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いつかあの頂上(てっぺん)に  作者: 志賀 沙奈絵


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第十六話 急がば回れ


 華音が鷹羽家に招待されたと若手の騎手達の中で噂が流れた。


(三嶋が……? どういう経緯で?)

(何で華音が? 大先輩の家に招待とか、何でだ?)


 理由は分からないが、その後から華音の様子が変わったと響太と詠一は思っていた。


 相変わらず黒を基調とした服装でベリーショートの髪形だが、どこかが変わって見える。


「何かあって何があったんだろうなぁー」

「詠一。お前、語彙力《ごいりょく》ないのな」

「響太って何気に酷いな」


 スタンドの二階の隅っこでヒソヒソと話す響太と詠一に気づいた華音が小さく手を振った。


 近づこうとした華音に若い調教師が声をかける。


「あー、丁度良かった。三嶋さ、再来週は京都? 新潟? 東京?」

「京都です」

「んじゃ、うちの馬頼めないか? 4Rなんだけどさ。空《あ》いてるか?」

「大丈夫です」


 華音の顔がパァーっと明るくなる。


「良かった。予定してた奴が捻挫したらしくてさ。馬主《オーナー》に相談したら三嶋が空いてるなら頼めないかって言っててな」

「そうなんですね。頑張ります。よろしくお願いします」


 ホッとした顔を見せた調教師は、軽く手を挙げてスタンドから出て行った。


(乗り替わりでもなんでも、こうやって騎乗依頼がもらえるのが嬉しい)


 何と言っても『馬主《オーナー》が』というセリフは飛び上がりたくなるぐらいに嬉しい。


(馬主《オーナー》が乗って欲しいって言ってくれるのって最高だな)


 響太と詠一の前の長椅子に座る。


「もしかして騎乗依頼か?」

「うん」

「一つでも乗らせてもらえるの嬉しいよなぁ〜」

「だね。馬主《オーナー》からっていうのが嬉しいんだ」


 未勝利でもなんでも乗らせてもらえなければ乗鞍も勝ち鞍もその先はない。


 華音は一鞍一鞍を大切にしようと思ってレースに挑んだ。



✤✤✤


 

 レース当日、華音は4Rを無事勝利した。だが、同じレースに出ていた詠一が3コーナー過ぎで落馬をしてしまい救急搬送されてしまったのだ。


 先頭を走っていた華音が後続の詠一の落馬を知ったのはゴール板を過ぎてからだった。


(詠一……。大丈夫だよね……?)


 残りの乗鞍が乗り替わりになってしまった詠一の容態は気にはなったがレースに集中しようと決めた。




「詠一、大丈夫か?」

「詠一。ねぇ、詠一ってば」


 病院に見舞いに行った華音と響太に詠一はショボくれて、布団を頭の上まで引き上げた。


「治るのにどれぐらいで、復帰はいつ頃になりそうなんだ?」

「全治一ヶ月……。それからリハビリとかして早くて二ヶ月……」

「え? じゃあ、捻ったとかじゃなくて……」

「脛《すね》の骨折……だった……」


 華音と響太は顔を見合わせた。華音も響太も『捻挫だろう』と思っていたからだ。


「あのさ、ごめん華音。響太と二人っきりで話したいから」

「あ……うん。じゃあ、談話室で待ってる」


 華音は男同士で話したい事もあるんだろうと席を外した。




「んで? 三嶋がいないと話せない事ってなんだよ? エロ本買ってきてくれとかか?」

「チゲェよっ!」

「じゃあなんだよ?」


 響太はベッド横にあった丸椅子にドカッと腰掛けた。


「俺……焦ってたんだ……」

「は?」

「響太はさ、もう重賞に乗らせてもらってるだろ? 華音だって騎乗依頼が少ないとかって悩んでたのに、俺よりたくさん依頼がくるようになってさ。勝ち鞍追いつかれそうで……」


