第89話 何も来ない日
六日で、三枚 戻ってきた。
輪へ落とした四枚のうちの三枚だ。戻ってきたというのは、答えが出たという報せが届いたという意味で、紙そのものは戻ってこない。輪の中で処理されたものは、輪の中に残る。
鉄の枠は、二つ目の卓で出た。
二つの街道が同じ日に鉄の枠を取りたいと言っていた件だ。隣の卓へ回したら、その卓の書記が、二つの街道の書記を両方 知っていた。三人で会って、半日で決めたと書いてある。重いほうを先に通し、あとのほうは翌週の朝の一番を取った。
こちらへ来た報せは、四行だった。
――決まりました。
――重い荷を先に通します。
――もう一方は、翌週の一番を取ります。
――双方、承知しております。
誰が決めたかは、書いていなかった。
エレノアは、その四行を二度 読んだ。二度目に、書いていないことのほうを見た。理由が書いていない。経緯も書いていない。三人が会ったという一行があるだけだ。
六年、彼女が出してきた紙も、同じ形をしていた。決まったことだけを書く。理由を書けば、次に同じ形の紙が来たときに、その理由で殴られる。
この三人も、そこは同じらしかった。
書記の交代の順は、三つ目の卓で出た。祭の日の渡し場は、二つ目で出た。板の代金だけが、まだ回っている。
三枚とも、こちらへ来ていない。
「エレノア」
サラが、朝の束を持って入ってきた。持ってきた束が、薄かった。
「何枚ですか」
「六枚」
「先週は」
「十四枚よ」
サラは、その六枚を机に置いた。置いて、いつもの通り上から分けた。地名が出ているものと、数と区分だけのもの。
六枚とも、左だった。
「全部、返せるほうね」
「返します」
「返せないやつ、来てないわ」
エレノアは、その六枚を取った。
二つの区分の重さのこと。待避所の順のこと。掲示の板の高さのこと。三枚は、数だけで答えが出る。残りの三枚も、そうだった。
四半刻で、六枚とも返した。
その次の日は、四枚だった。四枚とも、左だった。
その次の日に、何も来なかった。
ヤンが、朝の刻限に上がってきた。手ぶらだった。上がってきて、戸口で少し困った顔をした。
「――お嬢様」
「はい」
「本日は、ございません」
「門には」
「参っておりません」
「便は、来ておりますか」
「参っております」若い男は言った。「荷は、二十二台でございます。紙は、ございませんでした」
「――ありがとうございます」
ヤンは、頭を下げて下がった。下がりぎわに、一度 机の上を見た。左の束が無い。右の束も無い。三つ目の場所も、空いている。
この男が、この部屋で空の机を見るのは、四年で初めてだった。
テオドルが、少し遅れて上がってきた。
「お嬢様」
「はい」
「本日の分は、ございませんでした」
「伺っております」
「三日で、十四枚が六枚、四枚、零枚でございます」男は言った。「輪へ落としましたものが、四枚。戻りましたのが三枚。残る一枚は、まだ回っております」
「数えておられますか」
「数えております」テオドルは言った。「数えておきませんと、減ったのか、届いていないのかが分かりませんので」
エレノアは、その返事を、聞いた。
届いていないのと、来なくなったのは違う。便が遅れているだけなら、次の便でまとめて来る。門で取りこぼしたのなら、探せば門にある。輪の途中で誰かが抱え込んでいるのなら、どこにも無い。
数えていれば、どれかは分かる。
「――どちらでしたか」
「減っております」男は言った。「便は、二十二台 参っております。取りこぼしもございません。ヤンに、門で二度 確かめさせました」
「ありがとうございます」
「お嬢様」
「はい」
「これは、うまくいっている形でございますか」
エレノアは、すぐには答えなかった。
「――そのはずです」
「かしこまりました」
テオドルは、頭を下げて下がった。この男は、そのはずですという返事を、そのまま持って帰る。半分は言わなくてよいことだと、六年で学んでいる。
エレノアは、椅子から立った。
窓のところへ行って、外を見た。
朝の便が入っている。荷改めの卓が三つ。列が二十二台。並び方は乱れていない。車輪が石畳を叩く音、荷を数える声、遅れを詫びる声。東の角で、値を言い合う二人の声が上がって、すぐに収まった。
六年、同じ音だった。
六年前、彼女は同じ窓から、音の消えた街を見たことがある。あのときは、全部が止まっていた。市場も、倉庫も、運送も。止めたのは彼女で、止めた理由も彼女が持っていた。窓の外に音が無く、この部屋の中に、その日の全部があった。
今日は、逆だった。
外には、音がある。部屋の中に、何も無い。
「――回っております、と」
彼女は、そう思った。
「エレノア」
サラが、いつのまにか机のそばに立っていた。手には何も持っていない。この女が手ぶらでこの部屋にいるのを、エレノアは六年で数えるほどしか見ていない。
「はい」
「今日、何するの」
エレノアは、答えなかった。
