第77話 十九件
最初の三日は、二件ずつだった。
峠から下りてくる紙は、便に合わせて届く。第三街道と第五街道は早馬が通っているので、こちらから四日、六日。ほかの街道は便に乗るしかない。だから初めのうちは、届き方に間隔があった。
字は、九通りあった。
太い字。細い字。行の頭を揃える手と、揃えずに書き出す手。紙も違う。厚いものと、粗いもの。折り目のあるものと、板に挟んで運ばれたもの。どの一枚を見ても、書いた者が毎日どんな机の前に座っているのかが、紙のほうから伝わってきた。
書いてある形だけが、全部 同じだった。上に区分、左に日、右に数。いちばん下に、名前。九つの土地で、九人が、同じ形で困っている。
四日目に、四件 来た。
五日目に、七件 来た。
その日、エレノアは朝の積みを崩す前に、机の右手前を空けた。文官長が毎朝そこへ置いていた場所だ。空けたところへ、届いた紙を置くことにした。
「これ、順番あるの」
サラが、束を持って入ってきた。夕方の帳合いの前に、届いた分をここへ回すのがこの数日の形になっている。
「ございません」
「じゃあ、上から読むのね」
「上から読みます」
サラは、束を置いた。置いてから、いちばん上の一枚を取って、勝手に読んだ。この女は、机の上のものを断りなく読む。六年、それを咎めたことはない。
「第二街道」サラは言った。「同じ荷主が、二つの区分に荷を出してるって。両方 通していいのか、って訊いてるわ」
「返せます」
「返せるの」
「二つの区分に出す方は、片方が遅れたときにもう片方で回収なさいます」エレノアは言った。「回収されると、次の便で二倍になります。二倍になったところで、また詰まります。両方は通しません」
「じゃあ、そう書けばいいじゃない」
「書きます」
彼女は、返事を三行 書いた。書くのに、二呼吸もかからなかった。
サラが、次の一枚を取った。
「第六街道」
「はい」
「掲示を読めない人が、三割いるって」
エレノアの手が、止まった。
「……三割ですか」
「そう書いてあるわ」サラは、紙を近づけて読み直した。「読める人が読んでやってるけど、読んでやってる人が来ない日は、みんな待ってるって。どうしたらいいですか、って訊いてる」
エレノアは、その紙を受け取った。
字は丁寧だった。行の頭が揃っていて、書き慣れた手だ。困っていることを、困っている順に書いてある。
彼女は、それを机の左に置いた。
「返さないの」
「返せません」
「なんで」
「その三割が、どこにおられる方々か、こちらは存じません」エレノアは言った。「荷主なのか、荷を運ぶ方なのか、待っている家の者なのか。掲示のどこが読めないのかも分かりません。区分の名なのか、数なのか、日なのか」
「訊けばいいでしょ」
「訊きます」彼女は言った。「訊いて、返事が来るまで、六日から二十二日 かかります」
サラは、それには何も言わなかった。
六日目は、五件だった。
七日目に、また六件。そのうちの二件は、樫の坂と二番目の橋の先からだ。他領の紙は、街道の紙より丁寧で、長い。地図が添えてあるものもあった。
樫の坂は、雪の話をもう一度 書いてきた。掲示の下の三行が、冬に読めなくなる。前の便で訊いたが返事が無い、と末尾に一行 足してある。
二番目の橋の先は、橋が架け替えになると書いてきた。三月 止まる。そのあいだ、荷は迂回する。迂回した先の街道は、この様式で回っていない。
エレノアは、その二枚を、左に置いた。
左の束は、その日で九枚になった。
右の束——返せるもの——は、その日のうちに全部 返した。返せるものは、数で答えが出る。二つの区分に出すな。重い荷から積め。待避所は四つしか無いのだから、五台目は下で待たせろ。六年、彼女はそういう答えを一日に六十枚 出してきた。
返すのは速い。読んで、どちらが大きいかを見て、大きいほうを書く。それだけだ。手が止まらない。止まらないので、朝の積みは昼までに片づく。
左の束は、増えるばかりだった。
増え方に、規則があった。届いた紙のうち、返せるものと返せないものは、だいたい三と一の割合で分かれる。四枚 届けば、一枚が左へ行く。五日で十九件 届いて、九枚が左に積まれた。少し多い。ここ二日ぶんが、他領からの長い紙だったからだ。
