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いつかあの頂上(てっぺん)に  作者: 志賀 沙奈絵


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第二十一話 ジムとスカーレット号


 女性の斤量優遇が始まった三月二日のレースを阪神競馬場で他の競馬場にいる女性騎手の先輩をモニターで見ていた。


 鮮やかに一着でゴール板を駆け抜けている姿を見ながら拳を握り締める。


(やっぱり斤量の優遇って効果があるのかな……。楽勝って感じがする……)


 一キロで一馬身差がつくと言われているからだ。


 馬の調子が良かったからかも知れない。だが、馬が楽に走れてる気がした。


 一日だけじゃ判断は出来ないのは分かっている。競馬はそんな単純なものではない。


(私は斤量優遇に甘えない。利用はするけど。じゃないと定量の重賞には出られないんだから)


 競馬学校時代からもずっと筋トレはして来たが、思ったように効果が出ている気にはなれなかった。


(やっぱりしっかりと筋トレしたいな……。ジムに通うとか考えたほうが良いよね)


 土曜日に二勝し、日曜日には一勝した華音は、火曜日に先輩に相談しようと考えて栗東に戻った。




 火曜日の調教終わりに、華音は急いでスタンドに上がった。


(えっと……。あ!)


 華音は人にぶつからないように駆け寄って声をかけた。


「源田さん、お疲れ様です」

「お疲れ、三嶋。何かあったか?」


 源田はスタンドの隅でコーヒーを飲みながら雑誌を読んでいた。源田はバサッと雑誌を自分の脇に置いた。


「源田さんにお伺いしたい事がありまして……。私、ジムに通いたいって思ったんです。源田さんは確かジムに行ってらっしゃいますよね?」

「ん? ああ。ジムに行ってるが……。もしかして紹介して欲しいとかか?」


 華音は深く頷いた。自分でも色々と調べたのだが考え過ぎてしまい、どこのジムが良いか分からなくなったのだ。


 華音の説明に源田は少し考え込むような顔をした。


(こいつ……。相談前にちゃんと自分で調べたんだな。単純に訊けば良いって考えなかったんだよな)


 楽をしようとしない姿勢は源田の競馬に対する考えである。


「分かった。紹介してやる。ただし、かなりハードだぞ?」

「はい。よろしくお願いします」


 華音はパァーっと顔を輝かせ、深々と頭を下げた。



✤✤✤



 翌週、華音は源田と同じジムにいた。


「最初から今の源田さんと同じメニューだと体に負担がかかり過ぎるので、少しずつやっていきましょう」

「はい。よろしくお願いします」


 華音自身、ジムに行ってトレーニングすれば直ぐに筋肉がつくとは思っていなかったし、源田のように筋肉隆々の体になれるとは思ってはいなかった。


(それでもやらなきゃ。騎手が馬に振り回されるなんてあってはならないんだから)


 筋肉があるだけじゃいけない。体の柔軟さも必要だ。


(頑張る……。有馬記念に出たいから)


 ジムに通う曜日を決めた華音が最初にしたのは原付免許の取得だった。車の免許は取っていたが、維持費や保険料を考えると車は買っていなかった。


(そりゃ賞金とか騎乗料はもらってるけど、何か無駄な気がする……)


 車の所有はもっともっと勝てるようになってからでも良いと思っていたから、ひとまず原付免許を取り原付バイクを買った。


「三嶋、原付買ったんだ?」

「スゲェ綺麗な赤いバイクだな」

「うん。ダイワスカーレットのスカーレットって茜色って意味だからこの子にしたんだよ」


 調教終わりに華音のバイクを見た響太と詠一はピカピカの新車のバイクを撫でる。


「あ、そうだ。響太」

「え?」


 詠一が響太の腕を引っ張りコソコソと耳打ちした。華音は目の前で内緒話をされ、不思議そうな顔をしていた。




 翌日、調教終わりに華音はジムに行こうとしてバイクを見て唖然とした。


「ちょっ! ちょっ! ちょぉーっ!」


 華音の原付バイクのスカーレット号の前面やボディ部分に複数のサインが書かれていたのだ。


(ちょっとぉーっ! これ、響太のサイン……。こっちのは詠一……。え? え? これ……源田さんのだ……。こっちのは小園さん……。た……た……鷹羽さんのまであるじゃないっ! どうなってんのよっ⁉)


 他にも処狭しと書かれていて、口をパクパクとするしかなかった。


(え? え? 私のスカーレット号に何があったの……? てか、これ競馬ファンの人にしたら喉から手が出る程の価値があるんじゃない? じゃなくてっ! 響太達は分かるけど、なんで鷹羽さんのまでサインしてるのよぉ……)


 クラクラと目眩がする。ペタンと地面に崩れ落ちスカーレット号を見上げた。


 優しげな笑顔の大先輩と後輩の原付バイクの前面に嬉々としてマジックでサインする大先輩の人物像が一致しない。


(鷹羽さんって、こういうのする人なんだ……。イメージ合わない……。あ、早くジムに行かなきゃ。てか、これ乗って行くの……?)


 華音は洗車しても良いのか迷う程のお宝原付でジムに向かった。




「ウグギギイイイイっ!」


 声にならない叫び声がジム内に響く。レッグカールをしている華音の声だ。


(三嶋……。色気もクソもない声を出すなよ……)


 源田が呆れたように溜め息を吐くが華音は周りに誰がいるとか全く気にもしていない。


「ウヌヌヌヌウウウッ!」


 トレーニングは少しずつハードにして行く予定だったが、源田の半分以下のトレーニングで華音は壁を感じていた。


「有馬記念っ! 有馬記念っ! 有馬記念っ!」

「どんな掛け声だよ」

「ふえ? あ、源田さん。いつからいたんですか?」

「お前、気づいてなかったのかよ」


 チェストプレスからペックフライに移り、一息ついた華音に源田は声をかけた。


「ずっと見てた……とか?」

「見てた訳じゃないけど、何か変な生き物が叫んでるのは聞こえてたぞ?」

「そんな変な声出てました……?」

「思いっきりな」


 正直、無我夢中で隣についていてくれたトレーナーの存在も忘れていたし、必死で笑いを堪えていた事にも気がついてなかった。


「うう……。あっ! 源田さんっ! なんで私のスカーレット号にサインしたんてすかっ!」

「え? ああ。あれは鳥本と風見が三嶋へのエールだって事でサインしてやってくれって頼みに来たんだよ」


 ケロッとした顔で答えた源田に、華音はガックリと肩を落とした。


「んでな。俺達がサインしてたら通りがかった雄太さんと小園さんもサインしてやるって言って、次から次へとサインしたって訳だ」

「もう……。買ったばかりなのにぃ……」

「嫌だったら消すか?」


 下を向いていた華音がバッと顔を上げ、キッと源田の顔を見上げた。


「消すなんてもったいない事しませんよっ! 逆です、逆っ! サインが消えたら困るから乗れないんですっ!」

「は……ははは……。そ……そうか」


 華音の勢いに押された源田は苦笑いを浮かべた。


(こいつ、いつの間にか固さが取れたよな。敬語なのは変わらないけど。まぁ、野郎の先輩に臆する事なくガンガン攻めてくる乗り方する奴だったし、こいつ……まだまだ伸びるな……)




 後日、華音はバイクのガワだけを全部新しい物に取り替えてもらった。


(先輩達のサイン入りバイクを洗車したりとか出来ないもん。盗まれても嫌だしさ)


 部屋でサインを見詰めてニマニマしている華音だった。







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