第二十四話 フォルチュンヌ
華音ががデビューして、三年目の二〇二十一年の八月。
調教終わりに昼食は何を食べにいこうかなと考えながら歩いていると源田が声をかけてきた。
「三嶋」
「源田さん。お疲れ様です」
「おう。お前、今時間あるか?」
「お昼食べにいこうかなって考えてたところですけど」
「なら、ちょっと話があるから付き合え」
そう言われ源田の車に乗せられた。近くの店に行くのかと思っていたが、源田の車は栗東から離れた店に着いた。
オシャレな店構えに華音は立ち止まってしまった。
(ちょっ! 近くの店じゃないなら先に言ってよぉー。汗かいたTシャツのままってぇー)
トレセン近くの店は華音を見ても調教終わりの騎手だと知られているが、トレセンから離れた場所だと何て思われるかと焦ったのだ。
「ん? ああ。ここは俺の行きつけだから、格好とか気にしなくても大丈夫だ」
「あ……、はい」
源田はドアベルを鳴らして店内に入り店員に軽く手を挙げると、一番奥の席に座った。水の入ったグラスを持って来てくれた店員に『いつもの』とだけ言って、源田は真剣な顔でアクリル板越しに華音を見た。
「あのな、お前さ、月城さん……、陽介さんのほうな。知ってるか?」
「え? 知らない訳ないじゃないですか。有名な馬主さんの息子さんで、ご本人も馬主をされてる方ですから」
月城陽介は若くして馬主をしている。陽介の父恵介も若くから馬主をしていると、騎手をしていて知らない人はいないと言っても過言ではぐらいだ。
「知ってるなら話が早いな。陽介さんがお前に会いたいんだと」
「ほぇ……?」
言われた言葉の意味が分からなくて、なんとも間抜けな声が出た。
(G1馬も持ってる馬主が何で? 今まで、何の繋がりもなかったよ? それが会いたいって……何で?)
目が点状態の華音の前で、源田はヒラヒラと手を振る。
「おーい、三嶋。生きてるか?」
「い……生きてますって。てか、私に会うって事の意味が分からなくて」
「お前、案外鈍いのな」
鈍いと言われて、華音がムッとした顔をすると、源田はケラケラと笑った。
「ブスッくれるなって。ほら、料理来たから、とりあえず食え」
「むぅ……。いただきます」
むくれていた華音だが、料理の美味さに機嫌はあっさりと直った。
✤✤✤
「初めまして、三嶋さん」
「えっと……初めまして。三嶋華音です」
「そんなに緊張しないでください」
(無理です……)
翌週、華音は月城陽介と会う事になった。嫌味のない高級スーツに身を包んだ陽介は、ニッコリと笑っているが華音はガチガチに緊張していた。
それでなくとも高級レストランだ。緊張しない理由がない。
「単刀直入に言います。三嶋さんに乗ってもらいたい馬がいるんですよ」
「私に……ですか?」
「ええ。とは言っても、まだ競走馬登録もしていませんが」
競走馬登録もしていない馬の騎乗依頼と言われて、華音は意味が分からなかった。
「三嶋さんは『ドゥーナデン』と言う馬はご存知ですか?」
「はい」
陽介は深く頷いた。
「僕は『バイアリータークのサイアーラインの復活』に興味があってね」
「バイアリータークって三大始祖の……?」
「そう。今はもう殆ど残っていないそのサイアーラインを復活させたいって思っていたんだ。それで、ようやくその一頭の馬主になったんだ」
ゴクンと華音は息を飲んだ。
「ま……まさか……」
「そう、その馬の鞍上は君しかいないと僕は思ったんだよ」
「わた……しが……?」
頭の中がグルグルしているというか、真っ白になるというか、目一杯混乱しているのだけは分かった。
ドクンドクンドクン
心臓が耳元にあるような感じがした。
「僕はね、君のような柔らかくそして厳しく、ひたむきで馬に寄り沿いながら、ひたすら前を向いている騎手を探してたんだ」
「で……でも……。私はまだ見習い期間中って言われる新人だし、しかも女で……」
陽介は真剣な目で華音を見詰めた。
「女だからなんて関係ない。僕は、僕の馬に一番合う騎手を選ぶ。それがデビュー年の騎手でも、ベテランでもだ。例えば地方競馬の騎手だったとしても、僕が『この騎手に任せたい』と思ったら、その騎手が一番なんだ」
陽介はそう言ってコーヒーを一口飲んだ。
「そうは言っても、手が合うとか合わないはあるだろう。僕の馬はまだ登録すらしてない。と言う事はデビュー出来ないかも知れない。だけど、この先デビューするとしたら、僕の馬の屋根を引き受けてくれないか?」
こんな前代未聞の騎乗依頼があるだろうかと思った。デビューが決まった訳でもない仔馬の騎乗依頼だ。
言葉を発しようとするが、口がパクパクと動くだけだ。
「まぁ、驚くのも無理はないよね。でも、僕は君の騎手としての才能に期待してるし、馬に対しての優しさや気遣いを知っている。だからこそ、君に任せたい」
ゆっくりと頭の中で陽介の言葉を整理していく。物凄く壮大な事に関わるのだと理解すると沸き上がるなんとも言えない高揚感。
「本当に……。本当に私で良いんですか……?」
「僕が良いと言ったら良いんだ」
太ももの上に置いていた拳が震える。
「私……乗りたいです……。どんな仔か分からないけど……。私の精一杯で、その仔と……」
「ありがとう。来月、競走馬登録する予定だ。あ、その仔馬は牝馬でね。登録名も決まっている」
陽介は一呼吸置いた。
「その仔の名前は『フォルチュンヌ』。フランス語で『運命の女神』だ」
(フォルチュンヌ……。運命の女神……)
華音の騎手としての実力が試されると分かっていても、高鳴る鼓動は押さえられなかった。




