第三話 騎手になりたい
華音は、自室の机の前に座り考え込んでいた。
(私が騎手になりたいって言ったらパパとママは何て言うかな……?)
競走馬の引退は早い。強ければ強い程早く引退をさせて種牡馬や繁殖牝馬となる。サラブレッドは血統が大切とされ強い馬の遺伝子を残そうとするからだ。
『今頑張ってもダイワスカーレットには乗れない』
その事実で華音のダイワスカーレットへの憧れが終われば良かったのだが、騎手への憧れは消えるどころかドンドンと増していった。
「本当に女の子の騎手って少ない……。有馬記念だけじゃなくG1を勝った女の子の騎手は居ない……。どうして? 女の子じゃ無理なの?」
『女は騎手になれてもG1は獲れない』
その事実が華音の負けず嫌いに火を着けた。
「じゃあ、私が一番最初にG1を獲る女の子の騎手になれば良いんじゃない? 私が大人になるまでにG1で勝つ女の子の騎手が出ちゃうかも知れないけど……。それでも、騎手になりたい。よしっ‼ どうしたら騎手になれるか調べてみよう」
華音は学校から帰ると父母の居ない時間にパソコンを使って騎手のなり方を調べた。
「千葉県に競馬学校って言うのがあるんだ。乗馬未経験でも良いの? うーん。……乗馬の経験があった方が良いと思うんだけどな。基礎があるのとないのでは違うと思うしさ。てか、乗馬ってどこで出来るんだろ? 近所で、そんなのあるなんて聞いた事がないんだけど……」
ポチポチと検索をしてみる。
「あ、あった、乗馬教室。……え? 遠いんだけど……」
華音の自宅周辺には乗馬教室はなかった。子供が通える距離じゃないとは思うが諦めきれない。
競馬学校騎手課程の入学要項には未経験者でも良いとは書いてあるが、騎手の経歴等を見るとやはり乗馬経験者が圧倒的に多かった。
天才と言われている有名な騎手も小学生の時から乗馬を習っていたと書いてあった。更には才能があるだけでなく人一倍努力をしているのを知ると俄然とやる気がわく。
だが、乗馬教室の詳細を調べると華音の前に現実と言う高く険しい壁が立ちはだかった。
「高っ‼ 乗馬教室って高い……。私のお小遣いや貯めてたお年玉じゃ足りないよぉ……。どうしよう……。それに自転車で通える所に乗馬教室がないなら、やっぱりパパとママに言わなきゃ駄目だよね……? でも……」
迷いに迷った華音は夕飯の時に話そうと決意を固めた。
「あの……あの……ね、パパ。ママ」
「ん? どうした?」
「食欲ないの? 具合が悪い? あまり食べてないようだけど」
大好きなグラタンだと言うのに華音は話さなきゃと言うプレッシャーで食欲は何処かへ行ってしまったようだった。
「ううん。元気だよ。えっと……あの……パパとママに将来の事で相談があって……」
華音は手にしていたフォークを置いた。八歳の娘が突然『将来の相談』と言うのだから、博則も朱音も驚いたのは言うまでもない。
「しょ……将来……?」
『結婚したい人が居る』とでも言われるかのように博則は恐る恐る訊ねた。
「うん。私ね……。私、乗馬教室に通いたいの」
「へ? 乗馬? 乗馬って馬に乗る乗馬か?」
博則はあえて訊き返した。英語を習いたいと言われた時は将来役に立つと思い、直ぐに良さそうな教室を探して通わせた。それと同じような感じで『乗馬』と言うのだから聞き間違いかと思ったのだ。
「うん。私、騎手になりたいの」
「キシュ……? 乗馬……? え? ちょっと待て……。ま……まさか……」
「うん。競馬の……」
「騎手っ⁉ ジョッキーっ⁉」
博則はガタンッと音を立てて立ち上がり、朱音は手にしていたフォークを取り落とした。
「駄目だっ!」
初めて聞いた博則の怒鳴り声に華音はビクッと体を震わせた。
