第十三話 女だから
思うように騎乗依頼がもらえずに足掻いていた頃と比べて、少しずつ騎乗数が増えていっていた。
(一気に多く依頼がもらえるとは思ってない。だけど、もっと乗らせてもらいたい。なら、もっともっと上手く乗って、勝たなきゃ。実績を積むしかないんだから)
調教師や馬主の中にある『女だから』といった意識を変えていくには『勝てる騎手』にならなきゃならないと、調教もトレーニングにもますます力を入れるようになった。
そうして六月に入り夏競馬が始まだた。華音だけでなく響太も詠一も函館遠征に行っていた。
「函館良かったよな」
「だな。涼しいしさ」
「食べ物も美味しかったよね」
一度栗東に戻った華音達だが、週末に華音は新潟遠征に向かう事が決まっている。響太は再び札幌で詠一は小倉だ。
初めて三人が誰とも同じ競馬場にいない事となった。
頼りきっている訳ではないが、なんとなく話せば安心する仲間が誰もいないのは少し淋しいというか心許ない気がした華音だが、仕事なのだからと気合いを入れた。
明日は新潟に向かうという木曜日に最悪な事態が華音を襲った。
トレセンを出て少し行った先の人通りが少ない道路脇で華音は声をかけられた。
「そこの人」
「はい?」
振り返るとニヤニヤと笑って立っていたのは華音より年上に見える男性だった。
「あの、何か?」
その男性に思い当たる節がなかった華音が問いかけると、なぜかジリジリと距離を詰めてくる。
「えっと……」
「ふぅーん」
ゆっくりと後ずさった華音の背中に背後にある木が当たる。ただならぬ気配に誰か助けを呼ぼうと思うが辺りに人影はない。
ただ、うるさいぐらいに蝉が鳴いているだけだ。
「お姉ちゃん可愛いね。トレセンの子? 見た感じデビューしたての騎手って感じかな?」
「そうです……けど……」
「良いねぇ、若い子は。なぁ、俺と付き合えよ」
突然言われた事が理解出来ずに言葉に詰まる。
(だ……誰……? 私……こんな人知らない……)
知らない相手と付き合える訳もない。何とか断らないとと思うが声が震えそうになる。不躾な視線が上から下まで舐めるようで鳥肌が立つ。
「返事は?」
「すみません。お断りさせてください……」
「何で?」
「私は自分が納得出来る競馬が出来るまで恋愛はしないと決めてるので……」
華音が必死で絞り出した言葉に小さく舌打ちするのが耳に届いた。男の顔からはニヤニヤとした笑いが消えて、怒りの表情を浮かんでいる。
「んな事言ってるけど、女なんて直ぐ辞めるだろ? 勝てないとかなんとか言ってよぉ」
その言葉にカチンとした華音はキッと睨みつける。
「わ……私は辞めません。私には目標があるんです。だから簡単に辞めるなんて言いません」
今度はハァと大きな溜め息を吐かれる。
「ああ、そうかよ。なら付き合わなくても良いよ」
(え?)
ニヤリと笑ってグイッと体が近づいたかと思うと腹に股間を押し付けて来た。ゾワリと悪寒が走る。
「ヤラせろよ」
「や……やめ……」
「一回ぐらい良いだろ? 別に減るもんじゃないんだし、な?」
両の手首を掴まれて動きが阻まれる。喉が渇いて声が掠れる。
「あ? その反応、もしかして処女か? 良いねぇー」
(手が……振りほどけ……ない……)
身動きが取れない事で、男の力を思い知らされている気がした。
『結局女は男には勝てない』と暗に言われている気がして唇を噛み締める。口の中に鉄の味が広がった。
股間を蹴り飛ばしてやりたくても、体を密着されていてそれも出来ない。
「おい。いい加減にしておけ」
聞き覚えのある声に華音はハッとしてそちらを見た。
そこに立っていたのは、眉間に深く皺を刻んでスマホを掲げている源田だった。
「お前……。誰だよ?」
「誰? そんな事はどうでも良いだろう?」
源田はスマホを向けたまま、ゆっくりと近づいてくる。
「婦女暴行とか強姦で捕まるのが趣味なんですかね?」
「お前……、まさか撮影し……」
「ええ。動画で撮ってます。立派な証拠ですよね。で、どうします?」
華音は両手を掴んでいた男の力が緩んだのに気づき、思いっきり体を起こしながら顎に頭突きをした。
「アガッ!」
華音は頭に痛みを感じながらも、先輩がよろめいた所為で押さえつけていた手が離れたのを見て腕を引っ掻いてやった。
「ツッ! テメェ、何をしやがるっ!」
「自業自得でしょう? これで、彼女の爪には血なり皮膚片が残りましたよ? この動画と物的証拠はバッチリですけど? まだ続けます? それとも今直ぐ警察呼びますか?」
完全に体が離れた男の影から抜け出し、華音は源田に走り寄り背後に隠れた。
完全に分が悪いと判断したのか男は走り去った。
「大丈夫か?」
普段とは全く違う源田の優しい声に華音の頬に涙が伝った。
「なん……で……」
「ん?」
「なんで……私は……女なんですか……? 女だから……、騎乗依頼も少なくて……。押さえつけららたら……振りほどけなくて……」
頭の中がグチャグチャな気がした。源田に言ってどうなるとも思えなかったが、涙も言葉も途切れなかった。
「女は……駄目なんですか……?」
「駄目じゃない」
はっきりと言い切った源田の顔を見上げる。真剣な目が華音を見ていた。
「女だから駄目だなんて俺は思わないぞ。駄目な奴ってのはさっきみたいなクズ野郎だ。お前はG1を……有馬記念を獲れる騎手になりたいんだろう? 諦めるのか?」
「私は……」
目をギュッと瞑る。騎手になる事を反対する父を説得し、厳しかった競馬学校で必死で頑張ってきた。
共にG1に出られるように頑張ろうと励まし合ってきた響太と詠一の顔が浮かぶ。信頼して調教や騎乗を任せてくれた古川の顔が浮かぶ。
華音はグイッと手の甲で涙を拭った。
「私は諦めません。騎手を続けます」
「ああ。後の事は俺に任せておけ。ああいった奴には反吐が出る」
源田の目に浮かぶのは明確な怒り。
「とりあえず上には事実として報告しなきゃならん。事情聴取されるかも知れんが良いか?」
「構いません」
華音の中に沸き上がる怒りと負けるものかという強い意志。
「分かった。寮まで送るぞ」
「大丈夫です。助けていただいてありがとうございました」
目に涙は浮かんでいるが、それでも力強くキッパリと言った華音は深く頭を下げて寮へと走って帰った。




