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平安京エイリアンズ  作者: 岬口大鴉
【十日目】

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羽黒山

 庄内平野の奥に進むにつれて、空気が変わっていくのを瀬戸澄佳は感じていた。

 山の陰から抜ける風が、湿り気を帯びている。水と土の匂いだ。田は広く、人の気配は途切れない。ここは「前線」ではない。守るための土地ではなく、すでに出来上がった生活の中心だった。

 多賀城とは違う。あそこは、国家の縁を押さえるための城だ。だがここは、国家に寄りかからずとも回っている。人が集まり、物が巡り、祈りが機能している。

 羽黒山は、その一つの中心となっていた。


 山の入口は、いわゆる関所のような厳しさはない。だが、誰でも通しているわけでもない。宿坊があり、僧がいて、修験者が行き交っている。役場のような機能もあり、物資の出入りはきちんと記録されていた。


「ここは三山の中でも、入り口にあたります」


 案内役の僧が、淡々と説明する。


「月山から葉山へ抜ける者、湯殿山へ向かう者も、まず羽黒を通ります。祈りも、願も、ここで整える」


 修行の山であり、調整の場でもある。私はそう理解した。祈るだけではない。人と山、里と奥、その境目を管理する場所。

 門を抜けると、すぐに橋があった。深い谷ではない。だが、はっきりとした境目だ。小さな橋の下を流れる川は、澄んでいて、触れなくとも冷たい。


「秡川です」


 僧が言う。


「ここで身を清めてから、山に入るのがしきたりです」


 名前の通りだ。穢れを落とすための川。山に入る前に、余分なものを削ぐ。

 私は、川面を一瞬だけ見下ろした。水は鏡のように空を映しているが、覗き込めば、何も返さない。ただ流れていくだけだ。

 橋を渡ると、参道が続いていた。石段はない。だが、踏み固められている。人が絶えたことのない道だ。

 少し登ると、森の中に五重塔が見えた。

 派手ではない。だが、立派なものだった。木組みの隙間から、荘厳さ染み込でている。


「将門公の名を、聞いたことはありますか」


 僧が、塔を見上げたまま言う。


「東国の武士です。この山は、昔から東の武士たちの支えを受けてきました」


 それ以上は語らない。語らないこと自体が、この山の立ち位置を示している。

 さらに登ると、道は分かれた。山の中腹に僧房があるという。


「先に、こちらでお休みになりますか」


 そう問われて、私は首を横に振った。


「私は、まず本殿へ」


 一瞬、僧が目を細める。止めはしない。ただ、意志を量るような視線だった。


 山頂へ向かう道は、空気が違う。人の声が薄れ、風の音が前に出る。

 やがて、開けた場所に出た。

 本殿がある。そして、その手前に――鏡池。

 水は静かで、深さが分からない。覗き込んでも、底は映らない。空だけを返す。

 私は、そこで足を止めた。


……ここに、来る。


 理由はない。ただ、私はそう確信していた。満足とルリカは、生きている。そして、ここへ辿り着く。それは希望ではなく、判断に近い感覚だった。

 本殿に進み、静かに手を合わせる。


「どうか、彼らに」


 言葉はそれだけだ。加護を、とも、救いを、とも言わない。

 返事はない。だが、拒絶もない。

 私は、それで構わないのだとすでに理解していた。

 山を下り、僧房に戻ると、声が聞こえた。


「え、蔵王からですか!?」


「ああ……」


 榊原と室田の声だ。完全にゲーマーの調子で質問を浴びせている。その中心に、修験装束の男がいた。落ち着いた姿勢で、淡々と答えている。


「蔵王から入って、葉山を越えた。月山は昨日。湯殿には今回は寄ってない」


 それがどれほどの行程か、山を知らない者にも伝わる言い方だった。

 私は、そこで初めて声をかけた。


「はじめまして。瀬戸です。学園の二年です」


 男は、視線を向け、軽く頷く。


「東郷隆之です」


 簡潔な名乗り。服装、所作、呼吸。修験者だ。しかも、かなり山に慣れている。


「……学院生、です」


 東郷はわずかに口角を上げた。短い会話だった。

 その流れで、東郷が何気なく言う。


「私は、今回の参加は二度目です」


 室田が、思わず声を上げた。


「え、二回目!?」


「ええ。だから、少しだけ事情は知っています」


 少しだけ。その言い方が、何かを含んでいる気がした。


「そうですか」


 曖昧な相槌に、東郷は頷くだけで、何も誇らなかった。そして、彼は懐から包みを取り出し、僧に差し出した。中身を見た僧が、わずかに目を細める。


「砂金……」


「平貞盛様より」


 その名が出た瞬間、空気が一段、締まった。


「山の維持に、と」


 僧は深く礼をし、包みを受け取る。


「確かに。近頃は、多賀城からの支えも大きい、感謝いたします」


 将門と貞盛。討たれた救世主と、討ち取った英雄。その双方の名が、同じ場所で語られている。矛盾ではない。羽黒山は、そういう場所なのだ。

 私は、ここでようやく自分の番だと理解した。


「こちらを」


 如蔵尼から預かった手紙を差し出す。僧は受け取り、宛名に目を通した。


「検校様宛てですね……」


 少し間があった。


「申し訳ありません。現在、山を留守にしておりまして。戻り次第、必ずお取り次ぎします」


 制度的な返答だ。誠実だが、即答ではない。


「承知しました」


 私は、感情を挟まなかった。ここで急かすことは、何の意味も持たない。

 僧は続ける。


「それまで、山内でお過ごしください」


 私は、喉の奥が乾くのを感じた。だが、表情には出さない。


 夜、宿坊で横になる。横では、相原がすでに寝息を立てていた。

 目を閉じると、満足とルリカの顔が、浮かぶ。駆け出したい衝動を、理性で押さえ込む。


……探しには行かない。今は待つべき。


 そう思いながら嚙み締めた唇が、少し痛かった。

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