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平安京エイリアンズ  作者: 岬口大鴉
【十日目】

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生死の境界を介す

 最初に触れた瞬間、京崎ルリカは、思わず息を止めた。


 ――重い。


 影は、これまでに感じたことがない感触を持っていた。はっきりと「量」があるのに、現実感がない。でも質量は確実にある。冷たい。濡れた土をそのまま抱え込んだような感触。皮膚に張りつき、指の隙間から逃げない。

 それが、絡みつく。


――足首。脛。膝。腿。腰。


 巫女装束の裾の内側で、影が蠢くのが分かる。逃げ道を探すように、あるいは、入り口を探すように。


「……っ」


 声が漏れそうになるのを、歯を食いしばって抑える。

 これは、祓いだ。けれど――これまで知っていた「祓い」とは違う。


……少し怖い……。


 横を見ると、瀬戸がいた。

 彼女は、表情を歪めている。苦しそうだ。呼吸が浅く、肩が小さく上下している。それでも、彼女は止めていない。

 影は、彼女の身体にも絡みついている。腰に、腹に、胸に。はっきりと、内側へと入り込んでいるのが、私にも分かった。

 そのとき、瀬戸が、小さく呟いた。


「……この影」


 声は低く、震えていた。


「彼が、背負っていたものだと思えば……」


 一瞬、息を整えてから、続ける。


「……受け入れるのは、怖くありません」


 その言葉が、胸に落ちた。影は、たしかに重い。冷たく、絡みつきながら、体の奥へ流れ込んでくる。内に触れられる感覚。押されるような、満たされるような、居心地の悪さ。


 苦しい。だが――満足の顔が、浮かぶ。

 荒れた日本海で、そして洞窟の中の水道で、抱きかかえられたときに触れた彼の体。水の刃を受け止めたときの背中。何も考えず、体が動いただけだと言った声。


……これを、彼は一人で背負っていた。


 そう思った瞬間、私は、息を吐いた。


……逃がさない。拒まない。……私の中を通す。


 影が、腹の奥に入り込む。そこから、胸を抜け、喉へ向かう。


「うっ……」


 声が出る。涙が滲む。それでも、目を逸らさない。

 やがて、影の細かな滓が、私の体を通して、山に流れていく感覚が伝わる。


……出ていく。


 少し前にあった緊張から、私の体は僅かにだが解放される。そして、ひとときの弛緩に浸る。しかし、空いた隙間に、また影は入り込んでくる。この繰り返しだった。


「……はっ、……っく」


 瀬戸も同じだ。自らの体を通し、その穢れを絶え間なく、流し続けている。

 そんな時間がずっと続いた。

 私たちも、永遠に続けられるわけではない。どちらかが限界に近づくと、入れ替わる。一方が床に膝をつき、呼吸を整え、もう一方が、影を引き受ける。その繰り返しだった。


 ただ――満足の身体に変化は、ない。

 影は、確実に通っている。ただ、見た目は変わったようには見えない。依然として固い。繭のまま、殻を閉ざしたままだった。


 変化は、見えないけど、それでも、私たちはやめなかった。

 額の汗を拭い、次に影に触れたとき、自分が前ほど戸惑っていないことに気づいた。重さは同じ。冷たさも、絡みつく感触も、変わらない。けれど、身体が、その流れを知っている。慣れてきたのだ。


 瀬戸は、さらに一歩、踏み込んでいた。

 全身からは疲労の気配がある。呼吸も荒く、全身から発汗し、その表情も赤く染まっている。それでも、彼女の集中が、高まるのが分かる。その分、影は、以前よりもはっきりと彼女に集まる。量が増え、流れ込む速度も増している。

 だが、苦しそうに、息を詰めながらも、彼女は止まらない。


 そのときだった。


――微かに。満足の胸が、上下した。


「……呼吸」


 私は、思わず呟いた。

 確かに、息をしている。弱いが、意識のない呼吸ではない。影が、ほんのわずか、柔らいだ。殻の表面が、以前ほど硬くない。触れれば、まだ冷たい。だが、拒絶する硬さではない。


――生きている。


 その実感が、私たちを支えた。

 影は、さらに絡みつく。中へ、中へと、深く入り込む。

 怒り。痛み。妬み。諦めきれなかった瞬間。言葉にならない感覚が、身体を通る。声が、漏れる。呼吸が乱れる。それでも、私たちは流し続けた。


 膝をつく回数だけ、息が浅くなった。その感覚も薄れてきた頃、影の「重さ」が、変わった。同じ量のはずなのに、どこか、滑らかになった。

 繭の表面が、垂れる。割れるのではない。力を失い、形を保てなくなっている。それと引き換えに、横たわる満足の呼吸が、深くなる。一つ。また一つと。


 影は、まだ残っている。だが、それはもう、閉じ込める殻ではない。流れるものになっていた。

 私は、息を吐きながら思った。


――これは、祓いだけど、祓いじゃない。生と死の、境を通す儀式だ。


 母胎へ戻り、もう一度、生の側へ送り返す。そのための道を、自分たちの身体で、整えている。

 それに気づいた頃だろうか、次第に影が、影に戻る。物としての強度を失い、重さだけを残して、溶ける。そして、彼の輪郭が、はっきりする。呼吸が整う。人の形が、そこにあった。


 私は、床に手をつき、深く、息を吐いた。

 終わった、とは思わなかった。ただ――彼は、戻る道の上にいる。その確信があった。

明日は、二本投稿いたします。6時と16時です。

よろしくお願い致します。

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