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平安京エイリアンズ  作者: 岬口大鴉
【十日目】

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125/129

洞窟の主

 水道を越えた先の空洞で、一晩休んだ。と言っても、眠ったというより、気絶に近い浅い休息だった。身体は重く、喉は渇き、目を開けると天井が近かった。

 ルリカは――あまり眠れなかったようで、数えるように呼吸を確認している。たぶん、舞台の前にリラックスするルーティンみたいな感じだ。



「……動けそう?」


 僕が聞くと、返事が少し遅れた。


「動くしかないでしょ」


 いつもの軽さが戻りきっていない。声が乾いている。それだけで、昨日の「スキルの使いすぎ」が、まだ尾を引いているのが分かる。

 ルリカは、洞窟を照らすため、再びスキルを使う。


「……もう少し、休むか?」


「……食料もない、じり貧になるだけ」


 言い切った直後、息を吸い直すのが見えた。口では平気を装ってるが、身体が追いついていない。

 僕は歩き出した。洞窟の奥へ。水の流れは相変わらず静かで、道は思ったより整っていた。進める。進めてしまう。

 それが、怖い。

 ここまで来ると、逆に――罠みたいに感じる。何も起きないのが、いちばん嫌だった。


 しばらく進んだ頃、遠くに白い光が見えた。


……外光だ。


 洞窟の奥が、薄く透けている。石が濡れて、そこだけ淡く明るい。出口がある。外に出られる――。


「……見える?」


 僕が言うと、ルリカが小さく息を吐いた。


「見える。……やっと、じゃない?」


 声に、ほんの少しだけ熱が戻る。人間って単純だ。光があると、希望を信じたくなる。

 だが、その光は、近づくほど揺れる。揺れているのは光じゃない。空気だ。湿気が、壁を這うように濃くなっていく。水の匂いが変わる。潮じゃない。川でもない。もっと深く、濃い、水の匂いだった。


 滝の音が聞こえた。

 洞窟の奥に、大きな落差がある。水が落ち、霧になり、空気を白くしている。そこに外光が混じっている。だから光が透けて見えた。


「……滝」


 ルリカが呟く。

 その瞬間、胸の奥が――ひと撫でされるみたいに動いた。――あいつが。


 騒がない。叫ばない。ただ、そこに馴染むみたいな感覚で、ゆっくり起き上がる。嫌な起き方だ。僕の意思と関係なく、目を覚ますのはいつものこと。そして、それが何かの兆候であることもいつものことだった。


「……来るか」


 独り言が漏れた。ルリカが僕の顔を見る。


「何が?」


 答えようとした瞬間、滝のしぶきが、空中で止まった。いや、止まったように見えた。

 水滴の軌道が一斉に変わる。落ちているはずの水が、誰かの手に掴まれて引き伸ばされるみたいに、弧を描く。滝の音が、急に遠くなる。音が吸い込まれる。洞窟が、耳を塞いだみたいに。


