陽だまりの始まり
こんなにも深く眠ったのはいつぶりだろうか。
「おはようございます、ボルケノ様」
「……ああ、おはよう」
既に身支度を整え終わっていたセシリーが俺の顔を覗き込むようにして微笑んでいた。
ラドゥガからこの辺境まで飛んできたとは思えないほど彼女は溌剌としている。若いにしたって凄い体力だな。
ぐっと背伸びする。どうやら調子が良いのは彼女だけはないらしい。いつもの時間に目を覚ましたが、普段よりも体が軽い気がする。
昨晩は彼女の腕の中でそのまま眠ってしまったはずだが、ベッドに横たわっていた。セシリーが移動させてくれたのだろう。
そうだ。俺は昨日、何も役目を果たさぬまま呑気に眠って。
「セシリー、昨日はすまなかった。今夜こそは」
「ボルケノ様、だめですよ。昨夜も申し上げましたが、慌てる必要はございません。魔族の方は愛情深いと知っております。それなのに心を通じ合ってもいないのに、無理に情を交わすなどもってのほかです」
「……だが、それでは君が悪いように言われるだろう」
俺の立場を考えれば白い結婚などあり得ない。だから世間は一刻も早く世継ぎの誕生を望むだろう。
子は授かり物、だとしても子ができぬことで責められるのは常に女性だ。
俺が原因だと公表したところで、どうしたって少なからず彼女にも悪意が向く。だから、と言葉を続けようとするよりも先にセシリーが口を開いた。
「家族やボルケノ様に言われたら傷つくかもしれませんが、他の有象無象に何か言われてもどうでもいいので……」
たいそう可愛い顔のとてつもないドライな発言に面食らう。
澄み切った瞳に、虚勢ではなく心からの言葉だとわかるので余計に混乱した。
「なので本当にお気になさらないでくださいませ」
「わ、わかった」
「ところで本日の予定なのですが、朝食の後は溜まってる書類終わらせましょう!」
張り切った様子の彼女の提案に目を泳がす。
寝室に来る前に山積みになったそれを見たのか。いやそもそも手紙で何度も弱音を吐いていたからなんだろう。
「私もお手伝いしますから、ね?」
明らかに俺が渋い顔をしていたせいか。きゅっと俺の両手を握ってセシリーが首を傾げる。
動作は可愛いが、うっかり力加減を誤ってるらしく握られた手がなかなかに痛い。いやもしかしてこれわざと圧をかけてるのか……?
真相はわからないが、片付けるに越したことはない。わかったと返事する俺の声はこれまでにないくらい小さかった。
◇
「……そういえば今日は一度も襲撃されなかったな」
セシリーの協力の下、なんとか溜まっていた書類仕事を終えて、ふと思う。
いつもならば最低でも二回は中断していたはずだ。苦手というのもあるがそうやって遮られるから余計に片付かずにいたのだが。今日は一切邪魔されることなく作業に集中できた。
新婚だから遠慮されているという線はない。襲撃警報は人の手によって動いているわけではなく、古代魔法によって感知すると同時に鳴る仕組みだ。夜ならば夜警担当の控え室に限られるが、この時間帯ならば仮眠室を除く砦全域に行き渡るよう設計されている。
なので鳴っていれば気付くはずなんだが……。
それに静寂期はどうやっても数十年以上、先のはずだ。何が起こってるんだ?と疑問を抱えていれば、セシリーが何かを思いだしたかのような反応を見せた。
「昨日の飛竜ですが、私の命令に逆らって撤退できた個体は何匹か逃がしておいたのでそのせいだと思いますよ」
「……威嚇の為か? 血の気の多い魔の森の連中は挑発と取りそうなものだが」
「私の存在を示す為ですね、魔獣は本能的にラドゥガの血を恐れます。どの種も大陸統一の際、初代に絶滅寸前まで追い込まれ原始的恐怖をすり込まれているので……。ラドゥガの血統はいるだけで魔獣除けになるんです」
そういえば彼女の父が俺の講師役を務めていた頃も襲撃の頻度が少なかった気がする。てっきり静寂期が長引いているのかと思っていたが、あれは彼のおかげだったのか。
襲撃のきっかけはおそらく一定数の増殖と考えられている。あぶれたものが生息地を求めて砦を越えようとしているという説が有力だ。
そこから推測するにどの種族も今までのように下手に動こうとはしないだろう。飛竜は魔の森の生態系でも上位に君臨している。その上位種が恐れる場所へと足を運ぶのは普通に考えて自殺行為だからだ。
「今の状況で攻めてくるとしたら、偵察役と、あとは行き場のない個体、あまり賢くない種族くらいだと思いますね。ともあれ襲撃の頻度は格段に減るかと」
「そうか……」
魔の森自体に手の打ちようがないから諦めていたが、襲撃が減るのはありがたかった。
戦士の役目は無償の奉仕活動に近い。魔獣の死骸からは高価な魔石が手に入るが、魔族は貨幣よりも物々交換が主流だ。魔族にとってはあまり価値のあるものではない。
俺自身がただの戦士であった頃はそんなこと考えもしなかったが、彼らの活躍に対して見合った報酬を用意できず、善意の搾取ではないかと心苦しかった。
だから戦士達の負担が減るのは大歓迎だ。
「これは……トロールだな」
「あら」
話題に出していたせいか。本日初めての警報が鳴り響く。
出撃の準備と言っても武器を手にするだけだが、その間にセシリーの服装がドレスから動きやすそうなものに変わっていた。おそらく魔法で着替えたのだろうが。
「……君も出撃するのか?」
「はい! 旦那様のお仕事を手伝うのは妻として当然ですから」
いつでも大丈夫です!と胸を張ってニコニコとセシリーは宣言する。
それに思うところはあっても戦力が多いに越したことはない。時間が惜しいのもあって咎めることなく部屋を出る。
なお今回の討伐はかつてないほどの早期決着となったのだった。




