第82話 いくら?
二日後の昼過ぎに、門の外へ馬車が一台 停まった。
馬が四頭だった。この街道でその数を繋ぐ馬車は、月に一度あるかどうかだ。荷は積んでいない。荷を積まない馬車が四頭を繋ぐのは、速さだけを買っているからだ。
降りてきたのは、装飾のない濃い色の外套を着た女だった。長い金髪を、風のままにしている。護衛も従者も連れていない。
「ごきげんよう」
カティア・ルーベンシュタインは、門の内側へ入るなり、荷改めの卓を三つとも見た。見て、いちばん左の卓の前で足を止めた。
「この卓、去年より速いわね」
「六年、同じ手順です」
「手順は同じでも、人が慣れるのよ」彼女は言った。「あなた、それを速さに数えてないでしょう。だから毎年 損してる」
エレノアは、答えなかった。
この女とは、二月前に契約を切られている。切ったのは向こうからだった。九つの街道はあの日から向こうのもので、掲示は下ろされず、書記も替わらず、こちらの名前もそのまま残った。切って何が変わりますかと訊いたら、何も、と返ってきた。
合っていた。切られた者には、失うものがない。失うものがなければ、値を付ける理由もない。
それから彼女は、十三の包みを出した。ただで出した。返事は来ていない。来ていないのに、この女はいま門の内側に立っている。四頭の馬を繋いだ馬車で、荷を積まずに来ている。
執務室に上がると、カティアは机の上を一目で見渡した。
「照会ね」
「はい」
「何枚 溜まってるの」
「二十一枚です」
「増えてるじゃない」
「増えております」
女は、笑った。楽しそうに笑った。この笑い方は六年 変わらない。
「あなた、あれ 読んだわよ」カティアは、外套を椅子の背にかけた。「あなたが撒いた三行。峠の役所に写しが回ってきたの。うちの二十二人の男が、丁寧に届けてくれたわ」
「あの方は、そういう方です」
「“見えるようになったら、埋めてください”」彼女は、そらで言った。「六年 隠してたものを、ただで配ったのね。あなたにしては、思い切りがよかったわ」
「隠しておりませんでした」
「隠してたのよ」カティアは言った。「書けなかったんでしょう。書けないものは、隠してるのと同じ結果になるの。受け取る側から見れば」
エレノアは、その言い方を、聞いた。
合っていた。
六年、一割の理由を書かなかった。書かなかったのではなく、書けなかった。書こうとすると、私にも見えませんと書くことになる。それは規則の顔をしていない。規則の顔をしていないものを、人は運用できない。
だから空欄のままにして、その欄が要るときには自分が判断した。判断できる人間がその場にいるあいだは、それで回る。回っているあいだ、外から見れば、それは隠しているのと区別がつかない。
受け取る側から見れば同じ結果になる、というのは、そういうことだった。
「で、連合ですって?」
女は、机の上の四枚に目を落とした。オーブリーが置いていったものだ。伯爵は昨日の朝、次の領地へ発った。八つの領地を回って承知を取ると言って、そのまま馬車に乗った。
「昨日 発たれました」
「早いのね、あの人」カティアは、規約の紙を指で持ち上げた。「知ってるわ。樫の坂の。八年前に会ったことがある。自分で全部やる人よ」
「そのようです」
「いい人ね」彼女は言った。「いい人で、速くて、正しいの。だから怖いのよ」
カティアは、四枚目の合計の欄に指を置いた。
「これ、いくら?」
「卓が十二で、年に、そこに書いてある額です」
「紙の便を別に立てると、倍になるって聞いたけど」
「倍になります」
「誰が払うの」
エレノアは、その問いに、すぐには答えなかった。
昨日、同じ問いをオーブリーに出した。この合計はどちらがお持ちになりますか、と。伯爵は、そこはまだ書いておりませんと答えた。書いていないのではない。書かなくても回ると思っている。決まる場所が一つなら、そこが持つのが自然だからだ。
「――こちらが持てば、回ります」
「そうでしょうね」カティアは言った。「あなたのところの朝の枠、百二十台でしょう。この額なら、一割も食わないわ」
「一割は、食いません」
「じゃあ、払えばいいじゃない」
「払えます」
「払えるのに、何」
エレノアは、規約の紙を、机の上に戻した。
「こちらの領地が止まりましたら、十二の卓が止まります」
カティアの指が、止まった。
止まって、それから、彼女は椅子に座った。座り方が、少し前のめりになった。この女がその座り方をするのは、面白いものを見つけたときだけだ。
「――ああ」
「はい」
「あなた、それを直しにきたのね。今度は」
「はい」
「机を一つにしないために机を増やして、増やした机を一つの財布で吊るの?」カティアは言った。「それ、線を引き直しただけよ。紙の上では十二に見えて、金のほうでは一本のままだわ」
