茨の奥で待ってなさい
『ラドゥガの紅薔薇姫』
その呼び名を考え出した者は相当な皮肉屋か、もしくはわたくしにまともに相手されなかった者なのだろう。
ロンが知らない、この呼称が生み出されたであろう真の理由を思えばそんな感想にもなる。
表面的上は見た目そのままだ、わたくしの母譲りの赤髪と緑の瞳を示している。ロンのように素直な人なら、そこでなるほど……と納得するだろう。
だが大抵こういったものには裏の意味があり、この呼称にも存在していた。美しい響きの中に、嘲笑に警告と表だっては主張しづらい意見を埋めている。
人が薔薇を見て真っ先に目を惹かれるのは幾重もの花弁だろう。花の美しさは一目で理解しても、鋭い棘があることには触れるまで気付かない。
つまりわたくしの美貌を指すと同時に、わたくしのいわゆる"キツイ性格"を揶揄しているわけだ。至って腹立たしいけども、うまくわたくしという人間を表したものだと思う。
昔からわたくしの元には良くない人間が集まってきた。
男女問わず大抵の者が最初はまともでも、時が経つと醜い本性をわたくしにぶつけようとする。その不届き者達はこぞってわたくしがおかしくしたのだと言いがかりを付けた。
誓ってわたくしは何もしていない。ただ勝手にあちらが狂っただけ。そんなことが幾度となく続き、いつしかわたくしは他者を惑わす魔性のように囁かれるようになっていた。
噂が耳に届く度に訂正した。父上や家族もはっきりと否定し、敵意を持って広めた者を軒並み咎めてくれた。
だがその努力を嘲笑うかのよう、わたくしに対する誤った認識は多くの者の間に浸透したままだった。
そんなことが続いたことで、わたくしは幼い頃から家族とほんのわずかな信頼できる者達で周囲を固めて過ごしてきた。
だから十二の時、当時の護衛だったティカが妊娠を機に引退することになって、わたくしは不安でしょうがなかった。
彼女の前に勤めていた護衛達は皆ひどかったから。わたくしを置いて逃げたりなんてのはかわいいもので、一見わたくしに好意的なように見えて陰口をたたいていたり、初潮も始まっていないわたくしに欲情を向けたり、他にも色々、全部あげていたらキリがない。
そんな中、ようやく巡り会えた信頼の置ける護衛がいなくなる。だからといって引き留めるなんてできるはずがない。わたくしのわがままで、大切な彼女の幸せを邪魔したくない。
そう自分に言い聞かせていたのに、彼女との別れが近づくほどにわたくしは精神的に参っていった。
「実は私の甥っ子が騎士団にいるんです。私も彼と同じく十になってまもなく家を追い出された身なので、彼は私が叔母とは知らないのですが……」
「ティカ、それは貴方の代わりの斡旋かしら?」
「え、違いますが……? 姫様とそう年が変わらない異性勧めるとか心がなさ過ぎません?」
ティカの引退が間近に迫った頃、彼女から切り出された話にわたくしはちょっとだけびっくりした。
わたくしを通じて父上に取り入ろうとか、わたくしや姉妹達の婿の座を狙って身内を護衛に推薦してくる貴族は少なくない。護衛は日中の殆どを共にするし、守ってくれる相手という立場から意識しやすいでしょうしね。
ただまさか彼女がそういった真似をしてくると思ってなかったの。
本当は嫌よ。でもティカにはとてもお世話になったから、それにティカが推薦してくる相手ならまだまともかもと思って、受け入れるつもりだったの。
当時はまだねえさまが王太女候補だったから、わたくしはそこまで警備を固める必要はない。そもそも行動を制限すれば無理に護衛を用意しなくてもよかったくらいだ。だから多少未熟だろうと彼が護衛になっても問題なかった。
でも、この流れで推薦じゃないことなんてことあるのね。
ティカは隠し事も嘘もできないタイプだ。すぐさま否定した彼女の素の反応からして、本当にそこにやましい意図はなかったのである。
「姫様が好きだと仰ってくださった私の剣筋に似てるんですよ、その子の剣」
それだけ伝えたかったと切り上げられた言葉が、彼女が城を去った後もずっと心に残っていた。
わたくしはねえさまみたく剣を極めていない。それでも魔法と共に自衛ができる程度には修めている。
だからこそ、剣筋には人柄が出るとわたくしは知っている。粗雑な者が振った刃先は乱れているし、誰にでも媚びる者の剣は軽々しい。
ティカの剣筋は彼女の心根と同じくまっすぐで美しかった。
