第83話 箱に手を入れる
オーブリーの手紙は、彼が発って三日目に届いた。
次の領地から出したものだ。二つ目の承知を取った、と最初に書いてある。八日 かけて来た男が、三日で二つ回っている。この男の速さは、書き出しの一行に出る。
真ん中の卓のことが、中ほどに書いてあった。
――真ん中の卓が詰まりましたときは、十二の卓から当番を出してはいかがでしょう。
――当番は籤で決めます。順で決めますと、必ず押しつけ合いになりますので。
――籤は、エレノア様のお得意のやり方と伺っております。
エレノアは、その三行を読んだ。
読んで、机を離れた。
階を下りると、下の広間から声がしていた。朝の枠の割り当ての刻限だ。六年、この屋敷はこの時刻に同じことをしている。
広間には、卓が一つ。その上に木の箱が一つ。箱の前に、娘が一人 座っている。
十六ほどだった。髪を後ろで結わえて、前掛けをして、袖をまくっている。卓の向こうに、商会の使いが列を作っていた。三十人ほどだ。
「次」
テオドルの声だった。文官長は、卓の脇に立って名を読み上げている。
娘が、箱に手を入れた。
入れて、すぐ引いた。手の中に、木の玉が一つ。玉に彫ってある数を、テオドルが読み上げる。列の中から、一人が短く声を出した。
エレノアは、階の下でそれを見ていた。
箱に手を入れてから玉を出すまで、一呼吸もかかっていない。次の一人でも同じだった。次でも、その次でも。入れる。取る。出す。三十回、同じ長さだった。
列のほうは、静かではなかった。
商会の使いは、玉の数を読み上げられた瞬間に顔が変わる。前のほうの数を引いた者は、何も言わずに卓を離れる。後ろのほうを引いた者は、一度 立ち止まって、それから離れる。立ち止まるのは、文句を言う相手を探す動きだ。探して、いないので、離れる。
六年、その動きを彼女は見ていない。見に来たことがなかったからだ。この割り当ては、朝の刻限に下の広間で行われて、結果だけが紙になって上がってくる。上がってくる紙には、誰が何番を引いたかしか書いていない。
立ち止まった者が何人いたかは、どこにも書いていなかった。
割り当てが終わって、列が解けた。
テオドルが、卓の脇で紙を束ねていた。
「テオドル」
「――お嬢様。降りておいででしたか」
「揺すっておられますね」
「はい。玉を入れましたあとに、二十ほど数えて揺すります」男は言った。「揺すらずに入れますと、あとから入れた玉が上に溜まりますので」
「二十と決めておられますか」
「決めております」
「どなたがお決めになりましたか」
「私でございます」テオドルは言った。「六年前に、三度 試しました。十では足りず、三十では箱が傷みます」
エレノアは、その返事を、聞いた。
六年、この箱がどう揺すられているかを、彼女は一度も訊いていない。訊かなくても回っていた。回っていたのは、この男が三度 試して二十に決めたからだった。
娘が、箱の蓋を閉めて、卓を拭き始めた。
「リタ」
娘が、顔を上げた。上げてから、慌てて立った。前掛けの端を握って、少し下がる。
「――お嬢様」
「そのままで結構です」
「はい」
「玉は、いくつ入っておりますか」
「百二十です」リタは言った。「朝の枠が百二十台ですので」
「箱の中で、玉は動きますか」
「動きます」娘は言った。「入れるときに、揺すりますので」
「揺するのは、どなたですか」
「テオドル様です」
エレノアは、卓のそばへ寄った。
箱は、木でできている。上に、手が一つ入るだけの穴が開いていた。中は見えない。六年前に、彼女がそう作らせた。
「リタ」
「はい」
「手を入れてから、玉を取るまで、掻き回しておられません」
「はい」
「なぜですか」
娘は、少し考えた。考えている顔ではなく、どう言えば通じるかを探している顔だった。
「探すと、揉めます」リタは言った。「掻き回しておりますと、選んでいるように見えますので。入れて、そのまま握れば、誰にも見えません」
「その手にあたったものを、取っておられますか」
「あたったものを、取ります」
「よい玉と、悪い玉がございます」
「ございます」娘は言った。「一番の玉は、朝のいちばん初めです。百二十番は、昼です。みなさま、一番が欲しいのです」
「それでも、探されませんか」
「探しません」
「――一度も」
「一度もございません」リタは言った。「四年です」
広間の窓から、朝の便の音が入っていた。荷改めの卓が三つ。列の解けた広間は、急に広く見える。
エレノアは、その木の箱を見た。
六年前、この箱を作らせたときに考えていたのは一つだけだった。誰も選んでいないことを、全員に見せること。順を決める人間がいれば、その人間に頼む者が出る。頼めば通ると思う者が出る。通らなかった者は、通った者を恨む。
箱があれば、恨む相手がいない。
この道具は、そのために作った。選ばないための道具だ。
――選ばないための道具は、答えるためには使えない、と。