「そのとおりです」
「面白いわね」
彼女は、そう言って、少し笑った。
「じゃあ、こうしなさい」カティアは言った。「使う人が払うのよ。照会 一件につき、いくら。それなら、出す人が出したぶんだけ払う。あなたの財布は、一枚も要らなくなる」
「貧しい土地が、訊かなくなります」
「訊かないほうがいい土地もあるでしょう」
「ございません」
「あるわよ」彼女は即座に言った。「訊く値打ちの無い問いを、ただだからという理由で出してくる土地が、必ず出るの。値を付けると、そういうのは消えるわ。残るのは、金を払ってでも答えが要る問いだけ。効率がいいでしょう」
エレノアは、その言い分を、最後まで聞いた。
この女の言うことは、いつも半分だけ正しい。半分だけ正しいものは、正しくないものより始末が悪い。正しい半分のほうが先に効くので、間違っている半分が効き始めるころには、もう戻せなくなっている。
値を付ければ、確かに問いは減る。減った分だけ卓は空く。空いた卓は速く回る。速く回る卓を見て、十二の領地は制度がうまくいっていると思う。
そのとき、出さなくなった土地の名前は、どこにも記録されない。出さなかったのだから、紙が無い。紙が無いものは、数えられない。数えられないものは、無かったことになる。
三年前の二月、峠の向こうの北の谷で八人が凍った。あの八人が数えられたのは、一人の書記が誰にも頼まれずに数えていたからだ。数えていなければ、あれも無かったことになっていた。
「値を付けますと、いちばん困っている土地が、いちばん先に出さなくなります」
「なぜ」
「困っている土地は、貧しいからです」
「――ふうん」
カティアは、それには反論しなかった。反論しないのは、負けを認めたからではない。彼女の原理の外にある話だからだ。この女は、利益が出るか出ないかだけで動く。困っている者が困ったままになるのは、彼女の勘定に入らない。
「私は、そこは変えないわよ」彼女は言った。「六年 言ってるでしょう。壊れてもいいと思ってるの。あなたは壊れないほうを取る。それだけの話」
「存じております」
「知ってて、まだ話してるのね」
「はい」
カティアは、外套を取った。取って、まだ着なかった。
「一つだけ、忠告してあげる」
「伺います」
「あなた、いま、払うつもりでいるでしょう」
「――はい」
「払える額だから、払っちゃうのよ」彼女は言った。「あなたはいつもそう。一割を空けておけるのも、空けておける余裕が先にあるからよ。余裕のない土地には、あなたの一割は真似できないの。真似できないものを配って、みんなが同じ形になると思ってる」
エレノアは、その言葉を、頭の中の別の場所に置いた。
窓の下で、昼の便が門を抜けていった。荷改めの卓が二つに減っている。この時刻から、一日でいちばん静かな刻限に入る。
「で」カティアは、外套に腕を通した。「あなた、それ、いつまで払うつもり?」
彼女は、返事を待たなかった。
待たずに戸口へ歩いて、そこで一度だけ振り向いた。
「あの三行、悪くなかったわ」カティアは言った。「二十二文字でしょう。数えたのよ」
それだけ言って、彼女は出て行った。
馬車が門を出るまでに、四半刻もかからなかった。四頭の馬は、来たときと同じ速さで北へ折れた。この女は、用が済んだ場所に一呼吸も余分に留まらない。
エレノアは、机の上の四枚を、順に並べ直した。
卓の場所。卓の仕事。金。規約。四枚のうち、いま自分に答えが無いのは、三枚目と四枚目だった。誰が食わせるのかと、条文にどう書くのか。二つとも、答えを持っていない。
持っていないものが、二つ 並んだ。
六年、彼女は二つの数字を並べて大きいほうを取ってきた。数字が入っていない欄を二つ並べたのは、初めてだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
机を一つにしないために、机を十二に増やしました。
増やした十二を、一つの財布で吊れば――紙の上では十二に見えて、金のほうでは一本のままです。
払える額です。だから、払ってしまいます。
この人は、そこを突きました。
「使う人が払えばいい」は、半分だけ正しい話です。
値を付ければ、いちばん困っている土地が、いちばん先に出さなくなります。
困っている土地は、貧しいからです。
――余裕のない土地には、あなたの一割は真似できないの。
次話「箱に手を入れる」では、真ん中の卓を誰が読むかを決めます。
この作品には、六年 動いている「選ばないための道具」があります。
それは、答えるためには使えません。
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