貴方が守り抜いたもの
悪夢に沈みきっていたはずの意識が、俺の名を呼ぶ悲痛な声に引き上げられた。
「……セシリー?」
「はい。貴方様の、ボルケノ様の妻のセシリーです」
瞼が上がる。開けた視界にセシリーが心配そうに俺を覗き込んでいるのが映った。
吹き出した汗でべたつく肌が気持ち悪い。ハルゲンを失った日の夢を見た後はいつもこうだった。
だが強制的に中断されたせいか、付きまとう己への嫌悪は普段よりも少ないように思う。
「申し訳ございません、とても魘されていたので……」
「ありがとう……今更だがみっともないところを見せたな」
「いつだってボルケノ様は素敵ですよ。今も昔も」
そう言って彼女は初夜の時のように俺の頭を抱きしめた。
よしよしと撫でられて、突然のことに戸惑ってしまう。二回目だが、何故だか今回はどうにも落ち着かない。
何故とつい疑問を口にした俺にセシリーはやわらかな声を返す。
「だってボルケノ様が泣きそうな顔をしてらっしゃったんですもの」
「……俺が?」
「はい。よっぽど怖い夢だったんですね。大丈夫ですよ、私が傍に居ますから」
信じられず聞き返す俺になんでもないように彼女は答えた。
続けてかつて母が幼い自分へしてくれたかのように優しく宥められる。なのに母性に対して抱くべき感情とはおそらく全く違う正体不明の何かが俺の胸には湧いていた。
俺には泣く資格なんてないのに。普段の自分ならその自己嫌悪でいっぱいだっただろう。だが今はそう思うよりも、別の疑問が俺の中を占めていた。
「そんな情けない顔を見たのに、セシリーは幻滅しないのか」
「はい。ただ情けないとは微塵も思いませんが」
なんでそんな当たり前の事を……?という表情をセシリーは見せる。
あまりに迷いのない返答に混乱が悪化する。自分でもなんでこんな思考がぐちゃぐちゃなのか、わからない。
「こんな寝てる時まで仮面を外さない男を素敵だと思うのか?」
「はい。そもそも誰にだって隠したいものの一つや二つありますしね」
「……俺の仮面の下が怖くないのか」
「もしかして今これ見せてもらえる流れだったりしますか?」
「セシリーが見たいなら別に構わないが……」
「失礼します」
またしても即答だった。俺の仮面に手をかけてセシリーは丁寧に顔から外す。
面白いものはない。広がっているのは醜く痛々しい火傷跡だけだ。
「仮面の下は触れても問題ないですか?」
「ああ、もう痛みはない。というか感覚がないんだ」
だが彼女は愛おしげに眺めながら俺の肌を撫でる。神経ごと焼かれたはずだが、彼女の触れたところはあたたかく感じた。
何を思ったのか、触れるだけに飽き足らずセシリーは跡に唇を寄せてくる。
結婚式では思う所はあれど口付けを交わした。その時は彼女への哀れみしか浮かばなかったはずなのに。それに比べれば子供の戯れのようなものなのに。
「……ボルケノ様?」
とっさに彼女の肩を掴んで引き剥がす。
わからない、なんだこれ。顔を手で覆う。無事な方の皮膚が異常に熱い。どうなってる、わけがわからん。
心臓が異様な速さで鼓動を刻んでいる。めちゃくちゃの思考を懐柔できないまま、横目でセシリーの様子を窺う。
セシリーは美人だ。元よりとても可愛いと思ってた。だが今はいつもの何倍も綺麗に見える。なんなら直視できない。
遠い記憶になるが、その現象には覚えがあった。あまりに長らくぶりすぎてすっかり忘れていたが。
………………もしかして俺はセシリーのことが好きなのか?
