第81話 十二の卓
オーブリーは、宿を取らなかった。
屋敷に泊まると言い、朝は夜が明ける前から起きていた。廊下を歩く音で、屋敷の者が先に気づいた。この男は、他人の家でも自分の速さで動く。
朝の光が入るころには、机の上に紙が四枚 並んでいた。全部、彼が夜のうちに書いたものだ。
「十二の卓の中身でございます」
一枚目は、卓を置く場所だった。十二の領地と、それぞれの土地の呼び名。誰の屋敷に置くか、誰が座るかまで書いてある。
「これは、もうお決めでしたか」
「八日 馬車に乗っておりましたので」オーブリーは言った。「乗っているあいだは、書くしかありません」
「座る方のお名前が、入っております」
「ええ。十二人とも、私が知っている者です」
「その方々は、ご承知ですか」
「四人は承知しております」男は言った。「残りの八人は、これから伺います」
エレノアは、その一枚を置いた。
二枚目は、卓の仕事だった。届いた照会を読む。数で答えが出るものは、その場で返す。返せないものは、真ん中へ回す。真ん中から戻った答えは、写しを取って残す。
二枚目の裏には、卓の一日が書いてあった。朝に便を受ける。昼までに読む。返せるものを返す。夕方に、回すものを束ねる。一人で足りる、と最後に一行 添えてある。
足りるだろう、とエレノアは思った。届く紙が一日に四枚のうちは。
三枚目が、金だった。
卓に一人。紙。墨。便の駄賃。年にいくらかかるかが、十二ぶん並んでいる。合計が下に書いてあった。数字は、彼女が思っていたより小さかった。
小さいのは、人が十二人しかいないからだ。十二の土地に一人ずつ。そのぶんの給金と、紙代と、便の分。それだけで、この様式で回る全部の街道の問いが動くことになっている。安いというより、薄い。薄いものは、どこか一箇所が抜けたときに破れる。
「安うございますね」
「卓は、机と椅子と人だけですから」オーブリーは言った。「高いのは便です。紙が動く分だけかかります」
「この合計は、どちらがお持ちになりますか」
「そこは、まだ書いておりません」
男は、そう言って四枚目を出した。
四枚目が、規約だった。
条が七つ。区分のこと。日のこと。掲示のこと。書記のこと。写しのこと。照会のこと。そして、七つ目に、枠のことがあった。
エレノアは、その七つ目を読んだ。
――第七条 各街道は、朝の枠のうち一割を、次の遅れのために空けておくものとする。
その下に、もう一行 あった。
――ただし、当該街道の前月の遅延が三日を超えた場合に限る。
彼女は、その一行を、二度 読んだ。
「オーブリー様」
「ええ」
「この、ただし書きは」
「ええ、そこは私が足しました」男は言った。「そのままでは、書けませんでしたので」
「なぜですか」
「条文は、いつ使うかを書かないと使えません」オーブリーは、当然のことを言う調子で言った。「一割 空けよ、とだけ書いてありますと、十二の領地のうち三つは空けません。空けなくても罰が無いからです。いつ空けるのかを書けば、書いてある日には空けます」
「前月の遅延が三日を超えた月だけ、空くことになります」
「そうです」
「超えなかった月は、空きません」
「空きません」男は言った。「空ける必要が、ございませんので」
「必要があるかどうかは、その月には分かりません」
オーブリーが、顔を上げた。
窓の外で、朝の便が動き始めていた。荷改めの卓の音が、二つから三つに増える。この時刻の音の増え方は、六年 変わらない。
「――失礼ですが」男は言った。「前月に遅れていない街道が、翌月に遅れる確率は、どれほどでしょうか」
「存じません」
「私のところでは、四つのうち一つ以下です」
「では、四つに一つは、空いていない月に遅れます」
「ええ」オーブリーは言った。「その一つは、その月は諦めます。翌月には空きますので」
「翌月に届く荷は、翌月のものです」
彼は、そこで少し黙った。
黙って、規約の紙を自分のほうへ回した。回して、七つ目の条をもう一度 読んだ。この男は、読み直すのが速い。読み直して、それでも同じ結論になるなら、そこで押す。
「エレノア様」
「はい」
「では、どうお書きになりますか」
エレノアは、答えなかった。
彼女は、自分の写しを引き寄せた。表紙をめくらずに、机の上に置いたままにする。この中に、二十二文字がある。
――次に何が来るかは、誰にも見えません。見えるようになったら、埋めてください。
