第三十一話 ジュベナイルフィリーズ
ドクンドクンドクン
華音は騎手控室の隅でギュッと目を瞑り、自分の心臓の音を聞いていた。
(G2のときとは比べ物にならないぐらいに心臓がバクバクしてる……。でも……怖くない……)
今朝、調整ルームを出る時に響太が励ましてくれたのと、土日共々中京で走る詠一が木曜日に励ましてくれたのもある。
(頑張るよ、私。フォルの調子だって良いんだから)
目を開いてパドックを歩くフォルチュンヌを見る。落ち着いていて、堂々と歩いている。
「お? 落ち着いたか?」
「源田さん」
源田が華音の顔を覗き込むようにしながら声をかけてきた。
「良い顔してるな。成長したな、三嶋」
「はい。ここで怖気づいたら、調教師にも馬主にも担当厩務員さんにも申し訳ないですから」
「そうだぞ。競馬は一人でするもんじゃない。皆の思いを背負うんだ」
「はい」
騎乗の号令がかかり、源田はポンと華音の背中を押した。華音はスッと前を向いてパドックに向かった。
阪神競馬場 11R 第74回阪神ジュベナイルフィリーズ G1 15:40発走 芝1600m
フォルチュンヌは十六頭立ての十二番人気だった。締め切り前のオッズは単勝68.9倍だ。
(十二番人気かぁ……。まぁ仕方ないよね。実績の乏しい私が鞍上なんだし)
以前のような卑屈な気持ちは欠片もなかった。吹っ切れたというのだろうか。一着への闘志が満ち溢れていた。
(やってやろうじゃない! 大穴を開けまくった実績を見せてやるわよ)
ファンファーレが鳴り響く。
華音は大きく息を吸い込み、フォルチュンヌの首筋を撫でた。それに応えるかのように、フォルチュンヌは凛とした顔になりゲートに入った。
ガシャン
ゲートが開き、フォルチュンヌは綺麗なスタートを切った。出遅れた馬もいて多少バラついたスタートだったが、スタートの良かったフォルチュンヌを華音は中団の前目に位置取るように導いた。
(やっぱり三嶋はスタートが上手いな……。位置取りもスムーズで良い……)
響太はモニターを真剣に見ていた。華音をライバルと心の底から思った日から、華音の騎乗を目に焼き付けているのだ。
(源田さんをガッツリとマークしてる……。そりゃ、源田さん圧倒的な一番人気だもんな)
時折順位が変わるがフォルチュンヌは安定して位置をキープしている。
(いつ仕掛ける……? 仕掛け時を誤ったら、源田さんにやられるぞ? 三嶋)
響太は自身が華音の立場だったらと脳内でシュミレートしながら見ている。いずれ華音とレースで競う時の為に。
(ここまでは俺の考えているのと同じだ……。この先が勝負たぞ)
華音はジッと前を走る源田の背中を見ていた。3コーナーを過ぎ、4コーナーに入ると源田がスルスルと外目に出した。
その後を華音はピッタリとついて行く。
(源田さんの後を追えば、他の馬に邪魔されない……。ただ、距離を見誤れば接触するのに……)
馬の後ろ足が触れれば落馬の危険性が増すというのに、華音はひたすらピッタリマークをして追っている。
(絶妙な距離感……。紙一重って奴じゃ……)
4コーナーを過ぎ直線コースに入った。
華音はフォルチュンヌを源田より外に出した。そして、馬体を併せるように前に前にとフォルチュンヌはスピードを上げ始めている。
観客席から沸き上がる歓声が場内を揺らしているようだ。
「フォルっ!」
華音の声を合図にフォルチュンヌは更に加速をする。
真横に尊敬している源田の姿と源田の騎乗馬を捕らえている。源田も華音も必死で追っていた。
他の馬は二頭の競り合いから遅れを取り始めている。そんな事は関係ないと華音は真っ直ぐに前を見ている。
ほんの少し離れた隣で追っている源田の気配だけを感じていた。
「負けるもんかぁーっ! フォルっ! 後少しだよっ! 私達は……私達は勝つんだぁーっ!」
響太は息をするのを忘れてモニターを食い入るように見ていた。爪が食い込むほどに固く握った拳が震えていた。
(行けっ! 行けっ! 三嶋ぁーっ!)
『同期の中で誰が一番最初にG1獲るだろうね』
そんな会話をしていた学校時代を思い出した。いつも一番だった響太の背中を必死で追っていた華音が、今G1の大舞台で先輩と勝負している。
(三嶋ぁーっ!)
二頭は同時にゴール板を駆け抜けた。観客席からは地鳴りのような歓声が上がった。
(ハァ……ハァ……)
華音は喉がカラカラで息も吸うのもつらい状況だった。
それでも共に戦ったフォルチュンヌの首筋をポンポンと叩いた。
「フォル……。お疲れ様……」
ゆっくりとスピードを落とし、空を見上げた。
「どっちだろうね……」
あまりの接戦に華音は判断出来ずにいた。そこに源田の馬が近づいてきた。
「三嶋。よくやったぞ。初めてのG1だとは思えないぐらいの走りだったな」
「はい。あの……どっちか分かりましたか?」
「いや。俺にも分からなかった。こりゃ、写真判定長引きそうだな」
「はい……」
他の馬達が足早に引き上げていく中、華音と源田は何度も掲示板を見上げていた。




