祭祀の残り香
光は、進むほどに弱くなった。正確には、光そのものが弱まっているというより洞窟が、光を拒んでいるような感覚だった。
水膜に滲む淡い青白さは、足元を照らすには足りる。だが、数歩先はすぐ闇に溶ける。天井も、壁も、形を結ばない。距離感が狂う。
「……思ったより長いわね」
ルリカの声は、いつもより低かった。息が少し荒い。
「うん。出口じゃない」
短く答える。探索スキルが、はっきり告げていた。ここは通路ではない。奥行きがある。歩くたび、靴底が水を踏む音がする。溜まり水が多い。冷たい。足首まで浸かる場所もあった。
体力が、削られていくのが分かる。HPバーを見る必要はなかった。呼吸が浅くなり、思考の切り替えに、わずかな遅れが生じ始めている。
「少し、休もう」
僕がそう言うと、ルリカは頷き、岩に手をついた。そのまま腰を落とす。
「……ごめん、ペース落としちゃって」
「気にしなくていい」
言葉は短い。互いに、余計なやり取りをする余裕がなくなってきている。
水を口に含む。ルリカが整えた水は、冷たいが澄んでいた。身体に染み込む感じがする。
「……こういうの、久々だな」
不意に、彼女が言った。
「何が?」
「進むか、やめるかを、自分で決め続けるの」
舞台の話じゃない。配信の話でもない。生存の話だ。
「私も、昔はそうだった。でも最近は、誰かが段取りを決めてくれてた。台本があって、照明があって……未来がだいたい、決まってる」
彼女は、水の光を見つめていた。
「今は、何もない。ミスったら、終わり」
「……そうだな」
否定しない。慰めもしない。
「でも」
ルリカは、少しだけ口角を上げた。
「悪くない」
意外な言葉だった。
「自分の足で立ってる感じがする」
その言葉に、僕は少しだけ視線を上げた。洞窟の奥は、相変わらず暗い。
「……行ける?」
「行くわよ」
即答だった。
「待つより、進むほうが、私らしいでしょ」
その「私らしい」が、いつの彼女を指しているのかは分からなかった。でも、今の判断としては、正しい。
再び歩き出す。
しばらく進んだところで、違和感が増した。音が、ない。水音はある。滴りもある。だが――生き物の気配が、さらに少なくなっている。
虫の羽音がない。壁に張りつくものもほとんどいない。それだけじゃない。岩肌の一部が、妙に整っている。
「……削れてる?」
ルリカが、壁に触れた。
「ああ……前のと同じ感じ」
僕は、屈んで床を見る。湿った土の上に、溝が走っている。一直線じゃない。蛇行している。深さが、一定じゃない。
「何かが、何度も通ってる」
足跡じゃない。引きずった跡でもない。何かが這った跡だ。しかも、かなりの大きさ。人一人分より、明らかに太い。
ルリカが、息を呑むのが分かった。
「……動物?」
「だとしたら、普通じゃない」
そのときだった。水の光が、ほんの一瞬、歪んだ。揺れた感じでもなく、反射でもない。こちらを何かが見たような感覚だった。
胸の奥が、すっと静まる。あいつは――落ち着いている。警戒していない。拒んでもいない。ただ、それを受け入れている。反応しないこと、拒絶しないことが、逆に気味が悪かった。
「……ねえ」
ルリカが、声を潜める。
「ここ、かなり古い……」
「……」
「信仰の跡がある。しかも、一時的なものじゃない」
彼女は、足元を照らす。岩の隙間に、何かが埋まっている。彼女はそれを拾わなかった。触れもしない。それが正しいと思っているようだった。
小さい扇型の何かが、鈍く光を返していた。
「……鏡?」
小さな銅鏡の欠片。割れた縁。
さらに少し進むと、今度は――。
「勾玉……」
完全な形じゃない。これも欠けている。供えられ、置かれ、そのままになったもの。
「ここ、昔は……」
「うん」
ルリカは、言葉を選ぶ。
「祭祀……。それもかなり、盛んだったはず。でも……」
その先は、言わなくても分かった。人はいない。祈りも、絶えている。それでも――崇められていた何者かは、まだいる。
溝は、さらに奥へと続いていた。そして、足元の水が、明らかに増えていく。
流れだ。洞窟の奥で、水が集まり、川になっている。細いが、確実に、どこかへ向かっている。
僕は、立ち止まった。
「……この先は、楽じゃなさそうだ」
ルリカは、少し息を止めた。そして、頷く。
「行きましょ」
ここまで来て、引き返す理由はなかった。
洞窟は、もう試練の顔をしている。そして、その先にいるものは――まだ、姿を見せていない。




