう、三嶋。朝一はこの馬を任せる。次もあるからな」
「はい」
古川は馬の調子と華音の乗り方をチェックし、時計を確認する。
「うん、良い時計だ。あのうるさい馬を上手く操ってるな」
一日一日が過ぎて行く内に、古川の中で華音の印象はガラリと変わって行った。
蝉達がうるさく自己主張する季節が過ぎ、鮮やかな紅葉の季節を迎えた。
休日、久し振りに響太、詠一とトレセン近くの喫茶店で日々の報告会をした。同じ栗東にいても、ゆっくり話す時間が中々取れずにいた三人は、お互い実習で何をしているか等を聞くのを楽しみにしていた。
「え? 華音はそこまで調教任されてるのか?」
「うん。調教師にその日に乗った子の話をするんだよ。距離とか適性なんかをね。昨日乗った子は良い背中してたんだぁー。ああ言う子にレースで乗ってみたいよ」
毎日、複数頭の調教に乗っている報告をすると響太も詠一も目を丸くしていた。
「どんな馬に乗せてもらってるんだ? さすがに重賞に出るような馬には乗せてもらえないだろうけど」
「それはさすがにね。この秋デビューか冬デビュー予定の子が多いよ。まだ人を乗せる事に慣れきってない子に、振り落とされそうになった事もあるんだよね」
華音はそう言ってストレートのアイスティーを一口飲んだ。体重を増やす訳にはいかないとカロリーを気にして、なるべく糖類は控えている。
たまにはケーキや大好きなシュークリームを食べたくなるが、騎手になりたいなら今は我慢するしかない。
「新馬かぁー。俺さ、この前ブラッシングしてて噛まれそうになったぞ」
「俺は、殆ど調教させてもらってないな。乗せてもらうのは新馬ってのは一緒だけど。三嶋は良いな」
話を聞いてみれば、響太も詠一も調教の数はそう多くないようであった。
「調教師の考え方の違いかな? けど、色んな馬に乗っておきたいよね。模擬戦の時もだし、デビューした時にどんな馬でも乗れるって強みだと思うし」
騎乗依頼をもらって乗るのが通常だが、色んな事情で騎手が乗り代わる事もある。そんな時にどんな馬でも乗りこなせると言うのは強みであると三人は学校でも話していた。
その経験を華音は二人より多くさせてもらっているのだから羨ましいと響太も詠一も言う。
「うん。ありがたいなって思ってる。調教師は良い師匠だなって思うしさ。私、古川調教師にずっと付いて行きたいって思ってる」
響太も詠一も華音が一回りも二回りも大きくなった気がした。




