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いつかあの頂上(てっぺん)に  作者: 志賀 沙奈絵


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第一話 ダイワスカーレット


 二〇〇八年十二月二十八日


 華音の母朱音(あかね)はキッチンのレンジフードのフィルターを交換しながら階段を降りて来た華音に声をかけた。


「華音、部屋の掃除は終わったのー?」

「うん、終わったよ。ゴミもちゃんと分別してゴミ袋に入れておいた。プリントはシュレッダーにかけた方が良い?」


 普段からきちんと整理整頓をするたちの華音にとっては大掃除と言っても大してする事はなかった。掃除機を隅々まできっちりとかけ、要らなくなったプリント類をまとめた。


 特別な事と言えば窓拭きをするくらいで、六畳の自室の掃除はニ時間もかからず終わってしまった。


「そうね。あ、先にリビングに置いてあるオヤツ食べちゃいなさい。プリントは後で持って来たら良いわ。ママがシュレッダーかけるついでにやっておいてあげるから。あ、ちゃんと手は洗うのよ?」

「はぁーい」


 華音は現在八歳。同年代の子と比べ背は低く体重も軽かった。遺伝的に体が小さいのであろう。父方母方双方の祖父母もそんなに大きい訳ではない。その所為で『チビ』とからかわれている。


「小さい事の何が悪いって言うのよっ⁉」


 生来の負けず嫌い。特に男の子に負ける事が大嫌いで、勉強もスポーツにも力を注ぎ文武両道を突き進んでいた。


(そりゃあ、モデルさんとかにはなれないかもだけど、私は私にしかやれない事で一番になるんだから)


 掃除の邪魔だからと髪を結んでいたヘアゴムを解きながら華音は洗面所の鏡を見た。


 クリスマスに買ってもらったお気に入りのスポーツブランドの赤いトレーナーに、掃除をするからと選んだスキニーパンツは黒。赤と黒の取り合わせは華音のお気に入りだった。


「可愛かったらからかわれないのかなぁ……。ピンクの服とかスカートが似合うような……? やめやめっ! あんな奴等の言う事は気にしないっ!」


 一般的に見て華音は可愛い部類に入る。サラサラのストレートヘアは夏場は水泳の授業の為に短くはするが、それを過ぎれば肩甲骨辺りまで伸ばしていた。長い睫毛に縁取られた大きな目も、ぷっくりとした唇も愛らしい。


 華音自身が可愛さが足りない所為で虐められているのだと思い込んでいるのだ。安易に吐かれる『チビ』『ブス』の言葉にどれだけ傷付いて来たか分からない。


「ブスが泣いたぁー。余計にブスになったぞぉー」


 クラスの男の子に言われて以来、華音は泣かなくなった。泣けばブスになると思ったら泣けなくなったのだ。


「あーっ! もうっ! 思い出したくもないっ!」


 手と顔を綺麗に洗ってタオルで拭うと少しはスッキリした気分になりリビングに向かう。ドアを開けるとテーブルにある白いお皿にドーナツが二つラップを掛けて置いてあった。


(牛乳あったっけ? 昨日も、がぶ飲みしちゃったけど……) 


 背が低い事がコンプレックスで、牛乳をよく飲んでいたが身長は相変わらず低いままだ。


 キッチンに向かい冷蔵庫を開けると新しい牛乳が入っていた。


 怒ると怖いが働き者でしっかり者の朱音は買い物前に冷蔵庫をチェックして買い足しておいてくれたのだろう。華音はコップを出してなみなみと牛乳を注いで一口飲んだ。


「ありがとう、ママ……あれ? もう居ないや」


 さっきまでフィルター交換していたはずの朱音の姿は既にキッチンにはなかった。


「あーぁ。せめて後十センチは伸びて欲しいなぁ……」


 クラスの女の子達は『華音ちゃんが可愛いから意地悪してるんだよ』『男の子って好きな子には意地悪しちゃうんだよ』などと言っていた。

 

「私、意地悪するような人を好きにならないから」


 華音の答えは、その一つだけだ。


 実際、華音の初恋はまだであり、華音を溺愛している父方の祖父の利一りいちや父親の博則ひろのりは心配しながらも安心すると言う複雑な心境であった。


「大掃除終わったし、オヤツ食べたら英語のテキストやって……終わったら何しよっかな?」


 リビングに戻り、手にしていた牛乳の入ったコップをテーブルに置く。誰も居ないリビングのテレビを点けてペタンとラグに直接座った。


(何か面白いのやってるかな?)


 時計を見ると時刻は十五時二十六分。この時間は大抵博則がテレビを見ているので、ダイニングでオヤツを食べていた華音はどんな番組がやっているか知らなかった。


 チャンネルを変えて行くと聞いた事があるようなメロディーが聞こえて来る。


(この曲なんだっけ? パパがやってたゲームのオープニングに似てる気がするんだけど……)


 なぜかチャンネルを変える手が止まる。大きな運動場のような場所に馬がたくさん居て金網のような所に入っていっていた。


(馬だ。これなんだっけ……?)


 テレビから聞こえる音声に耳を傾ける。


『十万人近い大観衆……』

(十万っ⁉ 十万人近い人がここに居るの?)

『第三十五回有馬記念のスタートが今切られました』

(ありま……? 有馬温泉の有馬?)

『揃った見事なスタート。さぁダイワスカーレットが先頭に立つのか』


 グンッと先頭に出た馬に視線が釘付けになる。なぜだか分からなかったが、その馬から視線を逸らす事が出来ずにジッと画面を見ていた。


『千メートルの通過タイムは……』

(セ……千メートルっ⁉ 千メートルって一キロだよねっ⁉ この馬達何キロ走るの?)


 ダイワスカーレットと呼ばれている馬は、ずっとどの馬より先に先にと芝生の上を走っている。カーブを曲がった後、その馬はグンッと先頭に躍り出た。


 ドクンドクンドクン……


 自分の心臓の音が聞こえるぐらいにドキドキとしていた。


(す……凄い……。何キロも走ってるのに……。他の馬より速く走ってる……)

『勝ったのは十三番ダイワスカーレットっ! 三十七年振り。夢の扉が今開かれたっ!』


 興奮した男性アナウンサーの声が耳に届く。華音はまさに放心状態といった感じで画面を見続けていた。


(凄い……。凄い格好良い……)


 なぜか引き込まれた。理由なんて分からない。


 ただ、画面から目が離せなかった。


 呆然と画面を見続けていると外側からの窓拭きを終えた博則がリビングに入って来たが、画面に見入っていた華音は気が付かなかった。







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