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いつかあの頂上(てっぺん)に  作者: 志賀 沙奈絵


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第十七話 減量特典


 冬らしい日が増えてきた11月21日の調教終わり。古川厩舎に戻った華音の姿を硝子越しに見つけた古川は大仲の扉を勢いよく開けた。


「三嶋っ!」

「ウハァッ⁉ ふ……古川調教師(せんせい)、ビックリするじゃないですかぁ……」


 華音は胸元を押さえながら、呼吸を整えるように深呼吸をした。心臓がバクバクと早鐘を打っている。


「落ち着いてる場合じゃないんだっ!」

「え? でも落ち着いたほうが良いですよ? 血圧が上がりますから」

「おい。俺を年寄り扱いすんな。とりあえず中に入れ」


 古川は先に大仲に入り、自分専用のパイプ椅子にドカッと座った。華音は古川の興奮している事態を気にしながら、古川に続いて入りパイプ椅子を向かい合わせにするように置いて腰掛けた。


「来年の3月1日から、レース開催日で言うと3月2日からだが女性騎手の恒久的に減量特典マイナス2キロが決まったぞ」

「え? えっと……意味が……」


 免許取得5年未満や勝ち鞍が低い騎手などには減量特典がある。それが今さらなんなのだろうかと思っていた。


「お前達見習いには減量特典があるだろう? で、その減量特典に更に女性騎手はずっとマイナス2キロが適用されるんだ。定量戦は別だけどな」

「女性騎手だけの減量措置って事ですか?」


 古川は深く頷いた。


「お前はまだ見習い期間だ。だから減量特典の恩恵にあずかってる。だが俺は、お前の今の伸びからしたら五十勝も百勝も一気に超えていくと思っとる。その後のマイナス2キロは、お前の更なる勝ち鞍を積み上げる為には良い制度だと思っとる」


 華音は頭の中で古川の言う事を整理していた。


(見習いが終わってからも、女性騎手はずっとマイナス2キロで乗れるって事……? でもそれって女性騎手だけ贔屓されるって事……?)


 華音の渋い顔を見て、古川は何を考えていたのか悟ったのだろう。


「なんだ? 減量特典が嫌なのか?」

「え? あ……そういう訳では……。でも……」

「なぁ、三嶋。お前はG1を獲れる騎手になりたいんだろ? 確かに2キロの減量特典を受け続けるのは女性優遇だ。でも、チャンスだと思え」

「チャンス……?」


 古川はグッと前のめりになり、自分の膝を掴んだ。浅黒い筋張った手の甲には皺が目立つ。


 努力と実績と悔し涙が染み込んだ手だ。


 華音と他の所属騎手達と厩務員達を力強く引っ張ってくれる頼りになる手だ。


「お前は確かにまだ重賞に出る事はおろか、声さえかかっとらん。でもな、実績を積んで積んで積んで重賞に出て勝ってG1を掴みに行け。俺はお前ならG1を獲れると信じとる」

調教師せんせい……」


 古川が華音の肩に置かれる。


「お前の目指す有馬記念に減量特典は関係ない。だから、減量特典をラッキーだと思ってガンガン勝て。勝って勝って勝ちまくれ。それでG1を獲って、その後もガンガン勝って、一つや二つと言わず、いくつもG1を獲れる一流になれ」


 真剣な目をした古川に頷く。


 古川が怖いと言われてるのは、源田と同じで真剣なのだと思った。


 その時だ。


「古さぁ〜ん。華音に手を出したらヤバいですよ?」

「古さん、ロリコンだったんだ?」

「爺のロマンスかぁ……」


 話しに夢中になっていたら、いつの間にか大仲の扉の外には古川の仲が良い調教師や古参の厩務員達がニヤニヤと笑いながら立っていた。


「お……お……お前らぁ〜っ! 何しとるかぁ〜っ!」


 古川が顔を真っ赤にして怒鳴ると、皆ゲラゲラと笑いながら蜘蛛の子を散らすように走り去った。


「全くっ! あいつらはロクな事を言わんっ!」


 華音は俯いて必死で笑いを堪えていた。



✤✤✤



 疲れが残る体を引きずるようにベッドに雪崩れ込んだ。


(ハァー。今日も疲れた……)


 フゥーっと息を吐いて昼間の古川の話を思い出した。


(女性優遇の減量特典……かぁ……。ズルいって言われるかも知れない。でも、私がお願いした訳じゃない。私が決めた訳でもない)


 既に見慣れた天井を見ながらつらつらと考える。


(嫌だって思っても制度としてあるなら、私は『あいつには減量特典要らないだろ』って言われるぐらいになってやる)


 減量制度が選択制だったとして、利用せずに負けたら『負けるぐらいなら減量特典使えよ』とヤジられるだろう。


(勝っても負けてもヤジられる……。確かにそうだよね。ならさ、ヤジってくる人達に『何でお前が来るんだよ』とか『勝って欲しいのはお前じゃねぇんだよ』とか言わせてやるのも楽しくない?)


 今現在の華音は、華音が乗るからオッズが良くなる騎手ではない。たまに片手ぐらいには入るが、リーディング上位の先輩騎手達が同じレースにいると両手以下だ。


(こんな事を思っちゃいけないのかも知れないけど、私を買っておけば良かったのにって思わせてやるぞっ! 穴騎手だって言われるぐらいになってやるぅー!)


 華音は額に入れて壁に飾ってあるダイワスカーレットのポスターをジッと見た。


(まだまだ貴女の足元にも及ばないよね。でも、私は頑張るよ。絶対諦めない)


 目を閉じるとあの日のダイワスカーレットの勇姿がありありと浮かんでくる。


 何百回と思い出したあの日の有馬記念。


 映像データはもらってあるが、目を閉じるだけで思い出せる。


(まだ、私だけのダイワスカーレットとは出会えてないけど、いつか必ず出会えると信じてる。いつか必ず……)


 ゆっくりとベッドに吸い込まれる感覚がして華音は眠りについた。







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