そのことがきっかけとなり、わたくしは日中、書庫にこもるようになった。
ラドゥガの書庫は王族の血統か、あるいは王家から認められた者だけが利用できる。王宮魔術師ですら使えるのはほんの一部だ。
なので当然わたくしの婿や護衛の座を狙うような者達はいない。ここでなら心穏やかに過ごすことができる。
ただこれは副産物であって本当の目的は別にあった。
そろそろか。学んでいた極東言語についての書籍を綴じ、窓の外へ視線を向ける。
視線の先には王宮騎士団の鍛錬場があった。距離と位置からして、あちらからはわたくしを見ることは叶わない。
何もせずともおおまかには様子がわかるけれど、それでは目的は果たせそうにない。その為、目に身体強化魔法を施して視力を高めている。これによって細やかな動作まではっきり観察できるのだ。
目を酷使することになるのであまり長時間行えないが、きっと今日もすぐに終わらせることだろう。
「……相変わらず容赦のないこと」
わたくしとしては感想を口にしただけ。けれど自分でも無意識のうちに唇が弧を描く。
鍛錬場ではいつもこの時間に模擬試合が行われる。どうやら今日は乱戦を想定しているようだ。一番彼が輝く形式だと思うと期待に心が弾む。
一人の少年に対し、数人がかりで男達が襲いかかった。だが少年は体格差も人数差も一切ものともせず次々と蹴散らしていく。
短い灰色の髪を揺らしながら少年が振りかざすのはティカと同じ、迷いも容赦もない剣筋だった。
彼の名前はロン。魔法の才能がなかったことで、幼くして騎士団へと捨てられた、さる男爵家の三男坊。境遇までティカに似た、彼女の甥にあたる男の子。
ティカから話を聞いただけで、ロンと直接話したことはない。対面どころか一瞬すれ違ったことすらない。わたくしが一方的に彼を遠目から眺めているだけ。
それでも訓練中の姿を見る限り、きっと彼女と同じ、いかなる不遇にも腐らない努力家であり、実直な性格なのだろうと思えた。
戦う姿を見ているだけでも色んなことがわかる。でも足りない。もっともっと彼について知りたい。
だから彼をよく知るねえさまと騎士団長から時間をいただいて話を聞いた。
もし護衛にした場合、彼の夢や未来に大きなデメリットが発生するのではないか。そういった恐れを確認する為に。
わたくしの護衛ともなれば、団長や副団長の座に憧れていても諦めざるをえない。王宮騎士団を取り纏める立場とあらば、片手間だろうとわたくしの護衛なんて付き合っていられないもの。
ねえさまとの会話はわたくしが彼に抱いていたイメージの事実確認となり、騎士団長にはわたくしの立場ではわからないことを教えていただいた。
「ヴィアンクルージュ様の護衛ですか、そりゃあ良い! このまま騎士団にいてもアイツは今の分隊長が限界なんでね」
そう言って笑顔を見せる騎士団長は彼の種族の特徴である大きな尻尾をぶんぶんと振っていた。
狼も犬と同じ動作をすると考えていいのかしら? それであればわたくしの提案を本当に歓迎してくれていることになるだろう。
「ねえさまや貴方が目に掛けているのでしょう? わたくしが引き抜いては騎士団にとっては大きな損失になるのではなくて?」
でもそうなると逆に気になることも出てきた。せっかく機会を設けていただいたのだ、ちゃんとこの場で確認しておこう。
わたくしの質問に少しばかり考え込んだ後、騎士団長はゆっくりと口を開いた。
「さっきも話した通り、ロンは分隊長止まりです。ロンの奴は判断力や対応力は高いし、剣の腕もいずれ自分に追い越すでしょうが、部隊を纏め上げることに関して精神面で素質がないんですよ。アイツは導くのは得意だが人に命じることに慣れてない。それに真っ先に自分を駒に入れるんで大人数の統括は任せられない。規模がデカくなるほどトップが先に死ぬのはマズい、パニックになって本来なら負けねえ相手にも負けちまう。逆に言えばアイツは他者へ最善の避難指示が出せる、誰かを守る為に命を張れる、ロンの才覚は護衛の方が生かせるでしょうな」
先日の魔獣討伐でロンが率いた分隊は予定になかった変異体トロールを相手取ることになったらしい。
変異体は異常な進化を遂げた個体だ。通常個体と比べて知能も身体能力も高く格段に討伐難易度は上がる。ただでさえトロールはその怪力と巨体から危険な種族とされているのに。
となれば人数という点で利があっても彼に回された隊員の練度からして、死人が出てもおかしくない状況だっただろう。
