第6話 それでも、あなたは嫌われる
昼下がりの陽光が、静かな部屋に差し込んでいた。
王城の一角、来客用の控室。
豪奢ではないが、品のある調度で整えられたその部屋で、クラリス・メルヴェイユは一人、椅子に腰かけていた。
膝の上で組んだ手が、わずかに震えている。
昨夜から、何度も同じ光景が頭をよぎっていた。
大広間。
断罪。
そして――
何も言わなかった、エレノアの姿。
「……どうして」
ぽつりと、呟く。
誰に聞かせるでもない問い。
だが答えは出ない。
あのとき、何か言えたはずだと思う。
止められたはずだとも思う。
けれど実際には、何もできなかった。
自分の言葉は、あまりにも軽く。
あの場の流れは、あまりにも強かった。
ノックの音がした。
「失礼いたします」
入ってきたのは、王城付きの侍女だった。
「クラリス様。お加減はいかがですか」
「……大丈夫です」
そう答えながらも、声に力はない。
侍女は一瞬だけ表情を曇らせ、それでも穏やかに続けた。
「殿下がお見舞いに、と」
小さな包みを差し出す。
中には焼き菓子が入っていた。
気遣いだ。
優しさだ。
だがクラリスは、それを受け取りながら、胸の奥に小さな棘のようなものを感じた。
「ありがとうございます」
微笑む。
いつも通りに。
誰もが安心するように。
そうしなければならないから。
侍女が下がると、再び静寂が戻る。
クラリスは包みを見つめた。
甘い香りがする。
優しい香り。
けれど――
「……違う」
小さく首を振る。
自分の中で、何かが引っかかっている。
それが何なのか、まだ分からない。
だが確かにある。
違和感。
昨夜の出来事の、どこかが。
ゆっくりと立ち上がる。
窓の外を見る。
王都は変わらず、穏やかに見える。
人々が行き交い、馬車が通り、煙が上がる。
平和な光景。
――本当に?
ふと、思う。
あの人は。
エレノアは。
あの光景を見て、何を思っていたのだろう。
自分と同じように、何も感じなかったのだろうか。
それとも――
「……違う」
再び、呟く。
違う。
きっと違う。
あの人は、何かを見ていた。
自分には見えていない何かを。
そして、それを――
言わなかった。
「どうして……」
また同じ問いに戻る。
そのとき。
控えめなノックが響いた。
「クラリス嬢、入ってもよろしいかな」
聞き覚えのある声だった。
「は、はい」
扉が開き、文官が一人、姿を現す。
昨夜、王太子の側にいた人物だ。
「お加減はいかがですか」
「もう、大丈夫です」
クラリスは軽く頭を下げた。
「ご用件は……?」
文官は少しだけ言い淀み、それから口を開いた。
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「はい」
「エレノア様は、あなたに対して……どのようなことをなさっていましたか」
クラリスは、一瞬言葉に詰まった。
どう答えればいいのか。
正直に言えばいいのか。
それとも――
「……厳しい方でした」
慎重に、言葉を選ぶ。
「間違いを指摘されることも多くて……」
「罰を与えられたことは?」
「……あります」
小さく答える。
確かにあった。
書類の不備を指摘され、やり直しを命じられたこと。
礼儀作法の不備を、何度も繰り返し注意されたこと。
時には、厳しい言葉もあった。
だが――
「それは……」
続けようとして、言葉が止まる。
「それは?」
文官が促す。
クラリスは、迷った。
だが。
「……私が、出来ていなかったからです」
はっきりと、言った。
文官の目がわずかに動く。
「……いじめ、ではなく?」
「違います」
即答だった。
自分でも驚くほど、迷いがなかった。
「あの方は……」
少し考える。
言葉を探す。
「優しくはありませんでした。でも――」
そこで、ようやく見つける。
「間違ったことは、言っていませんでした」
静かな結論。
文官はしばらく黙り、それから小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
それだけ言って、去ろうとする。
「待ってください」
思わず呼び止める。
文官が振り返る。
「エレノア様は……本当に、悪い方だったのでしょうか」
問い。
今さらのようでいて、どうしても聞かずにはいられなかった。
文官は少しだけ考えた。
そして――
「嫌われる方では、ありました」
そう答えた。
曖昧で、しかし核心を突く言葉。
「ですが」
一拍置く。
「嫌われることと、間違っていることは、必ずしも同じではありません」
クラリスは息を呑んだ。
その言葉は、胸の奥に真っ直ぐ落ちてきた。
文官はそれ以上は言わず、静かに部屋を出ていく。
再び、静寂。
クラリスは、その場に立ち尽くした。
――嫌われることと、間違っていることは違う。
その言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
エレノアの姿が浮かぶ。
冷たい視線。
短い言葉。
そして――
何も言わなかった沈黙。
「……そう、だったのですか」
ぽつりと呟く。
答えは、まだ出ない。
だが確実に、何かが変わり始めていた。
王都のどこかで。
そして、自分の中でも。
ゆっくりと。
音もなく。
歯車が、ずれていく。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
クラリス視点で、
「エレノアは本当に悪だったのか?」という疑問が
はっきりと形になってきました。
ただし――
感情の話はここまでです。
次話からは、さらに現実的に
“何が壊れ始めているのか”が明確になります。
ここから一気に流れが加速していきますので、
少しでも気になっていただけたら
ぜひブックマークして追っていただけると嬉しいです。




