第二十話 新たな年の初め
二〇十九年一月二日
(今年こそ……、今年こそ重賞に出たい。重賞に出て勝ちたい)
古川に新年の挨拶をする。
「俺はな、お前がやれる奴だって実地研修に来た時から思ってた。だが、デビュー年に三十を超えられるとは正直思ってなかったんだ」
「調教師……」
「今のペースなら、今年中に五十は超えられるだろうって期待してるからな」
「はい。頑張ります」
深々と頭を下げる華音を見る目は優しい。
その優しい顔も調教が始まるとどこかへ行ってしまうのだが。
翌朝、華音は寮の窓を開けて冷たい冬の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
(頑張ろう。私の出来る精一杯で)
『華音。君の人生は君の物だ。君が主役なんだ。だから精一杯頑張るんだぞ? 反省はしても後悔しないようにな』
競馬学校の入学式の後に博則から言われた言葉を目を閉じて思い出す。
(頑張るよ。パパ、ママ)
華音の新年の初レースは五日の京都競馬場だ。もちろん騎乗依頼はもらえている。
同日にはG3京都金杯が開催される。
(有馬記念の前に重賞に出られるように頑張ろう。千里の道も一歩からっ!)
フンッと気合いを入れて調教をこなし、スタンドに上がると、先輩達が気さくに声をかけてくれる。
そして、金杯の取材に来ていた記者の一人に声をかけられた。
「三嶋さんですよね。今、時間良いですか?」
「あ、はい」
差し出された名刺には『百瀬拓也という名前とそんなに大きくはないがスポーツ紙の文字があった。
空いてる場所に座り、あれこれ訊かれた。三十代前半に見える百瀬は丁寧で優しい雰囲気で華音は気持ちよく受け答えが出来た。
「ありがとうございました。あの個人的な事を一つ良いですか?」
「はい? なんでしょうか?」
「三嶋さんが初めて大穴をあけたあのレース、俺非番だったんで現地観戦してたんですよ。で、一緒に行っていた妻が三嶋さんの馬券を買っていたんです」
「え? あの時ですか」
取材が終わったのもあり、くだけた感じで笑顔を浮かべる。
「ええ。妻は初めての競馬で『同じ女性だから』って事で三嶋さんを応援したいって言って」
「そうなんですね。理由はどうであれ応援も馬券を買ってもらえて嬉しいです。ありがとうございました」
頷いた記者は大きな鞄から色紙を出した。
「ありがとうはこちらのセリフですよ。それで……申し訳ないですが、妻にサインをと頼まれまして……。良いですか?」
わざわざ色紙を準備していた百瀬は照れくさそうに差し出した。
「はい。喜んでさせていただきます」
ニッコリと笑って華音はサインをした。
百瀬の妻の名前の他に『応援ありがとうございました』とメッセージを入れると、記者は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、三嶋さん」
丁寧に両手で受け取ると、そっと大切そうに鞄にしまった。
「奥様によろしくお伝えください」
「ええ。では」
百瀬がスタンドから出て行くのを見送っていると、後ろから響太が声をかけてきた。
「三嶋も記者からサインを欲しがられるんだなぁー」
「うわっ! もう。後ろから声かけないでよ。ビックリするじゃない」
「ははは」
「てか、あれはあの記者の人が欲しいって事じゃなくて奥様がって事なの」
「へ? 奥様?」
響太が目を大きくなった。華音はサインをする事になった経緯を話した。
「へぇー。それって嬉しいよな」
「うん」
響太はウィナーズサークルでよくサインをしていた。女の子のファンも多く、キャーキャーと声援が飛びプレゼントももらっているのを何度も見てきた。
(そう言えば、競馬学校の時に詠一が丸坊主なのに響太はモテるって言ってたっけ)
華音はチラリと響太を見上げた。端正な顔立ちにそれなりの身長をしているなと思った。
「え? 何?」
響太は華音が見上げているのに気がついた。
「今更だけど、響太ってモテる人なんだなって気がついた」
「はぁっ⁉」
そこに詠一が駆け寄ってきた。
「華音、響太。うどん食おう……。どうした、響太」
口をポカンと開けた響太の顔を詠一はマジマジと見る。言葉を発しない響太に代わり、華音が事の次第を説明した。
「え? 華音って今まで響太がイケメンでモテモテだって気づいてなかったのか?」
「ついさっき気がついたのよね。やっと詠一が言ってた事に気がついたわ」
「だろ? 丸坊主でもモテるんだから、髪が伸びたらモテるのに拍車がかかったんだよな」
響太は口をパクパクとさせている。
「だね。私、気をつけなきゃ。隣に立ってたらファンの人に変な事思われそう」
「俺なんて比較されまくりだぞ?」
「同じ男として、それはつらいよねぇー」
華音と詠一が盛り上がっているのを響太はゲンナリとした表情で黙って見ていた。
「てかさ、華音は騎手のイケメンランキング見てなかったのかよ?」
「見てない。リーディングは毎週チェックしてるけど。イケメンランキングなんてあったっけ?」
響太がプルプルと拳を震わせる。
「あのなっ!」
ようやく響太が発した言葉に華音と詠一は振り返った。
「へ? 何? うどんの気分じゃなかった?」
華音の言葉に響太はガックリと肩を落とした。
「お前……。何の話しをしてんだよ……」
「うどん」
華音がケロッとして答えると、周りからゲラゲラと笑い声が聞こえた。気がつけば金杯のインタビューなどは終わっていてスタンド内は静かになっていて、華音達の会話は先輩達に丸聞こえだったのだ。
「お前等、騎手会の旅行でトリオ漫才でもやれよ?」
「三嶋ってボケ担当だったんだな」
「おもしれぇー。下手なお笑い番組見てるより笑えるぞ」
普段ニコリともしない仏頂面の先輩までもが声を上げ、涙を浮かべて笑っている。
(え? 私何か変な事言った?)
響太は右手で顔を覆い天を仰いでいて、華音と詠一はキョトンとして立ち尽くしているしかなかった。




