彌彦神社の夜
彌彦神社の境内は、騒がしかった。
僕たちは本殿でお参り挨拶を一通り済ませ、その脇、彌彦山を流れる川の脇に進んでいく。そちらで、都から来たという巫女が奉納をするという。
その会場に近づくと、手前で止められた。
「入場料、二人で米三合になります」
「……は?」
思わず固まる。
「祭りで、入場料?」
「特設奉納舞台になりますので。お米でなくとも絹や布でも大丈夫ですよ」
後ろには、もう人の列ができている。押し出されるような空気。
僕は懐を探る。
……米なんて、ほとんど持っていない。
「……瀬戸さん、ごめん。米、少し、借りていい?」
瀬戸は一瞬驚いた顔をして、それから小さく笑った。
「ここは私が払っておきます。あとでちゃんと、あとで返してね」
……借金してまで入る祭りって、なんだ。
そう思いながらも、僕の胸の奥には、別の期待があった。
……美羽。
歌があると聞いた。巫女が舞うとも。
……もしかしたら。
あの「場の空気が変わる」感じ。それが、また見られるかもしれないと期待していた。
真っ暗だった特設の神楽台が、瞬間で明るくなると、大きな歓声が上がる。客席の宙に浮かぶ、赤、青、緑、白、紫と色とりどりの無数の火の玉。
だが。舞台に現れたのは、――まったく知らない人物だった。
赤いミニスカート。白いニーハイにロングブーツ。真紅のビキニに、白い羽織。肩を出し、袖を振ると、頭に着いた紅白の大きなリボンが、ケモノ耳のように揺れる。
「京崎ルリカでーす! 今日は来てくれてありがとう!」
……誰だ。
胸の奥で、緊張していた糸がだらりと垂れ下がった。
分かっていた。期待しすぎだったのだと。
でも、それでも――。がっかり、という感情は、思った以上に重かった。
京崎ルリカが、歌い、踊る。観客は、大盛り上がりする中で、僕は一人小さく呟いた。
「……違うじゃん」
その声は、音に紛れて消えた。――正直、帰りたかった。
だが、隣にいる瀬戸が、少し弾んだ声で言った。
「私、こういうの、初めて」
火の玉が、彼女の瞳に映る。それが、きれいだと思ってしまった。ここで帰るのも悪い気がして、僕は最後まで見届ける覚悟を決めた。
京崎ルリカは、確かに美人だ。歌も上手いし、舞、いやダンスも激しく、恰好もいい。露出多めの衣装は、抜群のスタイルを強調する。派手な舞台演出もちゃんと計算されている気がする。
「奉納ありがとう! 次の曲も行くよー!」
その言葉を聞いたとき、ようやく気付いた。
……あ、この人もプレイヤーなのか。
この祭りで感じた、現代っぽさの正体、その訳が腑に落ちる。彼女がプロデュース、あるいはアイデアを提供していたならば、ああいう祭りになるのも納得がいった。
しかしながら、その演出やパフォーマンス、トークは、どうしても鼻についた。媚びている。数字を数えている感じが引っかかる。
神に向けてでも、人に向けてでもない。いや、どちらもあるのかもしれないけれど、加えてもっと即物的な何かにも向かっている気がしてしまう。
一言でいうならば、――品がない、と感じてしまった。
そう思ってしまった自分は、どうしても入り込めなかった。
終演後、なんか気疲れしてしまった僕は、気づけば口にしていた。
「……なんというか、期待してたのと違った」
その瞬間。ぽす、と頬に何かが当たった。
火の玉。
痛くはない。ただ、鬱陶しい。しかも、それが増えていく。一つ、また一つ。また、また一つ。
周囲がざわつく。
「お客様、少し――!」
黒い巫女服を着た女性が割って入った。なんかマネージャーっぽい感じだ。
「今、本人が来ます。少し、お待ちください」
その一言で、火の玉は僕から離れる。しかし、取り囲まれてはいる。僕はいつも取り囲まれてるなと思った。そして、やはり僕には逃げ場はなかった。
現れた彼女は、ステージ衣装のままだった。
汗も、息の乱れも、絵になる。
「何、トラブル?」
そう彼女が呟くと、マネージャーらしき黒巫女が耳打ちする。
「そっ」
そう頷くと、僕の前に進み出てくる。
「あなたね。文句があるなら、直接どうぞ?」
笑っているが、観客用の笑顔ではない。これが素なのかはわからないが、逃げ道はない。今日は、僕は正面突破を図った。いつものように逃げる選択をとらなかったのは、自分の期待が外れたことを、ぶつける先が欲しかったからかもしれない。
「すごいとは思いました」
火の玉が、ぴたりと止まる。
そう言いつつ、僕はかつて観た、美羽の学祭でのパフォーマンス、そして先日、瀬戸が舞った神楽を思い出していた。
「でも、もっとすごいものを、僕は見てきてるので……」
「……ほう?」
彼女の表情が微妙に堅まる。
「少し、期待外れだっただけです。あと、奉納も大事でしょうけど……」
そして、徐々に険しくなっていく。
「品性はそれ以上に――」
口が、塞がれた。
瀬戸だった。
「私は、すごく楽しめました。こういうの初めてで、とても刺激的でした」
そういうと、お辞儀をして、僕も無理やり頭を下げさせられる。
京崎ルリカは、一瞬だけ驚いて、それから表情を緩めた。
