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第2話 その罪を、ここに告げる

 ざわめきは、波紋のように広がっていた。


 大広間の入り口から現れた文官の一団は、明らかにこの場にそぐわぬ緊張をまとっている。夜会に遅れてくる貴族はいても、青ざめた顔の文官が駆け込んでくることなど、そうそうあることではない。


 音楽は続いている。笑い声も、まだ絶えてはいない。だがそれらは、どこか薄くなっていた。表面を保つためだけの、形ばかりの賑やかさ。


 エレノアは動かなかった。


 ただ視線だけを、入口から王太子へと移す。彼もまた、異変に気づいている。側近の一人が耳打ちをし、アレクシスの表情がわずかに引き締まった。


 その瞬間、何かが決まった。


「諸君」


 楽団の音が、不自然なほど唐突に止まった。


 静寂が落ちる。


 王太子アレクシスが、一歩前へ出た。視線を大広間の中央へと巡らせ、その声は天井の高みまでまっすぐに届く。


「本来であれば、このような場で申し上げるべきことではない。だが――」


 そこで一度、言葉を切る。


 多くの者が息を呑んだ。


 エレノアは、まばたきひとつしなかった。


「このまま見過ごすことは、王家として許されないと判断した」


 視線が、集まる。


 貴族たちの、使用人たちの、そして――クラリスの、不安に揺れる瞳の視線も。


 すべてが、ただ一人へと収束していく。


「エレノア・ヴァルディエ侯爵令嬢」


 名を呼ばれた瞬間。


 それまで遠巻きにしていた人々が、まるで舞台の幕が上がるのを待っていたかのように、自然と円を描いた。空間が開く。中央に、彼女だけが残される。


 視線の中心に立たされても、エレノアの姿勢は変わらない。


 逃げない。


 構えない。


 ただ、そこにいる。


「君の行いについて、幾つかの報告が上がっている」


 アレクシスの声は、先ほどよりも冷静だった。


 それがかえって、この場を公式のものへと変えていく。


「侯爵領における過度な徴税。使用人への不当な罰則。さらに、宮中においては――」


 わずかな沈黙。


 その後ろで、クラリスが小さく肩を震わせた。


「クラリス・メルヴェイユ嬢に対する継続的な嫌がらせ」


 どよめきが起きる。


 だがそれは、驚きではない。


 確認だ。


 ――やはりそうだったのだ、と。


 多くの者が、既に知っていた。あるいは、そう思っていた。今この瞬間、王太子の口からそれが語られたことで、ただの噂が“事実”へと変わっただけだ。


 エレノアは、目を伏せなかった。


 その場に立つクラリスを、静かに見た。


 怯えている。困っている。どうしてこんなことに、という顔をしている。


 演技ではない。


 少なくとも、そう見える。


「……殿下」


 クラリスが、かすれた声で言った。


「わ、私は……そのようなことを、望んでおりません」

「君が望んだかどうかの問題ではない」

「でも、エレノア様は……」


 言いかけて、言葉を失う。


 何を言えばいいのか、分からないのだろう。


 優しさだけでは説明できない現実に、まだ言葉が追いついていない。


 その様子を、周囲はどう見るか。


 可哀想に、と思う者。


 やはり彼女は被害者なのだ、と納得する者。


 そして――


「……なるほど」


 小さく、誰にも聞かれぬような声で呟く者もいる。


 舞台が整った、と。


 アレクシスは再び口を開いた。


「エレノア・ヴァルディエ。これらの件について、弁明はあるか」


 問い。


 ただ一言。


 だがその中に含まれる意味は重い。


 ここでの返答は、単なる口論ではない。立場を決める。関係を決める。未来を決める。


 全員が、彼女を見ていた。


 反論するのか。


 否定するのか。


 あるいは、開き直るのか。


 期待と嫌悪と好奇心が、入り混じった視線。


 エレノアは、ゆっくりと息を吸った。


 そして――


 何も言わなかった。


 沈黙。


 それは一瞬で、場の空気を変えた。


「……答えないのか」


 アレクシスの声が、わずかに低くなる。


 怒りではない。


 困惑だ。


 予想外の反応に対する。


 だがエレノアは、やはり何も言わない。


 視線も逸らさず、ただ王太子を見返している。


 まるで、その問い自体に意味がないとでも言いたげに。


「殿下が仰ったことは、事実であると認めるのだな」


 確認の言葉。


 ここで否定すれば、まだ話は揺れる。


 だが――


 エレノアは、ゆっくりと目を閉じた。


 そして、静かに開く。


 それだけだった。


 肯定とも否定とも取れない仕草。


 だがこの場において、それは十分だった。


 周囲の空気が、はっきりと傾く。


 やはり。


 やはり、悪女だったのだと。


「……失望した」


 アレクシスが言った。


 その言葉は、刃のように鋭くはない。だが鈍く、重い。


「君がここまでとは思わなかった。私は――」


 一瞬だけ、言葉に迷う。


 婚約者としての感情と、王太子としての責務。そのどちらを優先するか。


 だが、彼は選ぶ。


「私は、王家の名において、これ以上の看過を許さない」


 その宣言は、静かでありながら決定的だった。


 観衆の中に、期待の熱が生まれる。


 来る。


 来るのだ。


 物語の、あの瞬間が。


 クラリスは顔を青くし、何か言おうとしている。だが声が出ない。


 エレノアは――


 微動だにしなかった。


 ただそこに立ち、すべてを受け入れるように。


 あるいは、最初から知っていたかのように。


 やがてアレクシスは、最後の言葉を紡ぐ。


「――よって私はここに、君との婚約を解消する」


 その一言が、大広間に落ちた。


 誰かが息を呑む。


 誰かが小さく声を上げる。


 だがすぐに、それらは抑え込まれる。


 これは喜ぶべき場ではない。


 少なくとも、表向きは。


 それでも。


 誰もが思っていた。


 終わった、と。


 悪女の物語が、ここで終幕を迎えたのだと。


 だが――


 エレノアは、まだ何も言っていなかった。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。


 ついに断罪の場面に入りました。

 ただ、ここで終わらないのがこの物語です。


 「なぜ彼女は否定しないのか」

 「本当にすべてが彼女の罪なのか」


 次話では、その沈黙の意味が少しだけ見えてきます。


 少しでも気になると思っていただけたら、

 ブックマークして追っていただけると嬉しいです。

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