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いつかあの頂上(てっぺん)に  作者: 志賀 沙奈絵


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第五話 先輩源田翔吾


 競馬学校の朝は早い。トレセンの厩舎と同じように馬の世話などの作業をするからだ。


 乗馬教室でも馬の世話をやっていた華音にとって何の苦にもならずはりきって作業をしていた。他の生徒も同じかと思っていたが、臭いのきつい馬房の作業を仕方なくやっていると言う感じの生徒も何人か見て取れた。


(そんなに嫌かなぁ? ま、良いか。人は人。私は私だもんね)


 中学生になる頃には騎手と同じように早起きをするようにしていて、余程疲れた日ではない限り目覚まし時計の必要がないくらいになっていた。




「三嶋。お前って馬房作業丁寧だな。手際も良いし」

「早いけど手は抜いてないしなぁー」


 休憩時間に声を掛けて来たのは同期の鳥本とりもと響太きょうた風見かざみ詠一えいいちだった。


 一次試験の時から顔は知っていたが、小学生時代の嫌な経験から、入学から何日経っても男子生徒との会話をなるべく避けていた。


 華音の顔は少々引きつり声が震えていて腰が引けていた。


「え? あ……うん。えっと……鳥本くんと風見くん……だっけ? あの……私の行ってた乗馬教室の先生が騎乗技術も大切だけど、馬の気持ちになって世話をしろって言う先生だったから」


 響太は黙っていると人を寄せ付けない印象だが所謂いわゆるイケメンで、騎乗技術は同期の中では一番だと華音が一目置いている人物だ。出身地は京都。京都競馬場近くで育ち、小さな頃から父親に連れられて競馬を見ていたから競馬は身近な物であったと自己紹介で言っていた。


「成る程。良い先生だったんだな。あ、俺の事は響太で良い」

「え? あ、うん」


 詠一は生れつきと言う少し茶色がかった髪と笑うとエクボが出来る人懐こそうな笑顔が女の子ウケが良さそうな子犬系と言った雰囲気であった。出身地は華音と同じ滋賀。家の近くに乗馬クラブがあり何となく行ってみた処、才能があると言われてその気になったと言うが、努力家であるのは華音も認めていた。


「俺の行ってた教室の先生もそんな事を言ってたなぁー。お前等が綺麗な寝床で寝たいなら馬も同じだろーみたいな。俺も名前で良いぜ。俺も名前で呼ぶし」

「うん。分かった」


 何気ない会話をしたその日から三人の距離は一気に縮まり、お互いの良い処を認め吸収し、悪い処は指摘し改善を目指す仲となった。


(響太と詠一は……小学校の奴等とは違うな。私を女だからと見下したり馬鹿にしたりしない)


 理論派の響太と努力家の詠一は性格は全く違うが仲が良かった。華音とも良き同期でありライバルとなり、三人は常に上位の順位争いをしていた。


 とは言っても一位は圧倒的に響太である。騎乗姿勢の美しさだけでなく技術も優れていて、教官からも『お手本のようだ』と言われていた。体が柔らかく、詠一からは『軟体動物』と呼ばれていた。


 二位争いは華音と詠一。ほぼ同位と言えるぐらいだった。ただ、華音には問題があった。


「また、筋力が足りないって言われた……。分かってる……。筋力がなかったら馬を御せないって……。女だからって馬体の軽い子ばかり騎乗依頼来る訳じゃない。五百キロ超えや六百キロ近い子だって居るんだから……」


 教官から言われるまでもなく、暇さえあれば華音は筋トレをしていた。校内に植えてある木にぶら下がっているのを教官に見付かり大目玉を喰らった事もあった。


「筋肉付けたい……。筋肉付けたい……。筋肉付けたい……」


 呪文を唱えるかのように筋トレをしている華音に付いたあだ名は『筋トレ魔人』。だが、皆騎手を目指している学校であるから否定する人間は居らず、いつの間にか華音と響太と詠一の三人は一緒に自主トレをする事が増えて行った。


「三嶋。木馬行くか?」

「華音。バランスボード勝負やらねぇ?」


 授業だけでなく休み時間等にもトレーニングに励み、同期入学者では華音達三人と残り四人の差が少しずつ開いていった。


 一般的な学校と同じように妬み僻みからおかしな噂が立つのは時間の問題だった。何を言っても火に油だと思った三人は無視を決め込んでいたのだったが、その噂が特別講師として学校を訪れていた先輩騎手である源田げんだ翔吾しょうごの耳に入ってしまった。


 源田は教官に許可をもらい在校している生徒全員を食堂に集めた。


 少し長めの髪とおしゃれなトレーニングウェアを着てはいるが目つきは鋭く怒りに満ちていて、顔を見られるだけで身がすくむようだった。


「関係ある者もない者もちゃんと聞けよ? 変な噂を流してる奴が居るようだが、情けなくないのか? 負けるのが悔しかったら試験で勝てば良い。勝負の世界に進もうとする人間が、学校での成績で負けたからといって悪評を撒き散らかすとか有り得ないとは思わないのか? 騎手としてデビューしたら勝つより負ける方が断然多いんだぞ? そんなくだらない噂を流してる暇があるならトレーニングしろ。技術を磨け」


 職人気質で曲がった事が大嫌いと言う性格の源田にとって、悪い噂を流し蹴落とそうとするのは許すまじき行為である。だが、教官の手前故に大声で怒鳴りつけたいのを我慢しているようだった。


 怒鳴られるより冷静にこんこんと怒りを込めた目で睨み付けられる方が余程怖いと思ったのか、皆姿勢を正したまま固まっているように見えた。




 その日の夕食後、三人は揃って自主トレをしていた。その休憩中、いつものように輪になって座ると昼間の話になった。


「源田さん……。凄い迫力だったな」

「うん。厳しい人だって言う噂は聞いてたけど本当だったね」

「小学生みたいな噂を流すとか精神的に幼い奴は騎手に向かないだろ。そう言う奴は、負けてヤジられたら立ち直れないんじゃないかと俺は思ってる。詠一はどう思う? ……詠一?」

「詠一? 聞いてんの?」


 源田の騎乗スタイルが好きで憧れていると言っていた詠一はずっと俯いて黙っていた。響太が話し掛けたのにも気付いていない。


 どうかしたのかと二人が顔を覗き込むと、気づいた詠一は顔を上げ目をキラキラと輝かせていてニヤッと笑った。


「源田さん格好良かったなって思ってさ。俺、やっぱり源田さんが目標だよ。騎手としてだけじゃなく人間として尊敬する。あんな大人になりたい」


 二人は深く頷いた。怖い人だと聞いてはいたが間違った事は言っていない。怖いのではなく真剣なのだと思った。そして、何より『勝つより負ける方が断然多い』と言う言葉が三人の胸に深く突き刺さった。


 フルゲートの十八頭で出走し勝つのは一頭だけ。残り十七頭の馬は勝ち星を得られず、騎手は勝ち鞍を得られないのだ。


(だからこそ……勝てる騎手になれるように訓練しなきゃならないんだ。十八分の一を勝ち獲る為に……。私は馬を勝たせられる騎手になりたい……。絶対になりたい……)


 華音は源田の言葉を噛み締めて翌日からも更に真剣に訓練に臨んだ。







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