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第12話 悪女なき王都

 それは、朝から始まった。


 誰かが叫んだわけではない。


 鐘が鳴ったわけでもない。


 ただ、気づいたときには――


「……高すぎる」


 市場の一角で、男が呟いた。


 その手にあるのは、小さなパン一つ。


 だが、その値段は、昨日の倍を超えていた。


「なんだこれは」


「知らねえよ、仕入れが上がってるんだ」


 店主が苛立たしげに答える。


「昨日の朝の時点で、もうおかしかった。今朝はさらにだ」


「ふざけるな、こんな値段で――」


「買うなら買え、嫌なら他に行け」


 突き放すような言葉。


 だが、その声には余裕がない。


 売る側も、限界だった。


 同じ光景が、王都のあちこちで起きていた。


 肉屋。


 八百屋。


 穀物店。


 どこも同じ。


 品が減り、値が上がり、声が荒れる。


 まだ暴動ではない。


 だが、確実にその手前だった。


「昨日はあったのに!」

「子供がいるんだぞ!」

「こっちだって商売なんだよ!」


 怒号が飛ぶ。


 泣き声が混じる。


 そのすべてが、混ざり合う。


 王都は、初めて“音”を変えた。


 王城。


「報告します!」


 文官が駆け込む。


「東区、西区ともに価格が急騰。北部の運送がさらに遅延。南方商会は追加契約を拒否しております」


「……どこまで広がっている」


 アレクシスが問う。


「現時点で、ほぼ全域に影響が」


 答えは短かった。


 だが、それで十分だった。


 アレクシスは、目を閉じた。


 数秒。


 そして、開く。


「……対処は」


「追いついておりません」


 文官が言う。


「どこに回しても、別の場所が不足します」


 それは、すでに分かっていることだった。


 だが、それでも。


 現実として突きつけられると、重い。


「……配給は」


「一部で実施しておりますが、量が足りません」


「増やせ」


「在庫が――」


 言葉が止まる。


 それ以上は、言わなくても分かる。


 ないのだ。


 回すものが。


 アレクシスは、机を見た。


 帳簿。


 エレノアの残したもの。


 それが、そこにある。


 だが。


 使えない。


 理解できない。


 繋げられない。


「……」


 言葉が出ない。


 そのとき。


 扉が開いた。


「殿下」


 クラリスだった。


 顔色が悪い。


 目も赤い。


 だが、それでもまっすぐ立っている。


「……見てきました」


 静かな声。


「王都の、今を」


 アレクシスは何も言わなかった。


 言えることがなかった。


「皆、困っています」


 クラリスは続ける。


「怒っている人も、泣いている人も……たくさんいました」


 その言葉は、報告ではない。


 感情だった。


 だが。


 それが、現実だった。


「……どうすればいい」


 思わず、アレクシスが呟く。


 王太子としてではない。


 一人の人間としての問い。


 クラリスは、答えられなかった。


 答えを持っていない。


 だが――


「……分かりません」


 正直に言う。


 それでも。


「でも」


 一歩、前に出る。


「このままでは、いけないと思います」


 当たり前の言葉。


 だが、その当たり前すら、今は重い。


「……」


 沈黙。


 そのとき。


 文官が、静かに口を開いた。


「殿下」


「何だ」


「一つ、確認してもよろしいでしょうか」


「言え」


「エレノア様がいた場合、この状況は――」


 そこで言葉を切る。


 だが。


 その先は、全員が理解している。


 アレクシスは、答えなかった。


 答えられなかった。


 だが。


 頭の中には、はっきりと浮かんでいた。


 あの女が、ここにいたなら。


 この帳簿を開き。


 迷いなく指示を出し。


 どこを切り、どこを繋ぎ、どこを優先するかを決める。


 そして――


 この混乱を、抑え込む。


「……」


 拳を握る。


 強く。


 何も言わずに。


 王都の外。


 街道。


 馬車が一台、静かに進んでいた。


 揺れる車内。


 エレノアは、窓の外を見ていた。


 遠ざかる王都。


 まだ、穏やかに見える。


 だが。


 分かっている。


 もう始まっている。


 止まらない。


 流れは、止まった。


 歪みは、表に出た。


 そしてこれから――


 崩れる。


 静かに。


 確実に。


 そのとき。


 馬車がわずかに揺れた。


 エレノアは視線を戻す。


 何も言わない。


 何も変わらない。


 ただ、帳簿に手を置く。


 その指先が、わずかに止まる。


 ほんの一瞬だけ。


 だが――


 それは、確かに迷いだった。


「……」


 だが、すぐに消える。


 手を離す。


 視線を外す。


 何もなかったかのように。


 そして、再び前を向く。


 王都は、遠ざかっていく。


 悪女は、もういない。


 だから。


 王都は――


 回らない。

 ここまで読んでいただきありがとうございます。


 第1章、ここで一区切りです。


 エレノアがいなくなったことで、

 王都がどうなったのかが、はっきりと見えてきました。


 そして同時に、

 「なぜ彼女が必要だったのか」も。


 ここから先は、

 いよいよエレノア側の物語が本格的に動き出します。


 王都はどうなるのか。

 彼女は戻るのか。

 それとも――


 続きが気になったら、

 ぜひブックマークしてお待ちいただけると嬉しいです。

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