第38話 戻らない理由
数年後。
風は、穏やかだった。
街は整い、人は流れ、物は滞りなく巡る。
かつて混乱していたとは、思えないほどに。
「……報告です」
文官が言う。
「今年度の流通、すべて安定」
「外部との取引も、問題なく」
「他領からの視察も増えています」
「……」
エレノアは、静かに頷いた。
変わらない。
表情も、声も。
だが。
この場所は、変わった。
完全に。
「……以上です」
文官が頭を下げる。
部屋に、静寂が戻る。
「……」
エレノアは、窓の外を見る。
人々の生活。
動く市場。
止まらない流れ。
それは。
もう“維持するもの”ではなく。
“続いていくもの”になっていた。
「……完成ですね」
サラが言う。
いつもの場所から。
「ええ」
エレノアは答える。
「ようやく」
その一言には。
わずかな、終わりの気配があった。
「……で?」
サラが言う。
「次は?」
「特にありません」
即答だった。
「維持します」
「……つまらないわね」
サラが笑う。
だが。
どこか満足そうだった。
「……来ましたよ」
文官が、再び入ってくる。
「王都からの使者が」
沈黙。
その言葉に、意味はある。
そして――
答えも、決まっている。
「通してください」
エレノアが言う。
数刻後。
「……」
扉が開く。
入ってきたのは、一人の女性。
クラリスだった。
以前とは違う。
立ち方が違う。
目が違う。
揺れていない。
「……久しぶりですね」
エレノアが言う。
「はい」
クラリスは頷く。
迷いなく。
「……王都は」
エレノアが問う。
クラリスは、少しだけ息を吸った。
そして。
「……まだ、不完全です」
と、言った。
正直に。
逃げずに。
「ですが」
一歩、前に出る。
「崩れてはいません」
その言葉には。
確かな力があった。
「……」
エレノアは、何も言わない。
ただ。
見ている。
「……今日は」
クラリスが言う。
「お願いではありません」
一拍。
「報告です」
その言葉に。
意味がある。
「……」
「王都は」
続ける。
「自分たちで、立て直します」
その一言で。
すべてが、変わる。
もう。
頼らない。
選ぶ。
自分たちで。
「……そうですか」
エレノアは言った。
静かに。
だが。
ほんのわずかに。
その声が、柔らかくなる。
「……はい」
クラリスは頷く。
そして。
「……あのとき」
小さく言う。
「戻らないでくれて、ありがとうございました」
沈黙。
その言葉に。
すべてが詰まっていた。
「……」
エレノアは、何も言わなかった。
ただ。
目を閉じる。
一瞬だけ。
そして。
開く。
「……私は」
静かに言う。
「戻る理由がなかっただけです」
その言葉は、変わらない。
だが。
意味は、少しだけ違う。
「……はい」
クラリスは、微笑んだ。
もう、迷っていない。
そして。
「では」
頭を下げる。
深く。
「失礼します」
振り返る。
歩き出す。
止めない。
止める理由が、ない。
扉が閉まる。
静寂。
「……」
エレノアは、窓の外を見た。
流れる世界。
成立した構造。
そして――
別の場所で、立ち上がるもの。
「……」
小さく、息を吐く。
それだけ。
それで、十分だった。
――悪女は。
戻らなかった。
だが。
その選択が。
世界を変えた。
そして今。
誰もが知っている。
この世界は。
彼女によって――
成立したのだと。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
この物語は、
「誰かを救う物語」ではありません。
「世界を成立させる物語」です。
その中で、誰かが選び、誰かが選ばれなかった。
その結果が、この世界です。
――ですが、構造は、作った人の手を離れて勝手に走り出します。
次話「エピローグ」で、その"数ヶ月後"に届いた
一通の書簡をお見せします。
そしてその一行が、第2部の幕を開けます。
面白いと思っていただけたら、ブックマーク・評価で
最後まで見届けていただけると嬉しいです。




