第十四話 華音の変化
翌週火曜日、新潟遠征から戻り厩舎に現れた華音の髪は男性と同じぐらいに短くなっていた。
古川は源田から他言無用で報告を受けていた。その話の内容に怒りがわいていた上に華音の姿に衝撃を受けた。
「み……嶋……」
「おはようございます……。古川調教師」
「あ、ああ……。おはよう……」
頭を下げて馬房に向かった華音の目の下には濃いクマがあり、好んで着ていた赤いトレーニングウェアではなく全身黒ずくめだった。
普段から化粧はしていなかったが、ずっと使っていたピンクのリップクリームもしていなかった。
(女を辞める事は出来ない……。少しでも女を思わせる事はやめる……。私は騎手なんだ……)
華音の変化に響太も詠一も気づいてはいたが、傷ついたような目で無理に笑おうとしている華音に『何かあったのか?』とは訊けなかった。
古川は何も知らないふりをして、それまでと同じように接していた。
(せっかく騎乗依頼も勝ち鞍も増えてきてんのによぉ……。クソバカナンパ野郎、ブン殴っても気が済まねぇ)
トレセンの敷地外での出来事ではあったが、許しがたいと怒りを露わにしていたのは騎手会の会長鷹羽雄太だった。
『最初に聞いた時はまさかと思ったが、これだけの証拠があるんだな。分かった。これは人として許される行為じゃない。俺は一人の人間として、娘を持つ父親として許す気にはならない』
長くこの地域に住み、子供達の防犯対策にも力を入れていた彼や地元の人達も不審者対策に力を入れるという事で、地元住民や警察官によるパトロールを強化する事となった。
秋の気配がトレセン近くの山々にも訪れた。
あの日以降、華音の心は冷え切っている感じがしていた。馬に接している時は良いのだが、それ以外だとピリピリとした近寄り難い空気がありありと感じられた。
誰よりも早く厩舎に顔を出し、睡眠時間や休日を削ってトレーニングをしている姿を古川や源田は苦々しく思いながら見ているしかなかった。
「三嶋の奴……」
「源田。儂はあの事を知らない事になってる。お前、なんとかならんか……? あんな危うい状態では、いつか取り返しがつかない怪我をする気がするんだ」
勝ち鞍は上げてはいるが、華音の精神はギリギリだと感じた二人はこっそりと話し合っていた。
「え? あ……否。私はトレーニングを……」
「良いから。たまには先輩との付き合いもしなきゃ駄目だぞ? 酒を飲めと言う訳じゃない」
月曜日の朝、源田が寮まできて先輩の家に行くから付いてこいと言った。
「だ……だって大がいくつ付くか分からないぐらいの先輩の家に行くなんて……」
「大丈夫だ。てか、その大がいくつ付くか分からない先輩のお誘いを断るほうが問題じゃないのか?」
「う……」
正論をつかれて華音は言葉に詰まった。
(憧れすら抱けない大先輩の家だよ……? それに私は、まだデビューして一年も経ってないのに……)
しばらく考えて『断る訳にもいかない』と思い、華音は源田に連れられて大先輩の家に行く事にした。
(まさか先輩の家に行くのにトレーニングウェアは駄目だよね……)
華音は濃紺の開襟シャツを着て黒いスラックスを履いた。
あの日以降にワンピースやスカートは全て処分してしまっていたからだ。
そんな華音の姿に源田は何も言わずに、先輩宅へと向かった。
(フェ……。何度見てもデッカい家……)
華音はトレセン近くにある豪邸の前で、両手を握り締めて見上げてた。一見すると二階建てなのだが、地下にはかなりの広さの地下室があると噂で聞いていた。
「いらっしゃい」
出迎えてくれた大先輩の奥さんにカチコチに緊張してしまう。
「お……お……お誘いありがとうございます。み……三嶋華音です」
深々と頭を下げてから、はたと手ぶらで来てしまった事に気がついた。
(アワワワ。ど……どうしよう……。先輩のお宅にお邪魔するのに何にも持ってないっ!)
アワアワとしている華音の横で、源田は紙袋を差し出していた。
「春香さん、お邪魔します。これ、俺達からです」
(え?)
「気にしなくて良いのに。でも、遠慮なくいただくわね。ほら、入って入って」
「お……お邪魔します……」
フカフカのスリッパを履き、スタスタと歩き出した源田についていく。地下への階段を下りると真っ白なドアかあった。
「げ……源田さん……」
「あ? どうかしたか?」
「さっきの紙袋……」
「ああ。お前、手土産買いに行く暇なかっただろう?」
当たり前のようにサラッと言う源田に、華音は深々と頭を下げた。
「お気遣いありがとうございます」
「良いって。言っとくが礼とか考えるなよ?」
「でも……」
「そうか? そうだな。お前が重賞獲ったら飯でも奢ってくれ」
そう言って源田はニッと笑った。仕事から離れると源田は本当に優しい。
「はい。分かりました」
華音がそう答えると、源田はドアを開けて華音を部屋に入れた。
「うわぁ……。す……凄い……」
壁一面の棚に並んでいるトロフィーや盾やメダルなどの数々に華音の目は釘付けになる。
広さは華音の実家のリビングの倍近くあるだろうか。
「三嶋……。口開いてるぞ」
「だって……壮観って感じですよ……。博物館みたい……」
「まぁ、な。雄太さんっていうより、奥さんの春香さんの趣味みたいなものだよ」
「え?」
「春香さんは雄太さんの世界一熱狂的ファンだから」
華音は先程会った奥さんの顔を思い出す。ふんわりとした雰囲気の可愛い感じの奥さんと、熱狂的ファンといった言葉が一致しない。
「なんだ。突っ立てってないで座れ座れ」
いつの間にか部屋に入って来ていたのはこの家の主であり、華音の大先輩である鷹羽雄太だ。後ろには奥さんが続いている。
「三嶋さん、アレルギーはない? 好き嫌いがあっても大丈夫なように色々作ったから遠慮なく食べてね」
「あ……あ……ありがとうございます、奥様」
恐縮しながら華音が言うと春香は拗ねたような表情を浮かべた。
「この家に来たら私の事を奥様って呼んじゃ駄目なのよ?」
「え……、でも……」
焦る華音の横をたくさんの料理を乗せたキッチンワゴンを押しながら春香は笑って巨大な長いテーブルに近づいていく。彩り豊かな料理が乗った皿を一つ一つ置きながら話す。
「源田くん。ちゃんと三嶋さんに我が家のルール教えてあげなきゃ駄目じゃない」
「すみません。うっかりしてました」
ペコリと源田が頭を下げる。その表情は大先輩の前だというのがあり得ないぐらい柔らかだった。
(うわぁ……。これが、マジで素の源田さんなんだ……)
華音がポカンとして見ていると、鷹羽家の四兄妹や先輩騎手達がワラワラと入ってきて、華音はドキドキが止まらなくなりどうしようもない状態に陥ってしまった。