 詠一の目はしだいに赤くなってきていた。騎乗数は詠一のほうが多い。だが勝ち鞍が変わらないという事は勝率が華音のほうが良いという事だ。


「華音は仲間だ。妬む気持ちなんてなかった。なかったはずなんだけど……」

「いつか追い越されるかも……ってか?」

「ああ。焦ったんだ。あの時、先行する華音の背中を見て置いてけぼりを喰うような気持ちになって、無理に前に行こうとして……このザマだよ……」


 どんどん華音の勝ち鞍が増え、いずれ重賞に出るかと思ったら堪らなくなったと言って目元を拭う。。


 響太は何も言えずにいた。


(俺は詠一より乗鞍も多くて勝ち鞍も多い……。重賞にだって出させてもらった……。俺が何か言うのって嫌味になったりしないか……?)


 詠一は本当に努力家で華音と筋トレしたり、過去のレースを何度も見たり、先輩達にアドバイスをもらいに行ったりしているのも響太は知っている。


「何をつまらん事をグダグダと」


 響太と詠一がビクリと肩を震わせてドアのほうに視線を向けた。そこに立っていたのは仏頂面で腕組みをした源田だった。後ろに華音も立っている。


「げ……源田さん……」

「風見。お前、急がば回れって知ってるか?」

「え……。あ、はい」

「今のお前には必要な言葉だろ?」


 詠一はハッとして、唇を噛み締めた。


「矢倉に急がば回れの石碑がある。風見だけでなく、三嶋も鳥本も行ってこい。お前等三人、危なっかしくて見てられん」

「源田さん……」


 源田はバサリと数冊の漫画雑誌を詠一のベッドの上に置いて、何も言わずに立ち去った。


 詠一はその漫画雑誌を大切そうに抱き締めた。


(急がば回れ……。焦って追いかけようとして、今ベッドの上だ……。その間にも華音も響太も勝ち鞍を上げるんだよな……。俺……何やってんだよ……。ダッセェ……)


 詠一の頬に伝う涙を華音も響太も見て見ぬふりをした。




「こんな所にあるんだ。私、知らなかったな」


 詠一が外出許可をもらえるようになってから、三人は『急がば回れ』の石碑のある場所を訪れた。


 昔の街道沿いにある小さな石碑を華音と響太と車椅子の詠一はしばらく見ていた。


「確かに琵琶湖を船で渡れば早いよな。でも、船を出せるようになるまで待つぐらいなら歩いて遠回りするほうが早い……か」

「まさに今の俺だよな」


 昔の船着場があった矢橋から大津に行くには近江大橋を渡れるから直ぐだ。だが瀬田唐橋まで行くには車でもそれなりに時間がかかる。


 車のなかった時代なら尚更、唐橋ルートは選びたくないだろう。船で渡れる可能性に賭けて何日も足止めを喰らって、結局は歩いたほうが早かったと後悔した人々の『急がば回れ』の言葉が深く胸に突き刺さる。


(私、周りが見えてなさ過ぎてたのかも……。まだ重賞にでさえ出る事が出来てないのに、真っ直ぐ進んで行く事だけに必死になってた……。もっと柔らかく、もっと落ち着いて行こう。多少遠回りしても、私は有馬記念に出られる騎手になる。それが十年後だって良いんだから)


 そっと響太と詠一を見る。二人も何か思う事があるのだろう。


 何を思ったのかなんて訊かなくても良い。きっと一つでも多く勝つ事を考えているのだろうと華音は思った。


(確かに鷹羽さんみたいに一年目でG1に出られる騎手になりたいって思う。だけど、私は天才じゃない。だから焦るな、私。焦らず一つ一つ勝っていこう。今まで以上に丁寧に丁寧に乗っていこう。でも、攻める気持ちはなくしちゃいけないけどね)


 また一つ前に進めた気がした。


 それでも先輩達の背中は遥か遠くで影さえ見えない。


(それでも諦めないんだから)


 華音の決意は強く固くなった。







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