左に積まれた紙は、置いておいても薄くならない。二日 置いた紙も、五日 置いた紙も、同じ問いを同じ形で持ったままそこにある。荷なら腐る。腐れば捨てる理由ができる。紙は腐らない。
「エレノア」
その夜、サラが執務室に残っていた。角灯を一つ、机の端に置いてある。
「はい」
「左のやつ、全部 読んだ?」
「読みました」
「あなたが答えられないの、どういう種類?」
エレノアは、九枚を順に手に取った。
掲示が読めない三割。冬の雪。橋の架け替え。関所の役人が掲示を下ろせと言っている。書記が来月 辞める。荷主の一人が、掲示に自分の名を書けと言っている。渡し場の順が、村の祭で二日 変わる。
「――その土地の数を、こちらが持っていないものです」
「数?」
「三割が何人か。雪が何日 積もるか。祭が何日か」彼女は言った。「その土地の者は、全員 知っております。訊けば、二呼吸で出ます」
「あなたは知らない」
「存じません」
「じゃあ、訊けばいいじゃないの」
「訊きます」エレノアは言った。「訊いて、返って、こちらが読んで、返す。往復で、早くて八日。峠なら二十二日です」
「そのあいだに、次のが来るのね」
「参ります」
サラが、角灯の位置を少し動かした。
光が、左の束の上を通った。九枚。紙の厚みでいえば、指一本にも足りない。
「これ、あと何人 増えるの」
「街道が九つ。他領が三つ。川の向こうが一つ」エレノアは言った。「十三です」
「今、いくつから来てるの」
「十一です」
「あと二つ」
「二つです」
サラは、束から一枚 抜いて、字を見た。
「みんな、丁寧に書くのね」
「はい」
「怒ってる人が、一人もいないわ」
エレノアは、その言葉を、聞いた。
十一の土地から、五日で十九件。どれも詰問ではない。どれも、困っていることを困っている順に、丁寧に書いてある。返事が来ないという苦情を書いてきたのは、樫の坂の一行だけだった。
丁寧に書く者は、返事を待っている者だ。返事が来ないと知っている者は、短く書く。短く書いて、それきり出さなくなる。
この人たちは、返事が来ると思っている。
思っているのは、彼女がそう書いたからだ。訊かれるのは、いちばん下の名です、と表紙に書いた。いちばん下に自分の名を書いた。十三の包みに入れて、九つの街道と三つの他領と、王都へ送った。
――こちらから、そう申し上げた、と。
六年前、王都の各部署は、彼女に紙を出しても返事が来ないことを知っていた。知っていたから、誰も出さなくなった。出さなくなったから、彼女は自分で全部を見ることになった。見ているうちに、彼女しか見ていない場所が増えた。増えたところで、断罪された。
あの形の、逆をやろうとした。
やった結果、いま、十一の土地の困りごとが、一つの机の左側に積んである。
夜の風が、窓の下を通った。秋の風に、湿ったものが混じり始めている。石畳が冷えると、荷改めの角灯の油の減りが早くなる。今年はもう、その時季に入っていた。
「サラ」
「なに」
「明日の分は」
「門に来てるわ」サラは言った。「四枚」
「開けてください」
「開けないわよ」
エレノアが、顔を上げた。
「今日の分、まだ九枚 残ってるでしょ」サラは言った。「開けたら、十三になるだけよ。あなた、今日 何時に寝るの」
「――まだ、開けておりません」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
五日で、十九件 届きました。
どれも詰問ではありません。どれも、困っていることを困っている順に、丁寧に書いてあります。
返事が来ると、みなが思っています。
――そう書いたのは、彼女です。
返せるものは、その日のうちに全部 返しました。数で答えが出るからです。
返せないものは、全部「その土地の数」を知らないと答えられないものでした。
その土地の者なら、訊けば二呼吸で出ます。
六年前、彼女に紙を出しても返事が来ないので、王都では誰も出さなくなりました。
出さなくなった結果、彼女しか見ていない場所が増えました。
その形の、逆をやろうとしています。
次話「制度にします」では、王都へ行った文官長が帰ってきます。
持ち帰る返事は、彼女がいちばん恐れている形をしています。
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