朝の積みは、無い。返す紙も、無い。三つ目の束も、空いている。この時刻、彼女がこの部屋でやることは、六年 一日も途切れたことがなかった。
「――昼の便を、見に参ります」
「見てどうするの」
「見ます」
「六年、見なかったでしょ」
「見ませんでした」
「なんで見なかったの」
「見なくても、音で分かりましたので」
「今日は、音が違うの?」
「同じです」エレノアは言った。「同じですので、見に参ります」
サラは、少し笑った。声を出さずに、口の端だけで笑った。
「あなた、それ、要らない仕事よ」
「はい」
「要らない仕事をする日、初めて?」
「初めてです」
「……ふうん」
この女は、それ以上は言わなかった。壁際にいる女は、要らない仕事の意味を、たぶん誰よりも知っている。六年、繋ぎだけをして、三割を取って、四割を断ってきた。
昼の便は、四十台だった。
エレノアは、門の内側の柱のそばに立った。荷改めの卓は三つ出ている。左の卓に若い者が二人。真ん中と右は、六年 同じ顔だった。
立っていると、卓の者が一度こちらを見た。見て、手は止めなかった。この屋敷の者は、見ても止めない。
「奥様」
列の後ろから、荷主が一人 出てきた。四十がらみの、粉を扱う男だ。
「はい」
「うちの、明日の枠なんですが」
「伺います」
「二台 出すつもりでおりましたが、一台にしたいのです。減らせますか」
エレノアは、口を開いた。
開いて、その前に、真ん中の卓から声が上がった。
「減らせます」
卓の者だった。顔を上げずに言った。
「ただし、減らした分は戻せませんよ」男は言った。「一度 空けたら、次の者が入ります」
「それで構いません」
「明日の朝のうちで、よろしいですか」
「朝のうちで」
「じゃあ、そこへ書いてください」
荷主は、卓の端の板に何か書いて、頭を下げて列へ戻った。
エレノアは、その一連を、柱のそばで見ていた。
彼女が言おうとしたのは、同じことだった。減らせる。戻せない。そこへ書け。三つとも同じで、言う順まで同じだった。
その順を、この男に教えた覚えは無い。
「――お嬢様」
真ん中の卓の男が、そこで初めて顔を上げた。
「はい」
「何か、ございましたか」
「いいえ」
「そうですか」
男は、それだけ言って、また手を動かした。
六年、この卓に立つ者の名を、彼女は一度も訊いていない。
昼前に、門から一枚 上がってきた。
厚い紙が二枚と、薄い紙が三枚。まとめて一つに綴じてある。麻縄ではなく、紐で結んであった。
いちばん上に、添え状があった。
――この照会は、三つの卓を回りました。
――いずれも、答えが出ませんでした。
――四つ目の卓へ回しますが、写しを、こちらへもお送りいたします。
――第七条のことでございますので。
その下に、名前が三つ 並んでいた。三人とも、知らない字だ。上の二つは筆が細く、いちばん下だけが太い。
エレノアは、その四行目を、二度 読んだ。
輪の順で言えば、この照会がここへ来るのは十三番目だ。三つ目の卓は、それを待たずに写しを寄こした。回すのは回す。だが、条のことなら書いた者にも見せておく。
誰も、そう決めていない。決めていないことを、三つ目の卓の書記が自分で決めた。
エレノアは、紐を解いた。
中の三枚は、写しだった。掲示の写しが二枚と、規約の写しが一枚。規約は、オーブリーが十二の領地へ配ったものだ。条が七つある。
いちばん最初の一枚に、照会が書いてあった。
――第七条について伺います。
――こちらでは、朝の枠の一割を、長雨のときだけ空けております。
――今年は、長雨がございませんでした。
――先月、遅れが出ました。空いておりませんでした。
――荷が七台、二十日 動いておりません。
エレノアは、そこで手を止めた。
止めて、二枚目の掲示の写しを開いた。
例外の扱いの欄に、線が引いてある。定規を当てて、まっすぐに。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
輪が回り始めました。
鉄の枠は、二つ目の卓で決まりました。
その卓の書記が、二つの街道の書記を両方 知っていました。三人で会って、半日です。
こちらへ来た報せは、四行でした。誰が決めたかは、書いてありませんでした。
――六年、彼女が出してきた紙も、同じ形をしていました。
六枚が四枚になり、四枚が二枚になり、そして何も来ない日が来ました。
六年前、彼女は同じ窓から、音の消えた街を見ています。
外に音が無く、部屋の中に、その日の全部がありました。
今日は、逆でした。
――昼前に、一枚 上がってきました。
三つの卓を回って、どこでも答えが出なかったものです。
次話から、第9章に入ります。
彼女が六年かけて書いた二十二文字は、条文になりました。
条文には、「ただし」が付いていました。
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