「なるほどね」
興味を持った、という顔だった。その視線が、僕と瀬戸を同時に捉える。
僕らは「それでは」と挨拶をして、逃げるようにその場を去った。
「……面白い人たち」
僕らの背後から、彼女がそんな風に呟いた声が聞こえた気がした。
* *
川船の船頭が話していた、門前町にある大部屋の宿にたどり着くと、困った事態になっていた。
「えっ、今日はもう一杯だよ。空きはないから他をあたっておくれ」
「でも、川船の料金には、ここの使用分も含まれてるって……」
僕はそう抗議したが、宿の女は少し呆れた様子で答える。
「それなら、着いたら先にこっちに寄ってもらわないと。この時間になったら埋めちゃうから、空いてるとこは」
つまり、キャンセル扱いになっていたということだった。
「仕方ないね……、他の宿を探してみましょう」
瀬戸にそう促され、僕らは別の宿を探すことにした。
しかし、予想はできたが、どこも満室状態だった。厩ならば空いている、ということすらなく、とにかく宿の扉を叩いて、断られるのを繰り返した。
「大物アーティストが来てるときの、地方都市みたいな状態だな」
僕がそう呟くと、瀬戸は頷く。
「まさにその通りなのかも。京崎さんのファン、熱気が凄かった」
その言葉に、反応して僕は瀬戸に確認した。
「彼女、多分、プレイヤーだよね」
少し唐突だったからか、瀬戸は少し驚いた表情をしたが、ほぼ即答した。
「それは間違いないと思う。ここの祭りが変に現代的だったのも、きっと彼女の影響だと思った」
瀬戸の考えは、僕の推測と一致していた。しかし、問題はそこではない。
「彼女、ミーティングで見かけたことある?」
「ない。多分、別の試験会場があって、そこからログインしているんじゃないかな」
そんなことは、今まで試験の運営側からは何の説明もされていない。ただ、説明する必要があったかといえば、必ずしもその理由も見当たらなかった。
「つまり、プレイヤーって12名よりもっと多いってことか」
そう僕が呟くと、瀬戸はこちらを見てしっかりと頷いた。そして、少し笑って言う。
「けど、だからといって何か急に変わるわけでもないと思う。今の私たちにとって、最大の課題は今日の宿。まずはこちらを片付けましょう」
そういうと、次の宿の扉を叩く。
「部屋、空いてますか」
瀬戸がそう尋ねると、宿の男は答える。
「すまんなあ、もういっぱいだ……。でも、あんた巫女さんだろ。別にこっちに泊まらなくても、彌彦様で宿をお借りすればいいじゃないか」
完全に盲点だった。京崎ルリカと、そのファンから逃げることばかり考えていて、そういった発想がまったくなかった。
僕たちは礼を言って、ふたたび鳥居をくぐる。そして、彼女とその取り巻きに再遭遇しないように気を付けながら、祭りが終わった暗い境内を進んだ。
明かりが灯った建物を見つけたので、声をかけると男の神職が姿を現した。宿を借りたいと伝えると、瀬戸の姿を一目確認する。
「宮司を呼んでくる」
そういって、奥に消えていった。そして、しばらくして中年の宮司が一緒に戻ってきた。
「宿をお探しだとか」
穏やかな声だ。
「旅の巫女です。門前町に宿を取っておりましたが、手違いがありまして」
瀬戸がそう説明する。
宮司の視線が、僕たちを少し確認するように動く。僕の恰好、怪しいもんね。仕方ない。ただ、瀬戸が手にした杖に視線を落とした瞬間、その表情がわずかに変わった。
「……その杖は」
瀬戸は、慌てて構え直す。
「磐梯、猪苗代湖畔にある守屋という社で、授かりました。山道を行く際の支えとして。私自身は磐椅神社に勤めております」
宮司はゆっくりと近づき、杖をまじまじと見た。目立った装飾は小さな鉄製の鐸が一つと、榊の葉くらいの簡素なものだ。
「素晴らしい杖……ですね」
瀬戸は、少し息を呑んで答える。
「……はい。そう思います」
宮司は小さく頷き、しばらく考え込むように目を伏せたあと、顔を上げた。
「我らは、お互いに知らないだけで、所縁のある者同士のようだ」
そう前置きしてから、静かに言った。
「その杖を持つ巫女ならば、喜んでこちらを宿にしてください」
「ありがとうございます」
宮司は笑った。
「こちらも祭りで人手が足りない。巫女が一人いるのは、ありがたい。夜の清めと、明日朝の奉納。手を貸してもらえますか」
胸の奥が、すっと静まった。
「……はい。お手伝いできることなら」
そう答えると、宮司は満足そうに頷いた。
「それで十分です」
案内された宿坊は、質素だったが清潔で、どこか懐かしい匂いがした。
「瀬戸さんのおかげだ……ありがとう」
「これは縁」
「縁?」
「うん。私個人じゃなくて、この杖の、だから礼ならこの杖に言うべき」
僕は、少し考えてから笑った。
「そっか。杖さま、ありがとうございまする」
「うむ、かまわん」
瀬戸が低い声でアテレコすると、僕たちは小さな声で笑いあった。
夜、境内は静まり返っていた。遠くで、風が葉を鳴らす。祭りの熱だけが、嘘のように遠ざかっていった。