それが、彼女が書けた全部だった。書くのに、六年と二月かかった。書いてから、一月 経っている。
その一月で、二人がそこに条件を付けた。
一人は王都の役所の者で、長雨および降雪の時期に限ると書いた。もう一人はこの男で、前月の遅延が三日を超えた場合に限ると書いた。二人とも、彼女の三行を読んだうえで書いている。二人とも、正しい仕事をしている。
条件の付け方が、二人で違っていた。
違っているのに、どちらも同じことをしていた。空けておく日を、あらかじめ数えられる形にした。数えられる形にすれば、数えられない日には空かない。
――書けば、条件が付く、と。
条件を付けるなと言うのは簡単だ。言えば、この男は付けない。付けないまま各地へ配れば、三つの領地は空けない。空けない領地で遅れが出たときに、この規約は嘘になる。一度 嘘になった規約は、二度と読まれない。
どちらを取っても、成立しない。
「オーブリー様」
「ええ」
「条文になさると、外れます」
「外れましょうな」男は言った。「外れたら、直します」
「直すのに、何日かかりますか」
「十二の領地に配り直しますので――」彼は、そこで指を折った。「二十日ほどでしょうか」
「二十日のあいだ、外れた条文が十二の領地に立っております」
オーブリーは、指を止めた。
止めて、しばらく規約の紙を見ていた。それから、その紙を裏返した。
「――では、どうお書きになりますか」
同じ問いが、二度 出た。
二度目のほうが、静かだった。
エレノアは、白い紙を一枚 引き寄せた。引き寄せて、筆を執った。執って、置いた。
サラが、戸口から入ってきた。夕方の帳合いの束ではなく、今日は手ぶらだった。
「話、進んでるの」
「進んでおります」
「じゃあ、一つ訊いていい?」サラは言った。「これ、紙は誰が運ぶの」
オーブリーが、顔を上げた。
「便に載せます」
「便って、荷の便でしょ」
「そうです」
「荷の便は、遅れるわよ」サラは言った。「遅れたときに、いちばん最初に降ろされるのが紙よ。軽いから。あなたたち、遅れの話をするための紙を、遅れる便に載せるの」
窓の下で、荷改めの卓の音が二つ 重なった。
オーブリーは、それに対して即座に答えなかった。答えずに、サラの顔を見た。見てから、規約の裏に何か書いた。
「――ご指摘の方は」
「サラ・グレイよ」
「メモを取らせていただきました」男は言った。「紙だけの便を、別に立てます。月に三度。荷は載せません」
「それ、いくらかかるの」
「四枚目の合計が、倍になります」
サラは、肩をすくめた。
「安いって言ってたわよ、さっき」
エレノアは、その二人のやりとりを、聞いていた。
この男は、指摘されたその場で直す。直せるものは直して、直せないものは金で埋める。八年、そうやって坂を回してきた。速い。速いのに、直した先で何が増えるかを、彼は数えない。紙だけの便を月に三度 立てれば、その便が遅れた月に、遅れの話をする紙が遅れる。
直すたびに、部品が増える。増えた部品は、それぞれ壊れ方を持っている。
連合の名を、この男は最初の一枚のいちばん上に書いていた。彼女はそれを昨夜から読んでいて、まだ何も言っていない。
――ヴァルディエ連合
六文字だ。図の真ん中の丸と、同じ場所にある。名を消せば、丸が消えるわけではない。丸を消せば、名も要らなくなる。順序は、そちらだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
二十日のあいだに、二人が二十二文字に条件を付けました。
王都の役所は「長雨および降雪の時期に限る」と書きました。
樫の坂の伯爵は「前月の遅延が三日を超えた場合に限る」と書きました。
条件の付け方は、二人で違っています。
違っているのに、やっていることは同じでした。
――空けておく日を、あらかじめ数えられる形にしたのです。
数えられる形にすれば、数えられない日には空きません。
条件を付けるなと言えば、付けません。
付けなければ、三つの領地は空けません。空けない領地で遅れが出たとき、規約は嘘になります。
一度 嘘になった規約は、二度と読まれません。
――では、どうお書きになりますか。
同じ問いが二度 出て、二度目のほうが静かでした。
次話「いくら?」では、その連合を誰が食わせるのかを訊きに来る人がいます。
その人は、六年 一度も原理を変えていません。
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