蒲原津の宿で
ログアウト予定の時刻になる少し前。
夜の蒲原津。私たちの泊まる大衆宿は、昼よりも音が少ない。ほとんど雑魚寝形式で、人が多く集まっているのに、衝立で区切られた向こう側のざわめきは抑えられている。
こういう場所は、観察に向いている。そんなことを考えながら、相原由衣は、榊原と室田が話す声に耳を傾ける。
港の市場で聞いた、噂が話題の中心であったが、瀬戸と満足が戻り、思わぬ報告をすると、それは一段と熱気を帯びた。
「マジで、彌彦神社の巫女ってルリカだったのかよ」
「行けばよかった。てか、行きたかったああああ」
反応が早い。彼らにとってそれは、逃してはいけない期間限定イベントだった。分かりやすい価値観である。
そして、それに運よく遭遇したのが、瀬戸澄佳と満足燈彦。
「人気あるんだな」
満足がそう口を挟む。その声は、少しだけ温度が低い。否定ではない。ただ、距離がある。
室田は少し驚いた顔をして、京崎ルリカの説明を熱っぽく語る。
「超有名なVRチューバーだぞ。歌も、踊りも、グラビアも、最近はお芝居までこなす人気アイドル。フォロワー数だって500万人を越える……って、マジで知らないの?」
「知らなかった」
榊原が続ける。
「今、ああいうの強いんだよ」
私は、瀬戸の方を見る。彼女は、静かに聞いている。
「そんなに注目されてる人なんですね」
瀬戸は、素直にそう言った。評価ではなく、そこは知識として受け取っている感じだ。
「でも、だからといって祭りの舞台で、普通、入場料取るか?」
満足が一瞬眉をひそめながらいう。ほんのわずか。でも、私は見逃さない。
「別に、入場料くらい払うって。ああ、満足がもっと強引に誘ってくれたら、俺も行ったのにいい」
「あの時の自分を責めざるをえない」
榊原と室田は、しても仕方がない後悔にもがいている。
――ああ。
私は、この場の構図が見えてきた。
「確認ですけど」
私は、声を挟んだ。
「祭り、なんで行ったんでしたっけ」
「変な巫女に興味があったから、予定も空いてたし」
「巫女として、勉強になるかなって」
理由は、どちらも正しい。ただし、それは当人たちの内側の論理だ。
「それ、二人きりで行ったんですよね」
私は、淡々と言った。
「客観的には、お泊りデートです」
――沈黙。
そして反応が、綺麗に割れた。
「は?」
榊原。
「ん?」
室田。
そして――当事者二人。
「……え?」
満足。
「いや、そういうつもりじゃ……」
瀬戸が、すぐに首を振る。
「……客観的には、そう見えます」
私は事実を言っただけだった。からかうつもりはない。ただ、予想通り二人にはまったく自覚がない。私は、内心でメモを取る。
……互いに好意の有無を問う以前の段階。行動は共有しているが、意味づけが一致していない。
「野暮だったか」
榊原が笑ってごまかす。
「悪い悪い」
「いえ」
私はそれ以上踏み込まない。私はそこで、視線を紙へ落とした。――これ以上は、私のやるべきことじゃない。
「ただの事実確認です」
瀬戸は、少し考えてから言った。
「……そういう見方も、あるんですね」
否定しない。ただ、そう受け取っただけの言い方。
満足は何も言わない。でも、視線が一度だけ落ちた。
この二人は、まだ関係性の名前を必要としていない。ただ、少し第三者の言葉を置いてみると、別の絵が見えてくる。ちょっとしたキャプションをつけるだけで、その絵の意味は変わる。
あまり踏み込みすぎないように私は、この話題を変えた。確認しなければならない重要なことが、もう一つあった。
「京崎ルリカはプレイヤーですよね。でも私たちは知らなかった」
その疑問を口にすると、皆、少し表情に反応があった。
「そうですね、私たちもそう思いました」
瀬戸がそう言うと、満足も同意するように頷く。
「室田の説明を聞いてる感じだと、多分、その様子がVRライブ配信されてたと思う。そういえば、港の市で最初に噂話を聞いたときや、彌彦神社でも、巫女は都から来たって話だった気がする」
「試験バイトの会場、別にもあるのは間違いな」
榊原がそう断言する。
「おかしいと思ってたんだよね。平安京エイリアンズなのに、多賀城からのスタートってのは。でも、試験会場が別にあるならわかるわ」
室田も、それに同意する。
「同じ試験なら、同じ条件であるべきだ。評価点が絡むなら、なおさらな」
榊原の声は、いつもより真剣だった。
「別に、今のところ何かこちらに不利益があるわけじゃないけど、その情報は隠されていたことは確か。それが別会場のプレイヤーにとって既知の事実だったなら、フェアでもない。とにかく今度のミーティングで質問してみましょう」
私がそう言うと、皆、同意見のようで、この話はひとまずここで切り上げた。
そのあとは、船の出航予定、翌日の動き。必要な情報だけを整理する。誰かが音頭を取ったわけではない。流れ、というやつだった。
「で」
榊原が言う。
「次、いつ出発だっけ」
「海の都合次第」
私は答える。
「早くて、次のログイン明け。遅れれば、さらに数日」
「まあ、そこは予想できないもんね」
室田が肩をすくめる。
「ただし、ログイン後は連絡を常に取れるようにしときましょう。出航がいつ決まるかわからない」
「了解しました。もし日が空いたら、私は彌彦神社にもう一度、挨拶に行こうと思います」
瀬戸が、きちんと返事をする。彼女らしい選択だと思った。義務感ではなく、筋を通すという意味で。
「僕は港かな」
満足が言う。
「もう少し、知っておきたいことができた」
誰も止めない。彼の動きは、もう単独行動として扱われていない。
「じゃ、今日はここまでか」
榊原が伸びをする。
「思ったより、いろいろあったしな」
室田が笑う。
「やっぱり長かったね。感覚的には、今までの五倍くらいの濃さだった」
――それは、事実だ。
圧縮された時間は、体感として確実に残る。
「そうだ」
榊原が、ふと思い出したように言った。
「リアル戻ったらさ」
全員の視線が集まる。
「みんなでラーメン行こうぜ」
「……ラーメン? いいね。喜多方に行ったときに、ラーメンを食べれてない自分は何なんだと正直思った」
満足が同意する。
「VRじゃ食えないもんな。油と塩と、あと餃子」
榊原は即答する。
「チャーハンもな」
室田が即座に乗る。
「あとビールも」
「そんな脂っこいものを寝る前に食べるのは無理なので当然行かないけど、翌日のプレイに影響出ない範囲でね」
私は条件を付ける。
「俺たちまだ若いし、平気でしょ」
よくわからない榊原の主張にかぶせて、室田が胸を叩く。
「俺、酒強いから、大丈夫」
瀬戸が、少しだけ笑った。
「……いいですね、ただ私も遠慮しておきます」
その一言で、この場の空気が決まった気がした。
「マジか、男子会かよ。まあいいけどさ」
榊原が言う。
「それも楽しいって、だよな満足」
「てか、お前らのせいで、僕の胃袋は町中華モード。もはや晩飯はそれしか考えられない」
――定刻5分前です。ログアウトしますか。
「今日は、おつかれ」
「じゃ、また次で」
各人がログアウトの準備に入る。そして、一人、また一人と、光が薄れていく。
最後に残ったのは、特別な言葉でも、決意でもない。ただ、次があるという前提だけだった。私は、その「次がある」という前提だけを、記録してからログアウトした。




