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いつかあの頂上(てっぺん)に  作者: 志賀 沙奈絵


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第二十二話 初めての重賞


 古川厩舎の大仲で華音はフルフルと震えていた。


「せ……せ……調教師せんせい……。ほ……ほ……本当ですか……?」

「あ? なんで俺が嘘吐くんだよ。エイプリルフールじゃねぇぞ?」

「だ……だって……」


 麦茶をグビッと飲んだ古川は、信じられないといった顔をしている華音にニッと笑った。


馬主オーナーと相談してしまった事だ。まさか嫌だなんて言うつもりはないよな?」

「言いませんっ!」

「おう。なら行ってこい」

「はいっ!」


 華音は大仲を飛び出して行った。


「おいっ! 今から行くつもりじゃねぇだろうなっ⁉」


 古川が叫びながら大仲から顔を出すが、もう既に華音の姿はどこにもなかった。


「全く……」


 溜め息を吐きながら、古川は白髪の目立っている頭をガシガシと掻いた。




 華音は猛ダッシュでスタンドに駆け上がった。室内に入りキョロキョロとすると、隅っこでスポーツドリンクを飲んでいる響太と詠一を見つけた。


「響太っ! 詠一っ!」

「ん? 三嶋」

「んあ? 華音」


 華音は駆け寄り、いていた二人の前の長椅子に腰かけた。


「私っ! 私、重賞に出るの決まったっ! 六月十六日の函館スプリントっ!」

「おおーっ! 三嶋の重賞初騎乗決まったのかっ!」

「やったな、華音っ!」


 響太と詠一はパンパンと華音の肩を叩く。


「うんっ! やっと二人の背中が見えたよっ!」


 響太は既に重賞を勝っているし、詠一も重賞勝利こそないが何度も出場している。


「良かったな、三嶋」

「頑張ってたもんな」


 華音はジムに通うようになってから、更に勝ち鞍を上げるようになり騎乗依頼も増えた。


「えへへ。ん? ねぇ、六月の函館って……」

「思い出したか?」

「えっと……えっとぉ……。響太も……出る……とか……?」

「ああ。出るぞ、函館スプリント」


 華音はフリーズし、響太はニヤリと笑い、華音は口をパクパクとさせた。


「ま……ま……負けないからねっ!」


 ようやく言葉を発した華音に響太は拳を突き出した。


「俺も負けないからな」

「うん。私も負けるつもりなんてないから」


 コツンと拳を合わせ、二人は笑い合った。


「俺は阪神だから、二人の応援してるぞ」

「どっち? 私だよね? 私の応援するよね?」

「え゙」


 華音のにつめられた詠一は頬を引きつらせた後、仰け反って華音の顔から逃れようとして響太に爆笑されていた。




 六月十六日(日曜日)


 函館競馬場は小雨が降っていた。


(雨かぁ……。あの子、あんまり雨が好きじゃないからなぁ……。稍重かぁ……)


 初めての重賞に出る緊張感は馬場の心配で薄れていった。騎手控室でパドックをジッと見詰めていると、響太にポンと肩を叩かれる。


「芝、滑らないように気をつけような」

「うん。響太もね」


 華音の目には、響太は余裕があるように見えた。経験の差だという現実が華音には分かった。


(確かに私は初めての重賞だけど、そんなのを言い訳に出来ないよね。初めだろうが、ベテランだろうが、レースに出たら同じだもん。落ち着いて、気をつけていこう)


 スゥーっと大きく息を吸い込み華音はパドックに向かった。




 華音のスタートは完璧だった。先行馬に乗っていた響太は少し出遅れた。


(落ち着けよ、三嶋)


 騎乗馬が除外された源田はモニターを凝視していた。三番手につけた華音は危なげなく4コーナーを回った。


(少し外に……)


 進路を探してほんの少し外目に出そうとした時だった。


 ガツンッ


 前の馬が蹴り上げた芝と土の塊が華音の左顔面に直撃した。


(つぅ……。いったぁ……。けどっ! 馬が無事ならっ!)


 左目がぼんやりとしか見えないが、右目で先頭の馬はとらえている。


(負けるかぁーっ!)


 華音は接近してくる馬がいないのを耳で確認しながら鞭を入れてゴール板を目指した。




「三嶋っ⁉」

「おい、三嶋っ! 大丈夫かっ⁉」


 頭がグラグラと揺れる感じがしたまま、鞍を外して後検量を終えた華音はフラフラとしゃがみ込んだ。


 響太と源田の声が聞こえるが、遠くに聞こえた。


(ほっぺた……。これ……何……?)


 右手で触れると真っ赤な血がついていた。


(ああ……。出血してるんだ……。キックバック、直撃したもんな……)


 響太と源田に支えられ、華音はゆっくりと目を閉じた。




 華音が目を開けると真っ白な天井が見えた。


「ん? あれ?」

「あ、気がついたか」

「響太。私、どれだけ寝てた?」

「二十分ぐらいだ。気分は? 気持ち悪いとかないか?」

「うん、大丈夫。私、何着だった?」


 ゴール板を過ぎる時、右目の端に響太の馬が見えた気がしていたが、何着かも分からず、鞍を外した記憶もうっすらとしかなかった。


「お前は二着だ。よく脳震盪起こしながらよく無事にゴールしたよ」

「二着……」


 ショボくれる華音の肩に響太は手を乗せた。


「初めての重賞で、怪我しながら二着なんだぞ? そりゃ、一着にならなきゃ意味ないって思ってんだろうけど、充分『騎手三嶋華音』の存在感は示せたと思うぞ?」

「うん。次は勝つっ!」

「ああ」


 目の下に大きなモイストヒーリングパッドを貼られながらも気合いを入れている華音だった。






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