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第88話 いちばん近い者から

 オーブリーは、十二の承知を持って帰ってきた。


 十三日で十二の領地を回っている。靴の泥は、来たときより厚くなっていた。赤い土の上に、黒いのと、白く濁ったのが層になっている。三種類の地面を踏んできた靴だった。


「十二、全部でございます」


 彼は、机の上に紙を広げた。承知の署名が十二。日付が、四日のあいだに詰まっている。


「早うございました」


「馬を七度 替えました」オーブリーは言った。「二つだけ、条件がつきました。どちらも、金のことでございます」


「伺います」


「卓の給金を、こちらで持てないと。二つとも、痩せた領地でございます」


 エレノアは、その二つの名を見た。


 地図で言えば、いちばん端だ。街道が一本しか通っていない。この様式で回り始めたのが半年前で、いちばん新しい。


「オーブリー様」


「ええ」


「昨夜、図を描き直しました」


 彼女は、白い紙を出した。


 丸が十二。真ん中は、無い。


 丸と丸のあいだに、線が引いてある。隣り合う丸どうしが繋がっていた。線の脇に、日数が振ってある。三、四、二、六。


 オーブリーは、その図を見た。


 しばらく、何も言わなかった。


 彼が一晩で描いた図とは、線の向きが違っていた。あちらは、十二の丸から真ん中へ向かう線が十二本。こちらは、丸と丸のあいだに線が十二本。本数は同じで、繋いでいる先だけが違う。


 紙の上では、それだけの違いだった。


 あちらの図には、いちばん上がある。上にある者は、下の者より多くを知っていることになっている。役所の紙が下から上へ流れるのも、その思い込みで作られている。


 この様式では、上のほうが知らない。知っているのは、毎朝 何かを見ている者だ。杭を見ている者。四十戸を歩いている者。卓の前で四十秒 声を出している者。上には、何も見えていない。


「――真ん中が、ございませんな」


「置きません」


「では、答えられなかった問いは、どこへ行きますか」


「隣へ行きます」


 エレノアは、いちばん左の丸を指した。


「その土地の卓が答えられなかった照会は、いちばん近い卓へ回します」彼女は言った。「その卓でも答えが出なければ、その次に近い卓へ。順に回ります」


「一周いたしますな」


「一周いたします」


「一周して、答えが出なかったものは」


「私のところへ参ります」


 オーブリーの指が、図の上で止まった。


 止まって、十二の丸を順に辿った。辿って、彼女のところへ来た。


「――エレノア様は、いちばん最後でございますか」


「はい」


 男は、図から目を上げた。


「遅うございます」


「遅うございます」


「近い卓へ回して、答えが出なければ次へ。十二 回れば、いちばん遠い組み合わせで、四十日を超えます」オーブリーは言った。「真ん中へ出せば、七日で着きます。答えが出るのに三日。往復で十七日。倍以上の差がございます」


「四十日 かかるものは、ほとんどございません」


「なぜ、そう仰せですか」


 エレノアは、机の上から一枚 引いた。


 第五街道からの返事だ。掲示は読まなくてよい。朝の卓の前で、書記が声に出して読み上げる。三年 続けている。読み上げるのに四十秒。


「これは、第六街道の照会に対する返事でございます」彼女は言った。「こちらは、答えを持っておりませんでした。三つ 案を書いて、三つとも捨てました。隣へ回しましたら、十二日で返ってまいりました」


「一つ目の隣で、出たのでございますか」


「出ました」


「――たまたまでは」


「たまたまです」エレノアは言った。「ですが、たまたまが起きる理由がございます。隣の街道は、荷が行き来しております。行き来しているということは、人が行き来しております。人が行き来していれば、困り方が似ます」


 オーブリーは、そこで初めて、図の外側の線を指でなぞった。


 十二の丸を繋ぐ線は、輪になっている。真ん中へ集まる線は、一本も無い。


「似ている土地は、隣にございます」彼女は言った。「隣で出なければ、その次の隣。回れば回るほど、困り方は遠くなります。遠くなるほど、答えが出にくくなります。ですから――出るものは、たいてい、二つ目か三つ目で出ます」


「出ないものは」


「四十日 かかります」


「その四十日、荷は待ちますな」


「待ちます」


 彼は、それ以上は言わなかった。


 待つ。それは事実だった。


 三日で決まる形と、四十日 かかる形を並べれば、誰でも三日を取る。取るのが正しい。荷は待たされ、荷主は損をし、その損は数えられる。四十日ぶんの損は、紙に書ける。


 書けないのは、三日で決まる形が止まった日の損のほうだった。


 六年前の王都で、それは三日目にパンが倍になるという形で出た。数えた者はいない。数える者が、その日いなかったからだ。数えられなかったものは、記録に残らない。残らないので、次に同じ形を作るときに、誰も持ち出せない。