さっきからの異常についてストンと腑に落ちた。こんなしっくりきたからには認めるしかあるまい。
だからといって初夜での発言を顧みると葛藤しないわけにもいかず。内心悶えたままの俺にセシリーが口を開いた。
「ボルケノ様、この後、お時間いただけませんか。ボルケノ様と一緒に訪ねたい場所があるんです」
◇
今日行く場所は馬だと半日かかってしまうらしい。
その為、エリザベスに乗せてもらい、俺達は目的地へと向かっていた。
長年住んでいるが、上空からこの地を見るのは初めてである。だから「もうすぐ着きますよ」と言われても、彼女が目指しているのがどこかなのか。俺には見当も付かなかった。
ゆっくり高度が下がっていく。どうやら目当ての場所へ到着したらしい。
「すごいな……」
降り立った場所には見渡す限り一面に満開の向日葵が広がっていた。
燦々と降り注ぐ陽光に向かって咲き誇る数え切れないほどの黄色は圧巻の一言に尽きる。
こんな場所があるなんて知らなかった。ただ初めて来た場所のはずなのに、どうしてかひどく懐かしく感じる。
セシリーに「こっちです」と案内されるまま歩めば開けた場所に出る。そこには大きな岩が鎮座していた。
これがセシリーの見せたかったものなのだろうか?
どうやら岩には何か刻まれているようだ。読める位置まで近づいた俺はその文字に目を通し、息を呑んだ。セシリーの方へと顔を向ける。
「セシリー、ここは……オーガ族の、俺の故郷があった場所なのか?」
「はい」
刻まれていたのはあの日失った故郷の皆を弔う言葉だった。
地下牢でハルゲンを見つけた後、俺は彼の亡骸を故郷に連れて帰った。
手遅れの俺にできたのは皆の死体を埋葬することだけ。腕輪だけは己の戒めとして持っているものの、その他については彼らが大事にしていた物と共に、できるだけ家族の傍に眠れるようにはした。だが、それだけだ。こんな立派な慰霊碑は用意できなかった。
埋葬を終えた後は元は広場だった場所で座り込み、呆然としていただけ。そこから新たな砦の王としての教育を受けるまでのことは覚えていない。
近くの集落の者が俺のただならぬ様子に気付いて、ラドゥガ王への報告など色々と処理してくれたと聞いている。
「この場所は魔族の皆さんで協力して作りあげたそうです。そしてここの向日葵はいつでも咲き誇るよう、定期的に皆さんの魔力を注がれているんです」
「なぜ……いや、魔族の情の深さを考えれば何もおかしくはないか」
「ええ。犠牲となったオーガ族の方々を悼む為であり、そしてボルケノ様がこの花のように再び前を向けるようにと」
古から魔獣という共通の敵と戦ってきたせいか。魔族達は仲間意識が非常に強い。
だからこそオーガ族の皆が安らかに眠れるように助けてくれた、その考えは間違いではなかった。でも全てじゃないのだとセシリーは告げる。
提示された第二の理由に戸惑う俺へ彼女は目を細めた。
「かの者達によってオーガ族以外にも多くの魔族の戦士の方が命を落としたんですよね。だからもしあの日ボルケノ様が戦わなければ、他の魔族達も続けて滅ぼされていたと。魔族の皆さんは理解していました」
「ち、がう。俺は何もできなくて」
「いいえ。貴方が救ったから数多の魔族が今を生きている。貴方の幸せな未来を祈っている。ボルケノ様、ここは貴方が守り抜いたものの証です」
ここに咲くどの向日葵にも負けぬほどの満面の笑みでセシリーは言い切る。
今までの俺ならば、きっとその言葉を素直に受け止められなかったことだろう。けれど今は否定しようがない。ここで彼女が教えてくれたことを拒むのは謙遜ではなく、セシリーに対する侮辱だ。
胸が熱くなる。喜びに視界が滲んで、ぎこちなく口角が上がった。
「……そう、だな」
俺にも守れたものがあった。だから俺は今ここでセシリーと共に笑えているのだから。




