探索と灯り
洞窟の先は、外よりずっと静かだった。波の音は岩に遮られ、風も直接は入ってこない。それでも、湿った冷気が肌にまとわりつく。安全とは言い難いが、少なくとも、今すぐ攫われる場所ではない。
僕は岩に寄りかかり、息を整えた。ルリカも、少し距離を取って座り込む。
「……ここ、思ったより深そうね」
彼女の視線は、洞窟の奥を測るように動いている。闇は、ただ暗いのではなく、奥行きを持っていた。
「上にぬける道は見当たらない」
「だよね」
短い確認。外に戻る選択肢は、事実上、ない。
しばらく沈黙が落ちた。
「この先行くなら……明かり、どうする?」
ルリカがそう言った瞬間、問題がはっきり形を持った。洞窟自体は進めそうだ。ただ、見えなければ話にならない。
「火は……厳しい」
「ガス?」
「匂いはしない。でも、ゼロとは言えない」
僕は洞窟の空気を吸い込みながら答えた。潮の匂い、湿った石の匂い。それ以外は、今のところ感じない。
だが、たいまつを振り回す気には、どうしてもなれなかった。
「火花もダメね」
「うん。やるなら、最初から覚悟が要る」
ルリカは少し考え込む。そして、静かに言った。
「……電気。ほんとに微量なら、どう?」
言い方は軽いが、目は真剣だった。
「放電はしない。火花も飛ばさない。洞窟の壁面に少し水分があるでしょ。薄く張ってる。その水を震わせる程度」
確かに、岩の窪みに水膜が広がっている。天井からの滴りが、静かに溜まっているだけのものだ。
「着火は?」
「多分、大丈夫。でも――」
「でも?」
「長時間は使えない。空気が淀んでたら、やめる」
条件付き。しかしながら、他に方法もない。しかもうまくいくならば、そんなに助かる照明はない。
僕は洞窟の天井を見上げる。岩肌は湿っているが、水滴が垂れるほどではなかった。完全な密閉ではない。風は、わずかだが流れている。
「……合理的ではある気がする」
自分でも驚くほど、冷静な声が出た。
「少なくとも、たいまつよりはずっとマシだ」
短く、結論が出る。ルリカは、洞窟の奥に向かって、そっと手を伸ばした。指先に、薄い青白さが灯る。火ではない。熱も、爆ぜる気配もない。ただ、水の膜が、かすかに光を返す。
波紋ではない。震えだ。水面全体が、細かく、均一に震動している。その中に、淡い光が滲んだ。青白い。冷たい色だが、嫌な感じはしない。
水膜が、洞窟の床をぼんやり照らしている。足元が見える。岩の起伏が分かる。岩肌が、ぼんやりと浮かび上がった。
「……発光してる」
「正確には、光ってるように見えるだけ。狐火。昔からそう呼ぶの」
「狐火?」
「別に、狐が出るわけじゃないわよ。こういう燃えない光を、稲荷信仰ではそう呼んできただけ」
説明はよくわからなかったが、結果にはなんの文句もない。
「……これなら」
「うん」
光は弱い。だが、足元を確かめるには十分だった。
「ただ、長くは持たないと思う」
「どれくらい?」
「集中すれば、断続的には使える。弱くなったら、足せばいけるはず」
「僕はスキルでサポートがかかるから、多分それで行ける。ルリカ、さんは、どう、行けそう?」
「多分ね。あと、ルリカでいいわ。私もあなたのことはマンゾクって呼ぶから」
小さいころから呼ばれ慣れたあだ名だった。僕は少し首をかしげてから、頷いた。正直、今は明かりがある。それだけで、ありがたい以上の感情は出てこない。ただ、前に進める。それだけでよかった。
僕が先に立ち、慎重に歩き出す。探索者スキルが、自動的に意識を切り替える。足場、天井、壁の凹凸。危険になりそうな場所が、なんとなく分かる。
洞窟は、思ったよりも広かった。
天井は低いところもあるが、匍匐が必要なほどではない。人が通れる。いや――。
「……通られてるな」
独り言だった。
岩肌の一部が、妙に滑らかだ。削れたというより、磨かれている。角が丸い。自然にしては、不自然なほどだ。人の手じゃない。獣の爪でもない。摩擦によって磨かれている感じだ。
さらに進むと、床の様子が変わった。湿った土が溜まっている場所がある。そこに――。
「跡?」
溝だ。細くもなく、広すぎもしない。一直線ではなく、緩やかに蛇行している。深さが一定じゃない。何度も通ったような、消えかけの痕。
足跡じゃない。引きずった跡でもない。
「……何か、這ってる」
後ろで、ルリカが呟いた。声が低い。
嫌な沈黙。
そのとき、胸の奥が――静かになった。
あいつは、騒いでいない。怯えてもいない。ただ、そこに馴染んでいる。それが、逆に気持ち悪かった。
「……ねえ」
ルリカが、小声で言う。
「これ、普通の生き物じゃないでしょ」
「たぶん」
確信はない。でも、否定もできない。
溝は、途中で消えていた。壁に続くわけでも、天井に登るわけでもない。ただ――空気の中で、途切れている。
僕は、立ち止まった。水の光が、かすかに揺れる。空気が、重い。
ここまで来て、ようやく分かった。この洞窟は、通路じゃない。棲み処だ。
そして――いる。今も。何かが。
明日は、二本投稿いたします。6時と16時です。
よろしくお願い致します。