だが、ロンの指示によって誰一人大きな怪我を負うことなく討伐を成功させたと聞いていた。最初はそれだけの功績を残した相手に対して評価が低いと思ったけれど、団長の説明で納得する。
命令するのに慣れていないのは彼が貴族として生活できなかったからだろう。使用人がいるような環境でこそ身に付く能力だもの。
他にもロン自身が団長等の役職を目指していないことを聞いたわたくしはねえさまと騎士団長から後押しをもらったこと、それと先日の討伐の功績に、自身が見てきた訓練場における彼の様子を材料に、父上へロンを護衛に任命していただけるよう直訴した。
まさかわたくしとひとつしか変わらない少年を推薦されるとは思ってなかったらしく、父上には最初反対されたけど最終的には認めてくれた。というか母上の援護射撃で陥落せざるをえなかったというか。
ただわたくしが直々に見初めたことは秘密にしていただいた……だってなんだか恥ずかしいもの。
ロンは護衛になった初日こそわたくしに見惚れていたけれど、次の日にはもう慣れたようだった。そんなところもティカと同じなのね。安心したような、ちょっと悔しいような。
たった一歳違いのはずなのにロンはわたくしより遥かに大人びているように見えた。
仕事とはいえ、わたくしのような異性の子供の相手をするのは面倒だったでしょうに、彼はいつだって嫌な顔一つせず付き従ってくれる。
かつてクビにした護衛達みたく、わたくしのすることを否定したり、妨害したりしない。勉強していても『よくこんな文字だらけの本読めるな……』って関心してるだけ。孤児院の訪問した時も子供の相手は慣れてるからと積極的に手伝ってくれる。
「わたくし、高位貴族からは婿を取らないわよ」
「そうなんですか?」
「ええ、あと他国の王族も迎えないわ。ラドゥガは他国との関係も、国内の情勢も非常に安定している。だからわざわざ彼らと婚姻する必要はないもの」
彼と出会って一年が過ぎた辺りで、わたくしはおそらく自分が王位を継ぐことになるだろうと判断して、父上の政務を分けていただくようになっていた。
と言っても、まだ軽い案件のみだけど。それでもわたくしを信用して任せてくださる父上は感謝している。
ねえさまは他国の王子を想ってる上、しっかりしているようでポンコツだからいけない。一番素質のあるセシリーは何が何でもあの方の国へ嫁ぐだろう。リリーは人見知りで気質的に王位は重たすぎる。次に向いてそうなウィーニは最近遭遇したらしい竜にぞっこんだし。
両親の仲睦まじさを考えれば今から弟妹が生まれる可能性はなきにしもあらずだけども、わたくしが継ぐと考える方が一番現実的だろう。
確かこの時はわたくしが間近、王太女に選ばれるだろうという噂から、その話題になったはず。
「それと基本的に婿は立場が弱いものだけれど、ラドゥガ王家に婿入りとなれば相応の権威を得ることとなる。だから元々有力な家が婿になると、その家が強くなりすぎて国内のパワーバランスが崩れかねないわ。政は男社会な分、わたくしが同じだけの実績を積んだとしても、婿が優遇されやすいでしょうし。父上が顔を利かせている間はともかく、下手すると相手の家にラドゥガを乗っ取られかねないわ」
「じゃあ、身分はそこまで高くないけど政治をわかってる奴から選ぶんですか?」
「それもダメ。政に明るいと知られている者だと、たとえわたくしが考えたものですら婿の案として認識される。結果わたくしという女王は軽んじられ、王家は求心力を失う可能性が高い」
「となると……」
「国家経営に縁のない低位貴族か、あるいは平民になるでしょうね。わたくしの邪魔をしない程度には賢くあってもらわないと困るけど。それかいっそ独身を貫いて、親類が継ぐまでの繋ぎとして勤めるか……あたりかしら」
できるだけ噛み砕いて説明したつもりだけれど、ちゃんとできていたかしら。
王家に属するわたくしにとっては常識でも、生まれのせいで貴族としての教育を受けられなかったロンにとっては初めて聞く話も多いだろう。
なるほど!と笑顔を見せる彼にひとまず安堵する。理解があって助かった。知識が付ける機会がなかっただけで、ロンって頭の回転は速いのよね。
対照的にここ最近わたくしに付きまとう貴族達の頭の悪さが際立つというもの。少しでも政に関わっていれば、無駄な努力だとわかりそうなものだというのに。