「騎手ってのは命懸けなんだぞっ⁉ 落馬したら死ぬ事だってあるんだっ! そんな事、許す訳ないだろっ!」
「分かってるもんっ! じゃあ、パパは私に外に行くなって言うのっ⁉ 外に行ったら車に轢かれるかも知れないじゃないっ! 家に居たって地震とかもあるし、強盗だっ……」
「屁理屈を言うなっ!」
博則の怒鳴り声にも怯まずに華音は立ち上がり言い返した。だが、所詮は子供の言い分だ。大人を納得させられる物ではない。
博則はバンッとテーブルを叩いた。だが、華音は引かなかった。
「屁理屈かも知れないけどっ! 私は騎手になりたいっ! だから、乗馬教室に行きたいのっ!」
「駄目だっ! 絶対に駄目だっ! 俺は絶対に許さないっ!」
博則と華音はテーブルを挟んで睨み合った。フイッと博則から目を逸らして華音は朱音を見た。
「ママも? ママも私が騎手になるのは駄目って言う?」
「華音は、どうして騎手になりたいの?」
目に薄っすらと涙を浮べた華音は朱音に訊ねた。いきなり『騎手になりたい』と言う言葉に驚いが、とにかく冷静にと思って訊ねたのだが、博則は華音の答えを待たなかった。
「朱音。理由なんて訊く必要はない。駄目なものは駄目だ」
「何で? 何でパパは私の将来の夢を反対するのっ⁉」
「命懸けの仕事を『はい、そうですか』って賛成出来る訳ないだろっ!」
華音が落馬すると決まった訳ではない。それでも、父親として危険から遠ざけたいのは当たり前の心理なのだが、八歳の子供には理解出来るはずもなかった。
「もう良いっ! パパが許してくれないならジィジに言うっ! 私、ジィジの所の子になるっ! パパなんて……話も聞いてくれないパパなんか嫌いっ! 大嫌いっ!」
華音は顔を真っ赤にして捨て台詞を吐くと、ダイニングから出て自室へと階段を駈け上がって行った。
博則は娘を思う気持ちが暴走し、理由も訊かずに怒鳴ってしまった事を後悔した。そして『パパなんか大嫌い』の言葉の威力は凄まじく、冷静になると共に力が抜けてヘナヘナと椅子に崩れるようにへたり込んだ。
華音と博則の初めての大喧嘩に、朱音は俯いた博則を見てから、華音の部屋のほうを見上げて深い溜め息を吐いた。
博則は立ち上がり華音の部屋へ行って説得をしなければとは思ってはいるのだが、金縛りにあったかのように体は動かず俯いている。
(華音……。どうして……何で……)
朱音は小さく溜め息を吐くと落としたフォークを拾い上げた。だが、食べる気にはならずカタンとテーブルに置いた。
「朱音……。正直どう思う……?」
「そう……ね。ねぇ、詳しく調べてみない? 判断はそれからでも良いと思うの」
詳しく分からないまま議論する事は良くないと朱音は常々思っているので、二人は競馬学校や女性騎手を調べてみる事にした。
「ん……。女性が少ないって事はそれだけ女性には厳しく難しい仕事って事よね。でも、考えてみてよ。華音はまだ八歳よ? まだ、競馬学校に行くまで七年あるわ。もし……入学願書を出す頃になっても騎手になりたいって思っていたならチャレンジさせてみても良いんじゃない? ほら、合格率見てよ。こんなに低いのよ? 華音が受からない可能性だってありそうだと思わない?」
こう言う時、女の方が肝が座っているのかも知れない。博則は朱音の冷静さといざと言う時の判断力を尊敬していた。
「そうなんだけど……なぁ……」
「博則の冷静で慎重な性格は好きよ。でもね、石橋を叩くのも良いけど、叩き過ぎてぶち壊すのは賛成出来ないわ。見守る事も必要じゃない? 度を越した過保護は子供の成長を阻害するって思わない?」
「そうだな……」
その日、夜遅くまで博則と朱音は色々と話し合っていた。




