第三十六話 フォルチュンヌと暫しの別れ
桜花賞の後、またフォルチュンヌは飼い葉の食いが落ちた。
「ちょっと疲れが溜まってるのかも知れん。放牧に出そうと思っとる」
「はい。今まで目一杯頑張ってくれてましたから」
古川に告げられた後、華音はフォルチュンヌの馬房へと向かった。
「フォル。牧場に行ってのんびりしておいで。その間に、私は勝ち鞍上げておくからね」
フォルチュンヌはクリクリした目で華音を見詰めてから肩口に顔を寄せた。華音は腕を伸ばして首を抱き締めた。
「離れるの淋しい? 私もフォルと離れるの淋しいよ。でも、フォルがまた頑張って走る為だから。それに、暑い時期は涼しい所にいたほうが良いんだしね」
フォルチュンヌに言葉は通じているだろうかと考える。
(通じてるよね。私の声がフォルの合図になっているんだから……。ただの合図じゃない。きっと、分かってくれている。フォルは賢い子だから)
華音が首筋を撫でてやるとフォルチュンヌは小さく鳴いた。
✤✤✤
春競馬が終わり、あっという間に夏がやってきた。
華音は重賞への騎乗依頼がいくつもくるようになっていて、各地の競馬場へ移動するようになっていた。
(色んな厩舎や馬主さんから声がかかるのは嬉しいけど、移動費と移動の疲れが半端ないよぉ……)
それでも、依頼が来なくて悩んでいた頃よりモチベーションは高いし、北海道や九州の名産品を両親や祖父母に送ると言う楽しみもあった。
小中学校の時に乗馬教室へ送り迎えをしてくれていた祖父はすっかり歳を取り足腰が弱ってきたと聞いたが、華音が各地の名産品を送ったり写真を送ると喜んでくれている。
(私が有馬記念出る時にジィジにも中山に来て欲しいんだけどな。無理かな……? ううん。私が早く出られるように頑張れば大丈夫っ!)
フォルチュンヌが放牧に出てから陽介の所有馬に何頭も乗らせてもらった。
新馬、未勝利、オープン馬と、様々な依頼をこなしている。
「やりましたね、三嶋さん」
「ありがとうございます。この子も良い馬ですね」
「未勝利から脱出出来て良かったですよ。三嶋さんは来週からは函館だそうで」
「ええ。残念ながら宝塚には声がかからなくて」
「ははは。じゃあ、来年の宝塚は三嶋さんにお願いしようかな」
「お願いしますね」
桜花賞を獲ってから華音と陽介の会話は『フォルにもう一つG1の称号を』というものか『華音の勝率アップ』『次の騎乗依頼』が大半になっていた。
『色気もクソもない』と小園は呆れ返っていたが、そもそも陽介には女優かと思うぐらいの美しい妻がいる。
その妻も気づけば華音のファンだと言う事で、桜花賞の口取り写真の後、華音とのツーショット写真とサインを強請り陽介は苦笑いを浮かべていた。
(こんな美人の隣で写真とか拷問なのでは……)
その時の華音は、そんな事ばかり考えていた。
「じゃあ、次のレースがありますので」
「頑張ってください」
「はい」
華音は深く頭を下げた。
(次は、新馬だ。ちゃんとゲートを出てくれたら良いんだけどな)
様々な馬がいる。ゲートを出るのが下手くそでも速い子もいれば、歯止めが効かない子もいる。
(私の仕事は一頭でも多く勝たせてやる事だよね。あ、そう言えば確か響太も出るはず)
騎手控室に入ると響太は鞭を手にグーッと伸びをしていた。華音に気がつくと響太はニッと笑った。
「三嶋。さっきのよく追い込めたな」
「うん。前が詰まっててどうしようかと思ったよ」
響太の隣に座ると同時に騎乗の号令がかかった。
「よし、行くか」
「うん」
ヘルメットをかぶり二人はパドックへと向かった。
ゲートが開き、バラついたスタートになった。
華音の騎乗馬は多少入れ込んではいたが、先行する馬の後ろにつけて4コーナーを過ぎた。その時、観客席からざわめきがおきた。
一瞬気にはなったが、華音は内にいる一番人気の馬の動きだけに集中していた。
「ほらっ! 行くよっ!」
鞭を入れるとグンッと伸び出して残り百メートルで先頭に立つとそのまま一着でゴール板を駆け抜けた。
「よしよし。よく頑張ったね。お疲れ様」
ポンポンと首筋を叩いてやっていると、スーッと空馬が通り過ぎていった。
(あ、さっきざわついてたのは誰か落馬……。え? これって響太が乗ってた……)
ゼッケンの番号を見て、華音の心臓はドクンと大きな音を立てた。
スタンド側に戻りながら目を凝らすと、救急車が駆けつけていて後ろのハッチが上げられている。
(響太……。無事だよね?)
駆けつけたい衝動を押さえながら見ていると、他の馬の動きを見た響太の騎乗馬が戻ってきていた。
所在なげな様子で歩いている馬に声をかける。
「良い子だね。一緒に戻ろう? こっちだよ」
華音は優しく声をかけた。手綱を取ってやろうかと思うが、変に手綱を握ってしまって走られたりしたら危ない。
馬の気持ちを落ち着けるように声をかけながら、ゆっくりと馬を歩かせた。響太が乗っていたはずの馬は、華音の騎乗馬の横をトコトコとついてきた。
厩務員が駆け寄り引き綱をつけて、曳いていくのを笑顔で見送った。そして、もう一度馬場を振り返る。
(救急車……もういない……。響太……)
華音は、騎乗馬をカンカン場に入れて、次のレースへと向けて歩き出した。
響太の事は心配だが、華音には次の騎乗がある。
(響太の事は後で職員さんに訊いてみよう……)
華音は響太の無事を祈りながら騎手控室に入った。
響太は病院で検査を受ける事となり、後の騎乗は乗り替わりとなった。
(響太……。私、響太の分も頑張るからね? 全部乗り終わったら病院に行くから)
響太の分の乗り鞍の一つを乗る事となり、無事一着となった。
✤✤✤
翌日、華音と詠一は落馬をして入院している響太の見舞いに行った。響太は左足を骨折していて暫く入院するとの事だった。
「あ、そうだ。響太の落馬と華音がセットでバズってんたぜ」
「へ? 何? どう言う事だよ? 俺、何か変な落ち方したか? いや、それなら三嶋がセットはおかしいか……」
詠一は響太にスマホを手渡し、響太は画面をタップした。
響太が躓いた馬から投げ出されたシーンの後、華音が響太の騎乗馬を誘導している場面へと続いていた。
『途方にくれる馬を誘導した華音ちゃん。優しい』
『厩務員さんが迎えにくるまで寄り添ってた三嶋騎手の優しさに涙』
そんなコメントと共に物凄い勢いで拡散されていたのだ。
「私、また変装しなきゃ外にいけなくなっちゃったよぉ……」
そんな泣き言を言いながら頭を抱えた華音の肩を、響太は優しくポンポンと叩いた。