 圧が来た。

 水圧じゃない。空気が、重くなる。生き物が発する圧じゃない。場そのものが、僕を拒絶してくる。身体の表面に膜が貼られる。息が吸いにくい。

 そこで、ルリカが一歩下がった。


……圧に押されたか。


 彼女は戦える状態じゃない。それは明らかだった。

 僕の肩越しに、彼女の呼吸が聞こえる。浅い。速い。整えようとして、整えきれていない。


「……これ、まずい……」


 彼女の声が、珍しく本気で震える。


「結界は?」


 僕が短く聞く。


「無理。今は……張れない。張っても、弾かれる」


 言い切るのに、喉を鳴らす。自分の限界を言葉にするのが、悔しいんだろう。

 次の瞬間、水が飛んできた。

 塊だ。人の胴くらいある大きさだった。避ける、という判断が遅れる。僕はとっさに肩を入れて受けた。

 殴られた。水なのに、殴られた。

 岩の冷えとは別の、鈍い衝撃が骨に響く。膝が沈む。胃が揺れる。


「……っ!」


 ルリカが声を飲む。僕は歯を噛む。

 次も来る。水は槍になる。鞭になる。刃になる。

 狙いが分かった。僕だけだ。ルリカじゃない。


――穢れを持つ者よ。


 意味が、体に直接入ってくる。

 声はない。だが、確かに怒っている。苛立っている。空気が、言葉になる。


――土足で踏み込むな。


 前にも同じようなことを言われたことを思い出す。まったく相手の理屈としては、正しい。だが、こちらの理屈もある。選択肢は、一つしかない。


――生きて帰ること。


 僕は山刀を抜いた。刃が、湿った空気を切る。だが水は切れない。切れても戻る。斬撃が、意味を持たない。


「……どうする」


 僕は小さく言った。状況把握のための問いだ。ルリカは、答えるまで一拍置いた。息を整えるために。


「……逃げる。たぶん……正面突破は無理」


「逃げ道は?」


「滝の横……岩壁。……でも、あれ……」


 彼女が言い切る前に、空気がもう一段重くなる。逃げ道が閉じる感じがした。洞窟が、僕たちの背中を押さえる。

 水の鞭が、足元を薙ぐ。僕は跳んで避ける。着地した瞬間、岩が滑る。身体がよろける。

 そこへ、第二撃。腹に来た。息が強制的に吐き出される。視界が白くなる。胃がひっくり返る。

 倒れそうになる。でも倒れない。

 胸の奥が、じわっと熱を持つ。あいつが動く。暴走じゃない。乗っ取りじゃない。奥で立ち上がる感覚だけある。それが余計に怖い。自分の外側の敵と、自分の内側の敵が、同時に目を開けている。


「……来るのか」


 今度は、はっきり言った。

 ルリカが、僕の横顔を見て、眉を寄せる。


「……何それ、さっきから。独り言?」


「……今、余計なやつが起きてる」


「余計なやつ?」


 質問が重なる。だが答える暇はない。

 水の槍が、僕の肩を貫くように刺さる。痛みが遅れて来る。熱い。冷たい。両方だ。血が出る感覚があるのに、濡れているせいで分かりにくい。ただ、腕が重くなる。

 ルリカが一歩踏み出しかけて、止まる。助けたいのに、足が出ない。出したら自分が終わる。その逡巡が、呼吸に出る。


「……っ、マンゾク……!」


 名前を呼ばれて、僕は、逆に冷静になった。


「動くな。今は――」


 言いかけた瞬間、空洞の奥から影が浮かんだ。

 滝の裏。水のカーテンの向こうに、細長い輪郭が見える。黒い鱗みたいな光沢が、わずかに外光を飲む。

 蛇。いや、蛇に見えるだけの、もっと大きいもの。胴が太い。天井に触れそうだ。頭の輪郭は、龍にも見える。

 目は見えない。でも、見られている。そして、怒りが――はっきり言葉になる。


――まだ、居座るか。穢れを、抱えたまま。


 苛立ちが、洞窟全体に震えとして走る。水滴が一斉に跳ねる。ルリカが、喉を鳴らした。


「……主、ね」


「たぶん」


「たぶんじゃない。……これ、格が違う」


 彼女の声は低い。負けを認める言葉。悔しさじゃなく、判断の声。

 僕は歯を噛んだ。その歯の間から、息が漏れる。勝てない。それでも――ここで折れたら終わる。

 僕の中のあいつが、また動く。今度は、方向を示すみたいに。水の流れ。圧の流れ。敵意が濃い場所と薄い場所を感じ取る。まるで、嗅覚みたいに、感覚が伸びる。僕はそれが嫌で、必死に押さえた。使えば楽になる。だが一度乗れば、どこまで持っていかれるか分からない。


 そんなとき、――瀬戸の声が、ふと洞窟の空気に混じって聞こえた。

 いや、聞こえているわけじゃない。ただ、祈りの残り香みたいに、空気の底にある気がする。

 この空洞で、主は僕たちを殺す気なら殺せたはずだ。なのに、そうはなっていない。瀬戸の声、それが、主の苛立ちの中に、ほんの一滴だけ混じる手加減の正体なのかもしれない。