まあ……きっと王太女の婿の座を狙う以外の理由もあるんでしょうけど。
「だというのに、わたくしにアプローチをする貴族が絶えないなんてね……気分がまいるわ」
もう一つの、わたくしが男漁りをしているというあまりにも不敬な噂を思い出して頭が痛くなった。
わたくしは元々発育が良い。だがここ一年で急激に胸が膨らみ、女性的な体つきになってきたことが、おそらく噂の発端だろう。あと昔からあった魔性の蔑称も悪さしているに違いない。
場合によっては二人っきりになることもあるのに、ロンを護衛にしているのも影響しているのかしら。だとしても彼を辞めさせるという選択肢は浮かばなかった。
……馬鹿げてる。よりにもよって王家の娘がそんな素行の悪い真似するわけないでしょう。それにわたくし、まだ十三よ。成人もしてないし、恋だってまだなのよ。わたくし、何もしてない。誘ってなんかない。怖い。知らない。
なのにどうして、みんな、わたくしをそんな目で見るの。
「やっぱり花の妖精の血のせいなんですかね……故郷の物知りオババから聞いた限り、その血筋だと問答無用で異性が寄ってくるらしいですし」
「……花の妖精?」
「はい。王妃様から受け継いでる……」
すっとんきょうな発言をしたというのにロンは大真面目な顔をしている。
心の底から自分の言ってることは間違ってない、そう確信している表情だ。ただ、そんなことより。
「ロン、貴方にはわたくしが、そんな可憐なものに見えてるの?」
「はい……えっ、違うんですか!? 姫様こんなかわいいのに!?」
そうロンが上げた声に含まれているのは本気の驚きだった。
ロンの主張はセシリーや正装した時のリリーに対してならばわかる。母上に似た顔立ちである二人は実際そんな風に呼ばれていたもの。
でもわたくしは父上に美しい顔立ちだから、お綺麗ですね、麗しいだとか、華やかなお顔だとかは飽きるほど言われてきたけど、家族以外からは可愛いなんて言われなかった。
双子の妹なのにどうしてこんなにも違うんだろうってセシリーを羨んだことだってあるくらいなのに。
「母上の祖国は……フェニキアの王族は不死鳥の末裔とは言われてるけど、花の妖精の血統は入ってないわよ。ラドゥガにも妖精を娶った記録はないわ」
「そうなんですね。フェニキアは花の名産地って伺っていたのでてっきり……」
「フェニキアは大地が温かいことで年中花が栽培できる環境なの。始祖の不死鳥の亡骸の上に作られたからだと言われているわ」
できるだけすぐに取り繕って、彼の疑問に答えるようにして話をすり替える。
わたくし、ちゃんといつもみたいな態度を取れているかしら。髪で隠れているからきっと見えないだろうけど耳がひどく熱い。それに心臓がかつてないほど跳ねている。
幾度となくセシリーのあの方への気持ちを聞いても今までよくわからなかった。でもようやくわかったわ。こんなにも苦しいけど、愛おしいものだって!
◇
ただ恋心を自覚したからといって何かが変えられたわけじゃない。
変えようにもわたくしは意気地が足りなかった。ロンとの関係を変えることも、彼に嫌われる可能性が生まれることも恐ろしくて、あの日からわたくしは動けずにいる。
ロンはわたくしが求めている結婚相手の条件に当てはまっている。もしわたくしが命じれば彼はわたくしの王配になってくれただろう。でもそれは彼の意志じゃない。主であるわたくしに逆らえなかっただけ。
傍に居てくれたとしても彼の心が届かぬほど遠く離れてしまうぐらいなら手に入らなくてもいい。ずっとずっとどこにも行かず、誰のものにもならず、わたくしの傍にいてほしい。
その願いはねえさまが他国へ嫁ぎ、わたくしが正式に王太女となっても変わることはなかった。
彼が護衛になって早六年。
あの頃に比べて彼は随分身長が伸びたし、体つきも逞しくなった。護衛業務のせいで訓練の時間は減っているはずなのに、ねえさまに差し迫る勢いで剣の腕は上がっている。いつ鍛錬しているのかしら。
おそらく彼の鋭い剣さばきを目にした者なのだろう。誰か言い出したかも定かではないのだがいつの間にかロンは『銀の蜂』という二つ名を得ていた。
銀は彼の髪色を指していて、蜂は……先ほど上げた通り剣の腕前とか、あるいは女王を守る護衛とか、蜜蜂が花に寄ることからいつも紅薔薇の傍にいるのが由来じゃないだろうか。