当番を籤で決める。籤で当たった者が、真ん中の卓に座る。座って、十二の土地から来る問いを読む。読んで、答える。
答えるというのは、誰かの側に立つということだ。第六街道の三割は掲示が読めないと書いてきた。その三割の側に立たなければ、答えは出ない。立つには、その三割が誰なのかを知っていなければならない。
籤で当たった者は、それを知らない。
「リタ」
「はい」
「あなたがこの席におられるのは、なぜですか」
「玉を引く者は、荷主と縁のない者でなければなりません」娘は、即座に言った。「テオドル様が、そう仰いました。わたしは、身内が誰もおりませんので」
エレノアは、その返事を、聞いた。
縁の無い者しか、この席に座れない。それが、この道具の条件だった。
照会に答える席は、逆だ。縁の無い者には、答えが出せない。その土地に何人いて、どの月に何が要って、誰が読めないのかを知っているのは、そこで暮らしている者だけだ。
同じ人間に、両方はやらせられない。
六年前に作った道具を、そのまま持ってくることはできなかった。
「ありがとうございます」
「――はい」
リタは、卓を拭き終えて、箱を抱えた。抱え方が、両手で下から支える形だった。四年、毎朝この箱を運んでいる手の持ち方だ。
「リタ」
「はい」
「その箱は、どちらへお納めですか」
「広間の奥の棚です」
「毎朝、あなたが出しておられますか」
「わたしが出して、わたしが戻します」
「あなたが休まれた日は」
娘は、そこで初めて、少し困った顔をした。
「休んだ日が、ございません」
「四年、一日もですか」
「一日もございません」
「病まれた日は」
「ございました」リタは言った。「熱の日は、玉を入れるのをテオドル様にお願いして、引くのだけ、わたしがいたしました」
「引くのだけ、代わりの方ではいけませんか」
「いけないと思います」
「なぜですか」
娘は、また少し考えた。
「わたしがおりませんと、みなさま、卓の前で誰が引くのかを見ます」リタは言った。「見ますと、その人に頼めるかどうかを考えます。四年、誰も考えずに済んでおりますのは、いつも同じ者が引いておりますからです」
「――代わりが、おられませんか」
「おりません」
エレノアは、その言葉を、頭の中の別の場所に置いた。
階を上がって、執務室に戻った。
机の上のオーブリーの手紙は、開いたままになっていた。籤は、エレノア様のお得意のやり方と伺っております。この一行を書いたとき、この男は褒めているつもりでいる。実際、褒めている。
彼女は、返事を書いた。
――籤は、選ばないための道具です。
――答えるためには、使えません。
――答えるのは、その土地に縁のある者でなければ、できません。
書いてから、その三行を読み直した。
三行目で、筆が止まった。
その土地に縁のある者。十二の土地に、十二人いる。いま、その十二人が答えられなかったものを、縁の無い一つの机が受け取っている。
――順が、逆になっている、と。
十二の卓が答えられないものを、真ん中が答える。真ん中は、十二の土地のどこにも縁が無い。縁の無い者が、縁のある者の答えられなかった問いを引き受ける。
引き受けられるはずがなかった。
オーブリーの図では、それが自然に見える。丸が十二あって、真ん中に一つある。真ん中は、いちばん上にある丸だ。上にある者は、下の者より多くを知っていることになっている。役所の紙が下から上へ流れるのも、同じ思い込みで作られている。
この様式では、上のほうが知らない。
知っているのは、毎朝 何かを見ている者だ。杭を見ている者。四十戸を歩いている者。卓の前で四十秒 声を出している者。その者たちが答えられなかったものを、机の上でしか物を見ていない人間が答えられるわけがない。
窓の下で、朝の便が門を抜けていった。
彼女は、リタの手つきを思い出した。箱に手を入れて、掻き回さずに、あたったものを取る。取ったものが、その者の分になる。
――手を入れたところに、あるもの。
その言葉だけが、頭の中に残った。まだ、何にも繋がらなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
箱に手を入れて、掻き回さない。あたったものを取る。四年、一度も探していません。
――探すと、揉めます。掻き回しておりますと、選んでいるように見えますので。
この箱は、六年前に「誰も選んでいないことを全員に見せる」ために作られました。
選ばないための道具です。
選ばないための道具は、答えるためには使えません。
答えるというのは、誰かの側に立つことだからです。
玉を引く席には、縁の無い者しか座れません。
照会に答える席には、縁の無い者は座れません。
――同じ人に、両方はやらせられません。
次話「仕分け」では、届いた紙を二つに分ける規則ができます。
分けてみると、こちらへ来るのは、ちょうど一割でした。
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