 主の内部で、何かが留保されている。


 僕はルリカに、短く言った。


「……僕が引きつける、回り込んでくれ」


 ルリカが一瞬、目を見開いてから、頷いた。


「いいけど。……でも、私は、今――」


「分かってる。隙を見て、自分のできることをして」


 彼女の呼吸が少しだけ落ち着く。役割が決まると、人は強くなる。

 僕は主を見た。見ているのに、見えていない。輪郭が揺らぐ。

 そして、次の攻撃が来る前に、一歩踏み込んだ。正面から行く。逃げるために、正面から行く。

 水が唸った。圧が増す。この瞬間が試練の入口だと、体が理解した。ここから先は、ただ耐えるだけじゃだめだ。僕の中の余計なものを使う誘惑が、確実に増える。そして、それを――主は見ている。

 僕は息を吸い、吐いた。


「……来い」


 水が、刃になった。

 来ると思った瞬間には、もう来ていた。水が――いや、水になった圧が、僕の足元を削る。避けた感覚はある。だが、避けたというより、そこに居なかった。


 次の瞬間、僕は三歩先に立っていた。

 地面を蹴った覚えはない。筋肉を使った感触も薄い。代わりに、胸の奥が静かに熱を帯びる。


……動け。


 僕の中から、命令じゃなく提案がなされる。それを、僕は拒まない。ただし、主導権は渡さない。意識は、手放さない。

 水の槍が通った空間が、遅れて歪む。空気が、斬られたあとをなぞる。速い。だが――見える。

 水の流れ、圧の濃淡、敵意の溜まり。それらが、線ではなく面で見える。

 僕の中のあいつは、あの水道の中でもそうだった。未来は見せない。ただ、状況の中で決まった反応を見せる。それが今は「ここに居ると死ぬ」という場所を教えてくれる。それで十分だった。しっかり、僕の感覚センサーになってくれている。

 半歩ずらし、次の瞬間には、滝の横の岩壁を蹴っていた。水が砕け、霧になる。霧が、刃になる。その中を、抜ける。


……遅い。


 主の攻撃が、遅いのではない。こちらが、間に合っている。

 そのことに、まずルリカが気づいた。


「……なに、あれ……」


 声が、震えている。彼女の視界では、僕の輪郭が安定していないはずだ。身体があるはずの位置に、影が遅れて残る。逆に、影だけが先に動く瞬間もある。

 硬質化は、していない。ただ、影は、粘度を持った空気みたいに、まとわりついていた。

 速さが違う。榊原との演習で見せた動きとは、別物だ。あれは人間の速度だった。今は――その境界を踏み越えている。

 水の刃が、僕の首を狙う。僕は、そこに首を置かない。代わりに、刃の内側に踏み込む。山刀を振る。刃は水を斬らない。だが、水を束ねている意志に触れる。

 初めて、手応えがあった。主の圧が、わずかに揺らぐ。滝の音が、一瞬だけ戻る。


――……?


 苛立ちに、疑念が混じる。

 僕は、踏み込んだ姿勢のまま、息を吐いた。肺が焼ける。だが、意識は澄んでいる。あいつが、さらに深く動こうとする。


――もっと、使え。もっと、速くなれる。


「黙れ」


 声に出した。それだけで、一瞬、静まる。僕は使っているが、委ねていない。その状態を、主は――見ていた。

 水の流れが、変わる。攻撃の密度が増す。だが、狙いが変わった。僕の内側だ。圧が、胸を叩く。奥に、触れようとしてくる。

 歯を食いしばり、影を広げた。影が、気体みたいに拡散する。身体の輪郭が、さらに曖昧になる。物質じゃない。だが、完全な非物質でもない。


……境界。


 その状態で、もう一度踏み込む。山刀を、今度は水そのものではなく、影ごと振る。

 刃が、主の胴を掠めた。ほんの一瞬。だが、確かに――ダメージだった。

 水が、悲鳴みたいに弾ける。圧が、乱れる。


――……穢れ……。


 主の声が、低くなる。怒りではない。困惑だ。

 僕の中の穢れに触れた主は、確かに何かを感じている様子だった。

 こちらの状態は、暴走することもなく、穢れが侵食することもなかった。たしかに重い。そして深い。ただ――押さえ込めてはいた。僕が、こいつを背負っている。こいつが、僕を使っているのではない。この穢れは、僕を宿主として、力を渡している。