 四十日は、紙に書ける。止まった日は、書けない。


 書けないほうが大きいと言うために、彼女は六年前の自分の話をするしかなかった。それは証拠ではない。一度きりの出来事だ。


 窓の外は、曇っていた。この二日、朝の霧が下りない代わりに、一日じゅう雲が低い。石畳が乾かない。乾かない石畳は、車輪の音が鈍くなる。


「オーブリー様」


「ええ」


「真ん中を置きますと、卓が十二あっても、詰まる場所は一つでございます」


「詰まりましょうな」


「詰まったときに、十二 全部が止まります」


「止まります」


「輪にいたしますと、どこか一つが止まっても、隣を回ります」エレノアは言った。「遅くなります。止まりません」


 オーブリーは、しばらく図を見ていた。


 それから、承知の署名の束を手に取った。十二枚。四日で集めたものだ。この男は、それを持って十三日 馬車に乗っていた。


「金は、どうなりますか」


「真ん中が無いので、真ん中の費用が要りません」彼女は言った。「卓の給金は、その土地が持ちます。持てない二つは、こちらが出します」


「二つだけ、こちらが」


「二つだけです」エレノアは言った。「その二つが持てるようになりましたら、こちらは降ります。降りたあと、こちらの領地が止まっても、十二の卓は止まりません」


「――一つの財布では、なくなりますな」


「なくなります」


 オーブリーは、束を置いた。


「もう一つ、伺います」


「はい」


「名前でございます」


 彼は、最初の一枚を出した。いちばん上に、六文字ある。


 ――ヴァルディエ連合


「これは、直します」エレノアは言った。「便の宛名と、同じにいたします」


 彼女は、その六文字の下に、一行 書いた。


 ――街道 照会


「土地の名を、お入れになりませんか」


「入れません」


「では、どこの照会か分かりません」


「どこの照会でもございません」彼女は言った。「街道の照会です。街道は、十二の領地の全部を通っております」


 オーブリーは、その四文字を、しばらく見ていた。


「――エレノア様」


「はい」


「半月前に、私はこう申し上げました。詰まらせない方が、真ん中に座ればよろしい、と」


「伺いました」


「あれは、譲ったつもりでおりました」男は言った。「八年、自分の坂で全部 決めてまいりましたので。自分より速い方が見つかったら、渡すのが筋だと思っておりました」


「筋でございます」


「筋ですが、間違っておりました」


 彼は、それを自分で言った。この男は、指摘される前に自分で言う。だが今日は、少し遅れて言った。


「私が渡そうとしたのは、席でございました」オーブリーは言った。「席は、一つしかございません。一つしかないものを渡し合っておりますと、渡された者が必ず詰まります」


「はい」


「エレノア様は、席ではなく、順を置かれた」


「置きました」


 エレノアは、図の外側の線を、指でなぞった。


 十日ほど前、彼女は下の広間で、木の箱に手を入れる娘を見た。箱の中を掻き回さずに、あたったものを取る。四年、一度も探していない。探すと、選んだことになるからだ。


 照会も、同じだった。


 いちばん近い卓へ回すというのは、探さないということだ。誰がいちばんよく答えられるかを探し始めれば、探した者が選んだことになる。選べば、選んだ者のところへ次も来る。


 探さずに、手の触れたところへ回す。


 一月半前、彼女は表紙にこう書いた。訊かれるのは、いちばん下の名です。


 あの一行は、下から上へ登る鎖を作った。登り切ったところに、一人しかいなかった。


「オーブリー様」


「ええ」


「訊かれるのは、いちばん下の名です、と書きました」


「拝見しております」


「あれは、消します」彼女は言った。「代わりに、こう書きます」


 エレノアは、白い紙に一行 書いた。


 ――答えるのは、いちばん近い者からです。


 サラが、戸口の柱に背を預けていた。いつからいたのかは、この執務室では誰も確かめない。


「エレノア」


「はい」


「あなた、いちばん最後なのね」


「はい」


 サラは、その一行を、机の向こうから読んだ。読んで、少し目を細めた。瞳孔のふちの金の輪が、一度だけ動いた。


「……それ、あなたが要らなくなる形よ」


「はい」


 サラは、それ以上 何も言わなかった。


 オーブリーが、承知の束と図を持って下へ降りていった。十二の領地へ、書き直した図を送り直すことになる。彼は明朝には発つと言った。この男は、決まったことを持って動く速さだけは、誰にも渡さない。


 執務室に、エレノアとサラだけが残った。


 机の上には、三つの束がある。左が、答えを持っていないもの。右が、その日のうちに返すもの。三つ目が、答えを持っているのに返さないもの。


 三つ目の束を、彼女は手に取った。四枚だ。鉄の枠。書記の交代。板の代金。祭の日。


 四枚とも、輪の中へ落とすことになる。落とせば、隣の卓が読む。隣が答えられなければ、次の隣へ。二つ目か三つ目で出るだろう、と彼女は言った。言ったが、確かめていない。確かめられるのは、落としたあとだ。


 彼女は、その四枚を、右でも左でもない場所へ置き直した。


 外へ出す束だった。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


 真ん中の丸を、置かないことにしました。


 答えられなかった照会は、いちばん近い卓へ回ります。

 そこでも出なければ、その次に近い卓へ。順に回ります。


 遅くなります。止まりません。


 似ている土地は、隣にあります。隣で出なければ、その次の隣。

 回れば回るほど困り方が遠くなるので、出るものは、たいてい二つ目か三つ目で出ます。


 真ん中が無いので、真ん中の費用も要りません。

 ――一つの財布では、なくなります。


 一月半前、彼女は表紙にこう書きました。

 訊かれるのは、いちばん下の名です。


 あの一行は、下から上へ登る鎖を作りました。

 登り切ったところに、一人しかいませんでした。


 ――答えるのは、いちばん近い者からです。


 次話は、第8章の最後です。

 彼女の机に、何も来ない日が来ます。


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