決してロンが言うような「俺なら内臓出ても戦いそうって思ったんじゃないですか? え? その時の状況にもよりますけど、大丈夫そうならやりますね」なんて恐ろしい理由ではないと思いたい。違うと言って。そして護衛を任せているわたくしが言うのもなんだけどロンお前もお前よ、自分を大切にしなさいな。
根本から否定することになるけれど職蜂は全部メスであることを除けば、名付け主はなかなか良い例えをしたものだ。
彼の無欲さもよく表せている。護衛は元より危険な仕事だ。それも王族が護衛対象とならば、その苦労は一騎士だった頃の比ではないだろう。きっとわたくしが気付かなかっただけで、その多くをロンはわたくしに悟らせないまま片付けてきたに違いない。
金銭面の報酬については適正価格を渡せている。それでも大抵の者からすれば見返りが足りないと感じるのだ。
だからティカよりも過去にいた護衛達はわたくしの行動を制限して業務を減らそうとするし、好き勝手にわたくしに欲望を向ける。
でもロンはいつもわたくしの意思を尊重してくれた、わたくしが安心できる存在になってくれた。
本当はロンをわたくしだけに縛り付けてはいけないとわかってるの。
もう彼も成人してから随分経つ。本来なら、とうにわたくしから彼に良縁を紹介しておくべきでしょう。部下への縁談の斡旋も上に立つ者の仕事だもの。
特にわたくしの護衛でいては出会いの機会はあまりないでしょうし……ティカは後に夫になる者が彼女に一目惚れして猛アタックされてたけれど。
ただ彼女のパターンみたく、わたくしが紹介しなくてもロンに憧れる女性はいる。わたくしを最優先で動くという点を除けば、理想の結婚相手でしょうね。王族の護衛騎士とあらば高給取りだし、これだけ長く勤めているということは有能かつ人柄も保証されているもの。
だからわたくしに彼との縁談を取り持つよう、それとなくアピールしてくる相手も少なくない。
それに関しては彼の身分のせいか、ロンを侮辱してるとしか思えないものも多いので軒並み無視してるけど。
わかってる。でもどんなに卑怯でも彼が望まない限り、わたくしは動かない。動きたくないの。でもロンが自ら選んだならば、その時は。
そう決意した矢先のことだ。
副騎士団長からロンに縁談が持ち込まれたと知ったのは。
託される政務が増えてきた頃から使用するようになった執務室は書庫と同じく限られた者しか入室できない。それどころか更に厳重で、一般区域との区切りである大扉からこの部屋へと続く廊下すら、王族と王宮職長以外は立ち入りが許されていない。
なのでロンを騎士団へと送り出し、わたくしは一人執務室にこもっていた。そして緊急案件だと訪れた騎士団長に封筒を渡されたのだ。
手紙の送り主は副団長の親戚であり、以前ロンが騎士団の中でも数少ない良識派と語っていた青年だった。
青年からの手紙には簡潔な報告と共に『自分が知った時には既に打診した後であり、阻止できず申し訳ございません』と謝罪が刻まれていた。
わたくしが知った以上、彼の立場からして処罰に巻き込まれかねないというのに保身の言葉は一つもない。その誠実な働きぶりには王家へ対する深い敬愛が読み取れた。
騎士団長を下がらせた後、わたくしは書類にペンを走らせながら自覚した感情に向き合っていた。
副団長が持ち込んだ縁談だけれど、わたくしに対しては大きなしでかしだが、ロンにとっては条件は悪くない。あれならロンが承諾してもおかしくないだろう。
……ロンが選んだ相手なら諦めるつもりだった。でも今回の話を聞いてわかってしまった。無理よ、無理なの。ロンがわたくしから離れるなんて嫌、絶対に嫌。わたくしは何があろうとロンが欲しい。誰にも渡さない!
怒り任せに手を握り込んでいたせいで掌に爪が食い込んだ。その痛みによって、少しだけ平静を取り戻す。
たとえ縁談が結ばれようとも子爵家の婿という扱いならば、正式に婚姻関係になるにはまだ時間はある。
よほど困窮していない限り、貴族の次期当主の結婚式はある程度の規模を必要とするからだ。準備に最低でも数ヶ月は見繕う。
ならばその前にわたくしがロンとの既成事実を作ってしまえば良い。とんだ外道だけれども先に汚い手を使ったのはあちらだ。一貴族の訴状ごとき捻りつぶすなんて造作も無い。わたくしを舐めくさっている愚か者に王太女の権威を存分に味わわせてやろう。
よその花などに居座らせてやるつもりは毛頭もない。これまで通り茨の奥に閉じ込めてしまおう。銀の蜂はわたくしの唯一なのだから。