 因果は分からない。だが、今の関係性は明らかにそうなっている。


――……振り回しておらぬ……のか。請け負っている……のか。


 主の、圧が、わずかに緩む。


――……蜂子も……。


 蜂子? 一瞬、攻撃が止まる。続きは来ない。


――……いや……まだ、わからぬ……。


 何かの評価が、保留された。

 その瞬間だった。圧の向きが、変わる。僕ではなかった。


……ルリカだ。


「っ……!」


 ルリカが、息を呑む。

 彼女には、見えていない。だが、殺気だけは、はっきり分かる。彼女は逃げない。いや身体が、動かない。恐怖が、遅れて来る。

 主の圧が、完全に――ルリカへと収束する。


「っ……!」


 彼女が身を強張らせる。避けられない。足も、動かない。

 考えるより先に、体が前に出ていた。

 水の刃が、腹に突き刺さる。衝撃より先に、冷たさが来る。次に、熱。そして、重さ。 息が、詰まった。


「……っ、満足……!」


 ルリカの声が、すぐ近くで震える。


「なんで、……」


 問いだ。責めじゃない。ただ、理解できないという声。答えを、用意していなかった。


「特に……何も考えてなかった」


 喉が焼ける。それでも、声は出た。ルリカが、俯く。


「でしょうね」


 短く、吐き捨てるみたいに。俺は、少しだけ笑った。


「体が動いただけ」


 それ以上でも、それ以下でもない。

 その瞬間、ルリカの肩が震えた。涙が、ぽろりと落ちる。


「最悪」


 小さく、そう言った。

 僕は構わず、主に向き直った。

 不思議だった。追撃が、来ない。水は荒れているのに、刃だけが消えている。

 主は、静かに――僕を見ていた。


――……同じか。蜂子と……。


 言葉の意味は、分からない。だが、敵意は、もう感じなかった。

 今なら。今なら、話を聞いてもらえる。


「穢れを持ち込んだことは謝る」


 息を整えようとして、腹が軋む。血が、指の隙間から溢れる。


「申し訳なかった」


 視界が、少し滲む。


「僕らは、ただここから出たいだけだ」


 足の感覚が、薄れていく。だが、意識は手放さない。


「あの光の先へ……いきたいだけだ」


 言い終えた瞬間、力が抜けかける。


――……そうだな。


 主の声は、低く、静かだった。


――これ以上、お前の血でここを汚されても、かなわん。


 次の瞬間、巨大な尾が、僕たちを包み込む。そして水が――濁流に変わる。

 叩きつけられる圧。巻き上げられる身体。呼吸が、奪われる。それでも、僕は気づいた。――流れが、逆だ。

 引きずり込む力ではなかった。押し出している。

 そして闇が、薄れて、光が、近づく。


 空が見えた。今度は、外光だ。青空。虹。その向こうに、人がいる。何人か。皆、こちらを見ている。

 その中に――瀬戸がいた。

 表情までは、はっきり見えない。けれど、確かに――そこにいた。


――……ようやく、戻ってこれたか。


 そう思った瞬間、力が抜けた。意識が、落ちていく。

 その直前、あいつが動いた。

 影が、重さを持つ。気体のように広がり、次いで、液化して体に膜を張り、そのまま固くなっていく。影は僕の身体を包み込み、血を止め、外界を遮断する。


――生きろ。


 命令じゃない。ただの意思を後押しする言葉。

 そして、遠くで――


「……満足くん……!」


 瀬戸の声が、聞こえた気がした。

 そこで、僕の意識は完全に途切れた。

明日は、二本投稿いたします。6時と16時です。


よろしくお願い致します。

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